126.製龍侵虐呪廻村カリス
柵をくぐり村の中へ入ると、その先は異様なまでに静かだった。
民家が倒壊し、それを覆い隠すように雪が降り積もっている。
「村人が、誰も居ない……?」
無事な民家の中からも、人の気配は全くしない、全てもぬけの殻。……なぜだ?
「ここには、もう誰も残っていません。」
その時、背後から老人の声が聞こえた。
「……誰だ。」
「ははは、そんなに身構える事は無いでしょう。私はただの、全てを失った哀れな老人ですよ。」
振り返るとそこには、安楽椅子に揺れながら夜空を見上げる長老の姿があった。
その表情は疲れ切っており、諦めや達観などの感情が伺える。
「……他の村人は、どうした。」
「やはりか……固有スキルを二つ取り込んでも理性を保っている。どうやら貴方はかなり優秀な“器″の様だ。グルットでなく騎士様を使っていれば、私の悲願も叶ったやもしれない。」
長老はクツクツ笑いながら、『もう後の祭りですが』と言った。
笑ってはいるが本当に残念そうで、俺を品定めするみたいな目で見ている。
「質問に、答えろ。」
俺が今度は屠龍聖剣を突き付けながら問い掛けると、長老は両手を上げ、肩を竦めた。
「……この土地は、龍因子に犯され過ぎました。住み続ければ、時期に龍の病に感染してしまうでしょう。ちょっとしたツテがありましてな。他の皆は、王都に避難済みです。」
淡々と、長老は告げる。
……屠龍聖剣の説明文でも見たが"龍の病"とはなんだ?
「龍の病?」
俺が訪ねると、長老は少し怪訝そうな顔をした。
「……ふむ?なるほど、ご存じ無いのですか。ならば……少しだけ、昔話に付き合って下さいますかな?」
そう言うと、長老の横に黒いもやが現れた。
俺は身構えたが、そこから出されたのは一つの瓶と、二つの白い陶器だった。
「……それはなんだ?」
「熱燗です。この寒空で話すのですから、何か温まる物が要るでしょう?」
長老がきゅっ、とフタを開くと、辺りにアルコールの匂いが撒き散らされた。 僅かだが葡萄らしき香りもするから、果実酒だろうか。
トクトクと音を立てながら二つの陶器に並々に酒を注いだ長老は、片方を俺へ差し出してから静かに語り始める。
「数十年程前の事になりますか……この国は、未曾有の大飢饉に襲われていました。辻風や地震、聖戦時代に死亡した上級魔族の魔石が表層に出たことによる魔物の大量発生などの災害が冬期に一斉に起こったせいですな。」
一旦区切りをつけると、長老が大きく酒を煽った。
それに釣られて俺も何となく熱い酒を口許に運んだが、口の中が切れっぱなしなせいで血の味と鉄の香りしかしなかった。
「……この村も例から漏れず、みなが飢えていました。あの時は、たとえそれが毒虫でも全員で奪い合う程のご馳走だった……そしてそれから少しし、もはや共食いもかくや、という所で、誰かがボソリと提案したのです。」
不意に長老はこめかみを抑えた。
手元の酒から立ち昇る白煙の向こうにある長老の表情は、苦痛や後悔に染められているのが分かった。
「その提案は……子供たちを殺して口減らしをしよう、という物でした。」
その言葉を聞き、俺は自分の顔がひきつったのを感じた。
……たしか、口減らしと言うのは、少しでも一人当たりの食物の配分を増やすため、働けない子供や老人を殺すことだったか。
……この村で、過去にそんなことがあったのか。
「もはや、反対する者は誰も居ませんでした。……無論、私を含めて。今思えば、あの時既に皆狂っていたのでしょうな。みな次の日から、『龍神への生贄』と称し子供たちを泉に沈めて殺し始めたのです。」
『……しかし』、と前置いて、長老はまた口を開く
「何の因果か……口減らしで殺された子供の一人に、微量の『龍因子』を持っている者がいたのです。名はアナグと言いました。」
アナグ、という名前に聞き覚えがあり、俺は首ををかしげた。
たしか……祟り龍の、正式名称だったか?
「龍神への生贄だと大人に言われて殺された子供達が龍の姿を思い描きながら死んだこと、その中に龍因子が混ざったこと、その泉が極大の魔脈だったこと……様々な要因が重なり、数年の時を経て、架空の"龍神"の偶像から一体の"半龍"を産み出すに至りました。それが、あの祟り龍のルーツです。」
……祟り龍の体に張り付いていた無数の子供の顔にはそんな理由があったのか。
予想以上にエグい話だ。
でも、それは"龍の病"とは関係ないだろう?
「龍の病、とやらはどうなったんだ?」
「……騎士様は、グルットの体から黒い泥が出てくるのを見ませんでしたか?」
たしか、傷口から漏れ出た黒い泥が腕を象っているのを見たな。
「見た。」
「あれこそが、龍の病の根源である"龍因子"です。人にとっては猛毒であり、龍にとっては……御馳走、と言っても良いでしょうな。」
「御馳走?」
「ええ、龍は、龍因子の数によって『格』が決まります。だから龍は、例外なく因子を求めるのです。」
長老が、今度は静かに酒を啜った。
そして、酔いが回ってきたのか少しトロンとした目で続ける。
「……忌まわしきヤツらが撒き散らす"龍因子"に犯されれば、甚大な膂力を発揮する代わりに理性を失います。人も、魔族も、例外無く……みんな、それで死んだのです!私が、殺したのです!はっ、ははははは!」
長老が、狂ったように笑い出した。
数秒間そのまま狂笑していたが、それを訝しげに睨む俺を認識すると、急に真顔へ変わり、こちらをじっと見詰めながら、溜め息を着いた。
「……あなたも、早くこの地から逃げた方が良い。いくら因子に耐性を持つとは言え、長持ちはしないでしょう。」
……龍因子で危ないのは、こいつも同じだろう?
自分は逃げないような口ぶりだな。
「お前はどうするんだ?」
「そうですね……クク、凍死するのが先か、龍因子に精神を淘汰されるのが先か……どちらにせよ、私はこの地に骨を埋めるつもりです。星空を見詰めながら愛した村と心中するなど、私にしては上等な最後ではないですか?」
自嘲気に嗤った長老には、もう生きる気が無いように見えた。
……でも、村が無くなるなら、こいつは、グレイは……
「グレイは、どうなる?」
胸元のグレイを見ながら俺が問い掛けると、長老の顔からふっ、と笑みが消えた。
「……おや、 ソレはまだ死んでいませんでしたか。”灰子”は生き汚いですからな……」
「ハイシ?」
「……ああいえ、こちらの話です。……それはこの村以外では生きていけません。差別にあって殺されるのがオチです。処分が面倒ならば、私が殺しましょうか?」
そう言った長老の背後から、一本のツタが出てきた。
ハーネスを貫いたのと同じものだ。
こいつ……っ、村の仲間だろ?なぜ簡単に殺そうとできる!?
「やめろ!」
俺が叫ぶと、突然つむじ風が発生してツタを捻じ切った。
長老の顔が驚きに染まる。
これは……グルットの使っていたのに似てるな。
こいつが『空間制圧』、か?
「……凄まじい。グルットでさえ双大剣を媒介にしなければ発動は困難だったのに……ああ、ほんとうに、惜しいな。」
「次は、お前の頭蓋を捻じ切ってやろうか。」
「はは、おっかないですなぁ……まぁ、グレイスは騎士様が面倒を見てやってください。その子は貴方に甚く懐いていますから。」
俺が、こいつを?
眠っているグレイへ目を落とす。
……放っとく分けにもいかないし、家に連れて帰るか。
長老に預けるなんて論外だ。
「分かった。」
「……おお、良かった。それで、その子も報われる事でしょう。」
俺は長老に背を向け、歩き出す。
後ろから聞こえてくる老人の笑い声は、俺が森に戻るまで消えることは無かった。




