116.ランク*《アスタリスク》
村から出た俺は、凍った森を歩いていた。
……もう、村には行けないのか。分からない事ばかりだが、それだけは確かだ。
グルットと話していた時、遠巻きに俺を見ていた村人たちの瞳に宿っていたのは純粋な『恐怖』だった。
自分の腕の中で死んだように眠っているハーネスへ目を移す。
薄い胸が浅く上下しており、服を捲って腹を見ると傷は塞がっていた。恐らくグルットが例の薬で手当てをしてくれたのだろう。
しかし傷は塞がっても、失った血液やその後遺症までは回復しないのか、脈はかなり弱い。……考えたくはないが、今後二度と目を覚まさない可能性もあるだろう。
「……あれ。」
その時俺は、なぜか物凄い違和感を感じた。
それも気のせいで済むものではない、強い嫌悪を伴うような……
ーーどうして俺は、こんなに冷静でいられるんだ。
「っ……!?」
今すぐ死んでしまいたいぐらいに悲しいのに、涙はおろか嗚咽さえ出てくれない。
本来ならあそこでグルットに掴み掛かっても良かったはずだ。『状況を説明しろ』とか『村人に被害者はいないのか』など、質問することはいくらでもあっただろう。
なのに、それをしなかった。
まるで熱伝導性の低い鈦の様に、内側で発生した感情の熱が表面化してくれないのだ。
……どうして?今まで、命を奪う事への抵抗が無くなったりする事はあったが、それは自分の状況に適応しているだけだ。この森でそんな事言ってたら、生きていけないから。
でも、これは……
「……もしかしたら。」
緩慢な動きで手の平を天へ掲げ、その谷間から漏れ出た鉛色の凍空を見つめる。
「俺はもう、とっくの昔に“人間″なんて失ってたのかもな。」
無意識に溢した声は、どうしてか自分の物とは思えなかった。
「お前はどう思う、ハーネス。」
胸元のハーネスヘ静かに語りかける。
その天使みたいに穏やかな寝顔が、もう二度と微笑む事が無いと考えたら、自分の中で何か大事なパーツが軋んだ気がした。
……何言ってんだ。コイツをがこうなったのは俺のせいなのに。喪った途端に手の平返してんじゃねぇよ。何様のつもりだ。
……ずっと、前の世界から、そういう類いの人種が一番嫌いだっただろうが俺は……!
「……馬鹿じゃねぇの。」
指先をハーネスの頬へなぞらえる。
涙の伝った痕がくっきりと残っていた。
「……俺はさ、お前のために泣いてやれないよ。」
ハーネスは俺の言葉であんなに傷付いていたのに。
俺は、なにも……
パリン、
「……なんだ?」
硝子が砕け散る様な音が、右方から聞こえた。
不思議に思い体を横に向けるとーー
「こぽ、ゴぼ、こポポぽ」
割れた空間から何かが這い出てくる。
無数の子供の顔面を無理矢理にサッカーボールサイズへ圧縮した様な頭部、異常に発達した左腕、そして全身を覆う真っ白な鱗。
ーー祟り龍、アナグ。
前に俺を殺しかけた存在が、そこには居た。
「……クソが。」
雪があまり積もっていない木の下へハーネスをそっと寝かせ、祟り龍に振り返る。
ぐじゅぐじゅと不快な水音を立てながら近づいてくるヤツを見据え、俺は体勢を整えた。
……魔力変質は使えない。前、ドレッドフィンブルの聖剣が腹に刺さった時と同じだ。傷口に突き立ったグルットの武具達が、発動を抑えているのが分かる。
もしかしてアイツの言ってた『龍因子』って魔力変質の事なのか?……いや、違うな。今はーー
【『屠龍聖剣』ランク*】
ーーハーネスのために目の前のコイツを、屠らなければ。
「……来いよ。」
「グァグァグァ……」
背中から屠龍聖剣を抜刀し、腰だめに構えた。
祟り龍は這いずる様に、左腕を地面に引きずりながら迫ってくる。
這いずる。とは言ってもその速度は凄まじく、200メートル以上あった間合いが一瞬で潰れた。
「……っ!」
振るわれた龍腕に反応できず、なんとか咄嗟に屠龍聖剣を挟み込みダメージの軽減を図る。
胸に剣の腹が叩き付けらた。
アバラが砕ける嫌な音が聞こえて俺は吹き飛び、木にぶつかった。
「げほっ、ぼっ!」
喉から込み上げてきた血塊で窒息しそうになり、思わず咳き込む。
めっちゃ痛ぇ。右腕は無いし、骨はぐちゃぐちゃ。再生も出来ない。
……でも、きっとハーネスはもっと痛かったんだろうな。
体だけじゃない、俺は、あいつの心まで踏みにじったんだ。
……だから、立て。倒れる資格なんてあると思うな。
「ゲグりァャ!?」
剣を支えになんとか立ち上がり、祟り龍をにらみ返した。
しかしヤツは何故か激痛に悶える獣みたいな声をあげ、もんどり打っている。
よく見ると俺に攻撃した場所……つまり屠龍聖剣に触れた所は、鱗が剥がれてピンク色の筋繊維が見えていた。
……これが『最上級の龍特攻』ってヤツか。活路が見えたぞ。
「グ、グ、グ、グ」
怒っているのか笑っているのか、祟り龍の無数の口が無数の弧を描いた。
向こうの龍腕がビキビキと音を立てながら再生し、また向かってくる。……反応は出来ない。よし、カウンター主体で行くぞ……!
軋む体を奮い立たせ、屠龍聖剣を持ち上げた。
「ゲギャ、ギャ、ギャ」
「っ、ぐうぅぅっ!」
鋭い爪が俺の肩を穿つ。屠龍聖剣ごと左腕が切り飛ばされハーネスの横へ埋まった。
駄目だ、壊れた体じゃ反応出来ない。それに両腕をもがれた。
「グレタァ、ベァ、ベグァグルト」
頭を掴まれ、持ち上げられた。
祟り龍が大口を開け、俺を食おうとしてくる。
万事、休すか……。ごめんなハーネス。俺なんかじゃ結局……
「ーーケンイチさん!」
「グァキャガェテイァァッ!?」
その刹那、地を震わす轟音と共に祟り龍が吹き飛んだ。
この、声は……
「ぶら、う?」
「助けに来ちゃいました。なんだか、ものすごーく嫌な感じがしましたから。」
大木を5本ほど突き抜けてやっと勢いが止まった祟り龍が、血濡れの体でブラウを見詰める。
その表情は恐怖でも怒りでもなく、今度こそ明確な歓喜の表情だった。
「……結構本気で殴ったんですけどね。」
自分の攻撃に耐えた祟り龍を見てブラウが少し警戒を強める。
そしてその姿を確認し、俺は初めて気が付く。
ーーブラウは、怒っている。
「じゃあ、次は……」
後ろにいる俺とハーネスを交互に見詰め、少し目を細めた後祟り龍に振り返った。
「ーー次は、殺すつもりでやれば良いのか。」
ゾク、と背筋が冷たくなる。
次の瞬間、ブラウが俺の視界から掻き消えた。
ガチギレブラウさんです。




