118.崩れる体
「スー……スー……」
「……さて、と。」
あれから時間が経ち日が少し落ち始めた頃、ブラウが眠ったのを確認し俺は外に出た。
村に行けないとなると、問題になるのは食料面だ。
ブラウは問題ないが、俺もハーネスも食べ物が無ければ死んでしまう。
冬は果実が実らないし、魔物も多くない。だから余裕が無くなる前に何か喰える物を捕まえる必要がある。
……しかし頭が痛い、目も霞んでよく見えないし、手足の感覚が無い。村で目を覚ました時からずっとそうだったが、魔力変質じゃ治らないな……
「……よし。」
気を取り直すため澄んだ空気を吸い込み、歩き出した。
冬の森は静かだが、今日は特に何も音がしない。
「……し……さまーー」
「ーーへ……をーー」
その時、何かの声が俺の鼓膜を揺らした。
……なんだ?
耳を澄ますと、森暮らしで磨かれた聴覚がその発生源と場所を正確に特定した。
「……カーニャ、か?」
一人は村娘のカーニャ、もう一人の声は確か……門番のグレイだったか。
……まぁ、何をしに来たのかは分からない、知った事ではない。
俺はもう、あいつらとは他人なのだから。
「ーー!」
「ーー!?」
遠くへ聞こえる声が、呼び掛けから悲鳴に変わった。
……馬鹿だな、あいつら。
グレイは弱い。ランクにしたら多分E-ぐらいだ。
ただでさえこの森じゃ1時間持たずに死にそうなのに、非戦闘員のカーニャを守りながらだと、その難易度は飛躍的に跳ね上がる。
死ねばいい。自分の無力を呪いながら惨たらしく死ねば良いんだ。
「た……すけーー!」
「……ああ!」
ヤケを起こしたみたいに頭を振って叫んだ後、俺は全力で走り出した。
何も悪くない奴が自分の救える範囲で痛い目に合うのは、気分が悪い。
……上手くは言えないけど、俺はそういうのが大嫌いだ。
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【『スノーウルフ(龍憑き)』ランクC-】
【微量の『龍因子』を取り込んだ『スノーウルフ』】
【低かった知能は更に削れ、その分狂暴性が増した。】
【その胸中を支配するのは加虐心と飢餓のみ。】
【″格″を持たずに龍因子を行使する代償として、その肉体は崩壊に向かっている。】
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顔の半分を真っ白な鱗に侵食されたスノーウルフが、二人を襲おうとしていた。……なんだあれ。祟り龍の影響か?
瞳孔は黒い泥に侵食されぐちゃぐちゃになっている。
そして……ランク、C-か。
通常のスノーウルフはE程度のはずだから、驚異的な進化と言える。
「ゲリァァァ!」
……でも。
「グラァァァ!?」
俺の、敵じゃない。
砕け散ったスノーウルフの頭蓋が、雪の上にベットリとした脳漿を撒き散らした。
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【経験値400を得ました】
【『斎藤建一』のレベルが43から44へ上がりました 】
【『殴打』のレベルが1から2へ上がりました】
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久々の通知を聞きながら、俺は二人に振り返った。
グレイは手足を震わせ驚いた顔で、カーニャは雪にへたり込みながら俺を見ている。
「き、騎士様!」
立ち去ろうとした俺の背へ、グレイが少し上ずった声で言った。
「……なんだ。」
「騎士様……良かった。あの時のはやっぱり何かの間違いだったんですよね……?貴方が僕達を殺そうとするなんて有り得ない……」
グレイはすがる様な声色で問いかけてきた。
……俺には村を壊そうとしたつもりも、記憶も無い。
長老のツタにハーネスが貫かれた後、目の前が真っ赤になって気が付いたらベッドに寝かされていた。
でも、何となく自分が村人達に危害を加えようとしたのだけは分かる。
「村に、村に帰りましょう!グルットさんには僕から言っておきます!とにかく、村へ来てください、じゃなきゃ、貴方はーー」
「グルットも言っていたが、祟り龍が私を狙っているんだろう?それは心配しなくて良い。なんとかなった。」
「そうじゃなくて……っ! 」
グレイは言い様の無い苦痛に悶えるが如く、目で何かを訴えようとしてくる。
その瞳は涙に濡れており、喉まで出かかった感情を必死に呑み込もうとしている様に見えた。
「……死んじゃうんです。」
その時後ろでずっと顔を伏せていたカーニャが、ボソッと言った。
……死ぬ?誰が、俺が?
「……なに?」
「カーニャ!」
「……グレイス。言った方が良いよ。そうじゃなきゃ騎士様は納得してくれないから。」
カーニャが、ゆっくりとした足取りで歩んでくる。
「……騎士様が眠っている間、お父さんが診察したんです。一応薬師ですから、医学はできます。だから、間違いありません。」
まるで罪状を読み上げるが如く、淡々とカーニャが告げる。
「騎士様の体、無理矢理繋ぎ合わせたみたいにぐちゃぐちゃだって……あの時に使った『狂化』で限界が来て、色々な場所にガタが来てるって……!目も、体も、内蔵も、筋肉も、骨も、全身の血管が破裂してもう手の着けようが無いって!」
一度に言ったせいか、カーニャは息を切らしながらこちらを睨んできた。
……道理で、目が霞んだりしてたわけだ。
あれ、待てよ?診察したってことは、俺の姿を見たのか?
「……私の顔、見たのか?」
「……見ましたよ。」
その言葉を聞いて、俺は逃げ出したくなった。
だって、ならコイツらに今見えているのは、『騎士様』ではなく『化物』なのだから。
「だったら、どうして私に……」
「関係無いんですよ……っ!貴方が人間だろうとそうじゃなかろうと、僕達には!今まで騎士様が村から変に距離を取っていたのがそんな理由で、これからもそうしようとしてるのなら、僕は絶対に許さない!」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらグレイが叫ぶ。
俺は頭を殴られた様な衝撃を感じた。
……見た目は関係無い、って。ブラウも言ってくれたっけ……
「……ぼっ、僕には、もう家族も居なくて、友達だって居ないけど、貴方に助けてもらってほんとに嬉しかったんです!いつも優しい騎士様に……迷惑だと思いますけど。″兄″みたいな感覚さえ覚えていました!……っ、だから……!」
もう、言葉を紡ぐのさえ困難な程、込み上げる嗚咽を噛み殺しグレイは続ける。
「あなたは……あなただけはっ、居なくならないで下さい!」
「……私、は。」
灰色の髪を振り乱して絞り出す様に言ったグレイに、俺は何も言えなかった。




