132.見知らぬ『善意』
「ほら、嬢ちゃんも飲め。ラズベリージュースだ。」
椅子に座ってぼーっとその風景を眺めていたベルの前にどかっと、ジョッキが置かれた。
もくもくと湯気が立ち上っており、寒い冬にぴったりのとても温まりそうなドリンクだ。
その声の聞こえた方を見ると、そこには十五才程の、白髪の少年が佇んでいた。
右目が金、左目が銀のオッドアイで、口許は楽しげに歪んでいる。
「……わたしに?」
「おうよ。へへ……まぁ、あんたが出世した時に百倍にして返して貰うけどな。あ、トウモロコシでも良いぜ。」
「ひゃく……ってなんですか?」
「……冗談だよ。オレの奢りだ。」
ベルは、首を傾げながらも、元気よく『ありがとうございますっ!』と叫びながら小さな両手でジョッキを口へ運ぶ。
だがその時、胸元のベルゼビュートがカタカタと震えているのに気が付いた。
(どうしたんですか……?べるぜびゅーとさま。)
(おい……その白髪の男、ヤバイぞ。かなり濃密な"龍"の臭いがする。全盛期の私でも勝てんかもしれん……)
「おいおい、本人の前で作戦会議か?ベルゼビュートさんよ。」
「っ!?」
ベルゼビュートが、息を飲んだ。
白髪の少年は肩をすくめ、歯を見せてにかっと嗤う。
「オレは……この国が好きだ。ギルドの仲間は、もっと大好きだ。」
白髪の少年は、状況が分からずポカンとしているベルを放って、
ベルゼビュートに語りかける。
「ギルドに入ったその嬢ちゃんに免じて、今はアンタを見逃してやる。」
『……でも』と前置いて、少年がドスの効いた声で言った。
「ーーこいつらを傷付けた時は、オレがお前に"終わり"を与えてやるよ。」
自分を睨む鈍く光る銀の瞳に、ベルゼビュートは脊髄を冷えた手で鷲掴みにされたかの様な悪寒を覚えた。
そして白髪の少年はベルへ優しげに微笑む。
「遅れたけど……オレの名前な、レンってんだ。よろしくな。」
白髪の少年……レンから差し出された手を、ベルはーー
パチン
ーー振り払った。
「べるぜびゅーとさまを、いじめるな……!」
先程までのぼんやりした目とは比べ物にならない、敵意……いや、殺意に片足を踏み込んでいるであろう感情が籠った目付きで、ベルはレンを睨み返した。
「ははっ!皆、オレってばフラれちまったよ!」
肩をすくめ言ったレンに、ベルゼビュートの存在に気がついていない冒険者達は『残念だったな』と笑った。
「ま、あんましその蝿を信用しない様にな?お嬢ちゃん。そいつは本来、ヒトに仇なす存在だ。さて……俺は焼きトウモロコでも食うかな。」
ヒラヒラと手を振りながら去っていくレンが見えなくなるまで、ベルは睨んでいた。
そんなベルの肩に、背後からポン、と手が置かれる。
「……おい、アイツに何か言われたのか?」
振り替えると、そこにはギルタニオンが立っていた。
(おいベル。さっきの……レンとかいう奴について聞いてみてくれ。)
(……わかりました)
いつになく真剣な様子のベルは、ギルタニオンの目をしっかりと見て、話し掛けた。
「さっきのひと、だれですか?」
「ん?あいつは……まぁ、妖怪みたいなもんだ。俺が生まれるずっと前から、ギルドに居たらしい。いっつも冗談ばっかり言ってるが、悪いやつじゃない……と思う。見た目は人間だが、長命種なのかもな。」
そう言ったギルタニオンは、机に置かれたジョッキの中身を見て訝しげな表情になった。
「……なんだ、これ。」
「らずべりー、じゅーすです。」
ギルタニオンの目が見開らかれる。
「ここに……ラズベリージュースなんてメニューねぇぞ。なに飲ましたんだアイツ……?」
ベルゼビュートは、血の気が引いていくのを感じた。
あんな、怪しげな男の特製ジュースなんて、一体どんなゲテモノが入っているか分かったものではない。
(ベル!ぺっ、てしなさい!)
「はい!ぺっ!ぺっ!」
「おい!ギルドに唾を撒き散らすな!……ああもう!」
ギルタニオンが、ぶつぶつ文句を言いながら雑巾で床を拭き始める。
そんなギルタニオンを面白そうにクスクス笑いながら、先程の受付嬢が冒険者登録セットを持ってベルの向かいの椅子に腰掛けた。
「ええと……あなた、お名前はなんて言うのかしーー」
「ベル!ですっ!」
ベルはかなり食い気味に、体を乗り出しながら、大きな声で直前にベルゼビュートから付けられた名を告げた。
まるで『自己紹介』がこの世で最高の娯楽だとでも言わんばかりに、嬉しそうな顔をしている。
「そ、そうなのね。良い名前ね。」
「はいっ!はいっ!」
若干引いた様子の受付嬢に気が付くわけも無く、ベルはにへらと笑い、頬杖を突きながら口の中で自らの名をころがした。
「あのね、本当は得意武器とかを質問するんだけど、あなたは……うん、無いわよね。武器。強いて言えば可愛い事ぐらいしか無いわ。」
そう言いながら、受付嬢は青色の紙を取り出した。
「それは……?」
「ベルちゃん、この紙に触って、『ステータス』と言ってみて。」
「はい、すてーたす!」
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『ベル』
状態:通常
Lv:2/50
HP20/20
魔力200/200
攻撃力20
防御力15
魔法力180
素早さ20
装備:
『破れかけた孤児の服』G-
『破れかけた孤児のズボン』G-
通常スキル:
『土下座』Lv7
『大陸語』Lv1
固有スキル:
『システム:■■■■』
耐性スキル:
『毒耐性』Lv5
『飢餓耐性』Lv8
『殴打耐性』Lv4
『火炎耐性』Lv2
『恐怖耐性』Lv6
『苦痛耐性』Lv7
称号スキル:
無し
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「凄い数の、耐性スキル……」
受付嬢とベルゼビュートの顔が、苦し気に歪む。
中でも『飢餓耐性Lv9』は彼女の心をかなり痛ませた。
魔力と魔法力は、かなり優秀、天才と言っても差し支え無いだろう。
だがそれ以上に、この少女が今までに味わった苦痛を追体験するようで、受付嬢はすぐに目を背けた。
「と、とにかくっ!あなたには魔法の才能があるわ!私が幾つか教えてあげるから!」
「まほうっ!?」
そんな受付嬢の心中も露知らず、ベルは『魔法』と言う単語に目を輝かせる。
「そうよ。まずは……とりあえず護身用に、"魔弾"ね。魔力を圧縮して放つ無属性魔法で……多分ベルちゃんの魔法力なら弱い魔物程度だったら倒せるわ。」
「まものっ!まもの、たおしたいです!そしたら、べるぜびゅーとさまに、ほめてもらーーいたっ!」
ベルの興奮が頂点に達しかけた時、胸元に痛みが走る。
ベルゼビュートが、軽く肌に爪を立てたのだ。
(私の存在がバレれば、宿主の貴様もろとも殺されるぞ!安易にベルゼビュートという名前を出すんじゃない!)
「ご、ごめ、んなさ……」
「……お前、何と話してんだ?」
「なんでも、ないですっ!」
床を拭いていたギルタニオンがそう質問すると、ベルは胸元を隠しながら焦った様子で言った。
それを、胸が見えてしまわないか心配しているのだと勘違いした受付嬢は、この子にちゃんとした服を買ってあげなければ、と思った。
■□■
それから小一時間、ベルは二つの魔法を習得することに成功した。
『灯火』と『風起』だ。
効果を分かりやすく言えば、マッチとうちわ程度。攻撃には使えようはずもない。
しかしベルは、心底嬉しそうな顔をしながら、胸元のベルゼビュートをチラチラ見ている。
『……えらいぞ、ベル。』
「っ、はっ!はいっ!がんばり、ますっ!」
「……だから、何と話してんだ?お前。」
訝しむギルタニオンを尻目に、ベルはにまにましながら『べるぜびゅーとさまにほめられた』と何度も口ずさむ。
ベルゼビュートは、安い奴だな、とため息を着いた。
「そういやお前、宿はどうすんだ?今日はもう暗い。依頼には出れないぞ。」
「ここのゆかで、ねてもいいですか?……そとの、しろくなったじめんは、つめたいんです。」
ギルタニオンの質問に嫌な記憶を思い出したのか、ベルは小さく体を震わせながら静かにそう言った。
「……はぁ、ちょっと待ってろ。」
そんなベルを見て、ギルタニオンは面倒そうに頭を掻きながら受付嬢の方へ歩いていき数分ほど何かを話した後、戻ってきた。
「ギルド職員用の寮の中に、一つ空きがあるらしい。そこにお前が住めるように話をつけておいた。」
「しょくいん……?りょう……?」
「……ああっと……要するに、今日から、ここがお前の家って事だ。」
ギルが、その強面を慣れない笑みに歪め、優しい声で告げた。
それを聞きベルはポカンとする。
そして、少しの時間を置いてからその言葉を理解しーー
「っ……」
ーーとてつもなく、恐ろしくなった。
この人達が、何が欲しくて自分に優しくしてくるのか、どうしても分からなかったからだ。
自分が、他者の欲しがる『良いモノ』を何も持っていない事ぐらい、見れば分かるだろう。
だから、『良いモノ』ではなく『大切なモノ』を代価にしてくると思った。
……昨日までの自分には、到底無縁だった存在。
自らの胸の中、確かにあるベルゼビュートという『希望』を奪われると思ったのだ。
……ベルは、人の善意に触れた事が無い。
彼女が今までの人生で『ヒト』という存在から学んだ唯一の事柄、それは『優しさ』でも『醜さ』でもない。
『人は、対価も無しに誰かの為には動かない』という恐ろしく、そして、どうしようも無く冷たい、この世の真理だけだった。
「……あれ、何で震えてんだお前……?」
「ちょっと……泣きそうじゃないですか!?やっぱりギルさんの顔が怖かったんですよ!ほらほら、大丈夫だよーベルちゃん。お姉さんと一緒にお部屋まで行きましょうねぇー」
「い、やっ……!やです……!べるぜびゅーと、さま、は……わたし、の……っ!」
「お前も泣かれてんじゃねぇかよ!」
「ち、違いますっ!これは……あ、あれっ?おかしいな……ベルちゃん……?」
号泣するベルを、受付嬢はあの手この手で慰めながら寮へ連れていく。
しかし結局泣き止むどころか余計悪化するばかりで、困り果てた受付嬢は、一旦ベルを部屋に入れ、『ちょっと待っててね!』と言い残し、子育て経験のある同僚に助けを求めに走っていった。
「う……っ……ひ、ぐ……っ!」
『……ベル、何故泣いている?貴様は、自分が死にそうな時だって、泣かなかっただろう。』
「だっ、て……っ!『いばしょ』なんかもらったら……きっ、と、だいじなものを、もってかれ、ちゃう、から……っ!わたしには、べるぜびゅーとさましか、ない、からっ!」
たどたどしい、嗚咽混じりの言葉だったが、ベルの言いたいことをベルゼビュートは大体理解した。
要するに、こいつには『善意』という感覚が無いのだろう、と。
あの冒険者達が、対価として自分からとんでもなく大事なものを持っていこうとしているのだと、思ったのだ。
……ならば
『……ベル。もし、の話だが……お前がある日突然、『無敵の力』を手に入れたとして、その時に何を成す?』
ベルゼビュートは、ベルの頬につたう涙を、布でくしくし拭きながら、そう問い掛けた。




