117.歪んだ誓句
「ゲアァ!?」
姿の見えなくなったブラウに呆気に取られていると、遠くで祟り龍が空を見上げた。
その視線を追うと、そこには中天から凄まじい速度で落下するブラウの姿があった。
「グゲギャアガラァァ!?」
体の中央へ落下してきたブラウによって祟り龍は鯖折りの様な形になる。背骨どころか恐らく全身の骨格がばらばらだろう。
「ア゛ゥぁ゛ゥ゛アぅ……」
祟り龍が地面を這いずり逃げようとする。巨大な左腕を横に薙ぐとそこの空間が、丁度ヤツが入れる程の大きさに割れた。
「逃がすわけ無いでしょう。」
「アキャ゛ぁァ!?」
ブラウに握られた右足が、ミシミシと鱗の砕ける音と共に潰れていく。
片方の足が機能を失ったのを確認すると、ブラウは左足も同じように握りつぶした。
「……絶対に、許さない。」
「ウァぁぁウえ゛ェい!?」
「……お前の両腕も、もいでやるよ。あとアバラをガラガラに砕いて、そして腹をめちゃくちゃにして……ああ駄目だ。まだ、まだ足りない。あの人達を奪おうとした罪を購うのはそんなのじゃあ……」
ほとんど原型を失った頭部へ、拳が降り下ろされる。
何度も、幾度も、執拗に磨り潰すが如く。
ブラウの毛皮が初めて出会った時と同じく鮮血で染まるのに、そう時間は掛からなかった。
「ブ、ブラウ。もう大丈夫だ。」
「……ケンイチ、さん。」
怒りと憎悪に染まった瞳が、やっと俺の像を映した。
「……その、腕。」
「腕?」
「私が、遅かったから……!」
無くなった俺の両肩を見て、ブラウが震えている。
……そういやブラウ、魔力変質の再生能力を見た事なかったっけ。
恐らくグルットの武器を抜けば治るだろう。安心させてやらなければ。
「ブラウ、この腕は……」
「……ずっと、そうなんです。私はいつも1歩遅くて……」
「ぶ、ブラウ?」
「背負っていた物全部取り零して……地面を這いつくばって拾おうとしても、指先からどんどんはぐれていくんです。ケンイチ、さんも……ハーネスさんだって。」
ーーその時、俺は初めてブラウの泣き顔を見た。
いつもはピンと立っている耳をぺたんと頭に伏せ、ふるふると大きな体を震わせ、ぽろぽろと大きな涙を溢している。
鮮血に染まった体の中で、その両目だけが輝いて見えた。
「……ハーネスはな。」
「アキュ゛ゥェ゛ァアアア!」
「っ、まだ、生きて……!?」
雪に倒れていた祟り龍が悲鳴に似た濁った咆哮を上げると、その声の振動が伝わるかの様に、景色に波紋が出来た。
その波紋はすぐに巨大な穴に変わり、そこへ祟り龍が入り込んでいく。
「逃がすか……っ!」
ブラウが急いで追いかけるが、寸手の所で穴は消え、その突進は空を切った。
「……ブラウ。」
「……」
場を、静寂が支配する。
ブラウは自分を責める様に、顔を伏せていた。
俺は何故だかその静寂が怖くて、何かを言おうとする。
「なぁ、ブラウ。」
肩に刺してあった剣の群れを木にぶつけてなんとか撤去し、両肩を再生した。
横にしてあったハーネスを抱き上げ、俺は今度こそブラウヘ声をかける。
「……帰ろうぜ。」
「……」
「俺達の、家に。」
「……はい。」
とぼとぼと、ブラウは歩いていく。
あまり速くはなかったが、俺はとうとう家に着くまで、それに追い付く事は出来なかった。
■□■
「……ハーネスさんは、生きてるんですか?」
「ああ、生きてる。でも意識が無い、俺のせいだ。」
「いえ、私のせいです。最後にハーネスさんが訪ねて来たとき、彼女はぐちゃぐちゃでした。私には分かっていたんです。あの時に無理矢理にでも止めておくべきだったんです。」
淡々と、だが行き場の無い怒りを宿した声でブラウは告げる。
きっと俺と似たような声だったと思う。
会話が途切れる度に生まれる静寂を埋めるのは、ハーネスの緩やかな寝息だけだった。
「……ブラウ。」
「なんですか?」
「俺は、どうすれば良いんだろうな。」
気が付けば俺はまた、ブラウにすがっていた。
間違いを起こしてばかりの自分が怖くて、自らが時間を掛けて導き出さねばならないはずの『答え』をブラウに委ねてしまったのだ。
「……そんなの、決まってるじゃないですか。」
ゆっくりと、静かに、ブラウが言う。
「今度こそ、ずうぅぅぅっと、一緒にいましょう。私達を踏みにじる連中が居れば、私が片付けます。そうすれば、もう何も取り零さない。」
「……そう、だな。」
ハーネスの髪を撫でながら、俺は頷いた。
ハーネスが自殺紛いの事をやったのも、俺が『カリス村に行け』なんて言ったせいだ。そうに違いない。
ハーネスが死にかけたのも、カリス村に長老が居たせいだ。
前にブラウが連れて行かれそうになったのも、カリス村に行ったせいだ。
ずっとこの森に、3人で暮そう。
ーーそうすれば、ここはもう誰も傷付かない優しい世界なのだから。
俺の『友達』が欲しいなんて私利私欲で『家族』を踏みにじる事はもうしない。もうできない。
「……ハーネス。お前も、一緒だ。」
俺がそう言うと、ハーネスの顔が少しだけ悲しげに歪んだ様に見えた。




