131.選定者
改稿しました。
『貴様、どこか金を稼げる場所を知らんか?』
ベルゼビュートの質問に、少女はとてつもなく真剣な顔で考え始める。
そして数十分後、いよいよベルゼビュートがウトウトし始めた頃、少女が「あっ!」と叫んだ。
『どうした!思い付いたか!?これだけ考えて体を売るとか言ったら張っ倒すぞ!』
「ぼうけんしゃ、ぎるどです!いつも、なかからおいしそうな、においがしました!」
『ナンセェンス!食い物の話をしてるのでは……あれ、貴様今、冒険者ギルドと言ったか?』
「そ、そうです。」
ベルゼビュートは顎に前足の一本を添え、一瞬考えた後、納得した様に唸った。
『確かに……あそこなら貴様の様な薄汚い雌餓鬼でも仕事にありつけるだろう。』
「めすがき……わたしは、うすぎたないめすがき、ですっ!」
「……ごめん、勢いで言ったけど、なんか罪悪感が凄まじいから止めてくれ。」
「うすぎたないめすがき、がんばって、おしごとします!」
ベルゼビュートは頭を抱えた。
まるでペットに『ハウス』としつけていたら、自分の名前を『ハウス』だと勘違いさせてしまったような感覚だった。
とにかく、自分がとんでもなく下卑な存在のように感じられた。
『自分を薄汚い雌餓鬼とか言うの辞めなさい!そういうのは、私みたいな魔物が言うから映えるのだっ!貴様が自分で言うと、なんか、私が幼女を洗脳して奴隷にしようとしてる単純にヤバイ奴みたいじゃないか!』
「で、でも、なんていえばいいのかわからなくて……」
そう言われベルゼビュートは、ようやく自らの失念に気が付く。
こいつには、名前が無いのだ。
早急に、考える必要がある。主にベルゼビュートのメンタルのために。
『貴様……何か、好きな食い物はあるか?』
とりあえず、好きな食い物とかなら失敗はしないだろう。とベルゼビュートは思考する。
りんご、とか、ミカン、とか、チョコ、とかーー
「そらからふってくる、みずです!」
……予想はしていたが、実際に言われるとこう、何か心に来るものがあった。
なんだ、空から降ってくる水って。要するに雨水だろう?
『一応聞くが……何故だ?』
「つめたくて、あんまりおなかがいたくならないからです!」
ベルゼビュートは、『可哀想な奴だ。』と言う言葉を必死に呑み込んだ。
自分は誇り高き魔王軍の幹部なのだ、と。人間などに情を移してはいけないのだ、と。
……だが。
『……とりあえずギルドに行って、金を得るぞ。それから飯だ。』
一度ぐらい、この憐れな娘に美味いものを腹一杯食わせてやるぐらいは良いか、と思う、ベルゼビュートであった。
『……お前、何か好きな物は有るか?』
「べるぜびゅーとさまですっ!」
『ははは……じゃあもう貴様の名前『ベル』とかで良いか。私は本来、考えるのがあまり好きではないのだ。』
「っ、え、あっ……!べるぜっ、べる、べる……!はいっ!……えへへ、おそろいだ……」
……こいつは馬鹿だが、本当に幸せそうに笑うな。とベルゼビュートは呆れ混じりの笑みを浮かべた。
□■□
『い、良いか!?さん、にー、いち、で入るんだぞ!あと、中に入っても怖いお兄さん達に生意気な口を訊くんじゃないぞ!絡まれたら、とりあえず土下座だ!』
「どげざ、とくいです!これで、きゅうねんかんいきのこりました!」
夕暮れの王都、一人の孤児と一匹の蝿が、冒険者ギルドの前に居た。
ベルゼビュートは見つからないよう身を縮め、少女の胸元に入り込みそこから指示をだす形となった。
『行くぞ……!さん、にー……』
「こんにちは!」
『ばか!私のタイミングで行かせてくれ!心臓飛び出そうになったぞ!』
キィィィ、と軋んで閉まるドアに退路を塞がれた気がして、ベルゼビュートの胃が痛む。
ギルド内を一瞬の沈黙が支配したあと、なぜかドヤ顔で佇むベルを見て、荒くれ者どもの馬鹿笑いが響き渡った。
「どうしたのかな、お嬢ちゃん?パパのおつかい?」
そそくさと近寄ってきた受付嬢がしゃがみ、少女に目線を合わせて笑顔でそう聞いた。
(べるぜびゅーとさま、なんていえば……)
(冒険者になりたい、と言え。)
「わかりました!ぼうけんしゃに、なりたい、です!」
冒険者たちの表情が、笑顔から一転、真顔に変わった。
『食うに困った孤児が、流れ着いてきたんだろう』と思ったのだ。
事実、この中にも幾らかのスラム出身者がいた。
そして、孤児から冒険者に成った者の九割が、一年以内に死んでいる。
装備もなく、知恵もない。
みな、ベルをそういう類いだと思ったのだ。
「……お嬢ちゃん、ギルドの善意か悪意か分からないけど、冒険者登録に年齢制限は無いわ。……そして登録を拒む権利も。だけど、止めた方がーー」
「おう、受付の嬢ちゃん。ちょっと退けや。」
「ぎ、ギルさん!?こんな子供相手に……」
受付嬢を押し退け近付いてきた男を見て、ベルゼビュートは冷や汗をかいた。
切り傷の多い肌、眼帯、そして、背中に携えた大剣。
明らかに実力者だ。
『ベル、土下座の準備だ。』
小声でベルに告げるが、返答が無い。
よく見ると、足が小刻みに震えている。
しかしその顔は、無理に作ったであろう歪な笑みに塗り潰されていた。
こいつ、馬鹿に見えて、外面を繕うことは覚えているのか。
……いや、生きていくため、覚えざる負えなかったのか。
「俺はなぁ、てめぇみたいな餓鬼が一番ムカつくんだよ。」
男が、ベルを威圧するようにゆっくりと背中の大剣へ手を伸ばす。
だがベルは、ピクリとも動かずに先程までの笑顔を浮かべたままだった。
足の震えはどんどん大きくなっている。
「出てけよ。」
男が詰め寄って、胸ぐらを掴んだ。
ベルは動かない。
「出てけっつってんだろうがぁっ!!!」
男の怒号が挙がる。
ベルはーー
「ぁぐ、っ……ごめん、なさい……」
張り付けられた笑顔のまま、静かに泣いていた。
事の行く末を見守っていた冒険者たちは、胸が痛むのを抑えられなかった。
こんな小さな子が、自分達でも一目置いている巨漢に詰め寄られてなお、笑顔を作っているのだ。
イカれている分けではない。泣いてしまうぐらい恐くて恐くて仕方がないのに、それを押し退けて笑っていた。
冒険者たちは知っている。
辛い思いをした子供達は、笑顔を使うのだ。
楽しいからではない、幸せだからではない、ただ恐ろしいから笑うのだ。必死に顔を歪めて。
自分を騙すために、世間をかわすために。
「ごめん、なさっ……」
防衛手段として、笑顔を使うのだ。
「……おい。登録用のカード持ってこい。」
ギルと呼ばれた男が、静かにそう言った。
「え……?」
「どうせ、ここを追い出されたら行くアテも無ぇんだろ?昔の俺もそうだったからな。良いぜ、やってみろよ冒険者。」
ギルに命令された受付嬢が、少し安心した様な顔で、登録用の一式を持ってきた。
「あ、ありがとうございますっ!おじさん!」
「……俺はまだ三十歳だ。おじさんじゃねえ。」
「三十路はおじさんですよ。ギルさん。」
「うるせぇ!」
おちょくってきた受付嬢にギルがキレると、ギルドに先程までの明るい空気が戻った。
戦う力の無い孤児や、どうしようもないチンピラが冒険者登録をしに来た時、その選定者となるのがこのギルという男だ。
絡み、威圧し、ある時は実力行使に出る。そして、そいつらをギルドから追い出す。
……チンピラには暴力を、孤児には幾ばくかの金銭を渡して。
本当に珍しいのだ。ギルの『選定』をクリアする者は。
「俺の名は、ギルタニオン。砦落としのギルタニオンだ。」
ギルタニオンは静かに、手を差し出した。
「嬢ちゃん、その人かっこつけてってけど、先月変なウサギのモンスターに吹き飛ばされて大怪我したんだぜ。ウケるだろ?」
「だからうるせぇよ!」
白髪の少年が茶々を入れると、ギルドが爆発的な笑いに包まれた。
誰もが笑顔で酒を煽り、大切な仲間たちと馬鹿笑いしながら賭け事や食事に興じている。
ベルの、見たことも無い世界だった。
スラムの人々のギラついた目しか知らないベルは、それがとても暖かく思えた。




