110.愚者の手記:後編
ざらついた羊皮紙の感触を確かめながら、俺は次のページへと目を滑らせた。
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錬金暦:蒼龍の月18日目
今日はケンイチが、いつでも遊び来て良いと言ってくれた!
本当に本当に嬉しくて、涙で前が見えなかった。
……そのせいで自分の仕掛けた落とし穴に2回ぐらい落ちて怪我をした。いたい。
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……そんなに嬉しかったのか、あいつ。
俺は胸が締め付けられるような痛みを感じた。
冑の下で顔をしかめながらも、またページをめくる。
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錬金暦:黒龍の月3日目
私は……儂はこんなに幸せで良いのだろうか。
今日はケンイチの家に訪ねに行った。
たくさん話をして、この日記を書いている今も体がふわふわしている気がする。
……ちょっと、問題があってお泊まりは出来なかったけど、とても楽しかった。
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……日記は、この日を最後に終わっている。
ハーネスの居場所の手掛かりがあるかと思ったけど検討違いだったな。
とりあえず部屋から出て、冷たい空気で肺を満たした。
いつのまにか外は吹雪いていて、雪が鎧の中に入ってくる。
……あいつは、一体どこに行ってしまったんだろうか。
歩き回って探すしかないな……。早く見つけなければ何をやらかすか分からない。
「前が見えない……。」
雪のせいで視界が非常に悪い。どの方角を見渡そうと白、白、白しかない。 ホワイトアウトってやつだ。
だがしばらく歩いていると、遠くに真っ赤な物体がある事に気が付いた。
なんだあれ……?とにかく行ってみよう。
雪を漕ぎながら近付いていくと、やっとそれの正体が分かった。
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【『リンボ』ランクF 状態:『プロテクション』】
【痛みやすく酸味が強い果実。】
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これはハーネスが魔法で劣化防止したリンゴだな。
そういやアイツともここで出会ったんだっけ……。
でもこれは吹雪の中でも見えるほど赤くはないよな?ならさっきのは一体……?
不審に思った俺はその木から目線を横にずらしーー
ーー真っ赤な雪の上に倒れ伏す、ハーネスを見つけた。
「はっ……!?」
胸が浅く上下しているからまだ死んではいない。
うっすらと開いた瞳が俺を見つけると、少し穏やかに細まった。
「ハーネス!?」
「ケン……イチ……?」
「その、怪我……自分で、?」
「……ほん、と、に、私は勇気がなく、て。こんな、に、悲し、いのに、怖くて怖くて、死ねな、かったんだ。……ごめ、んね?嫌なもの見せちゃって……見つから、ない場所、選んだと、おもったのに、」
ハーネスの手には自傷に使われたであろう鋭利な氷のナイフが握られていて、それが腹を切り裂いている。
「な、なんで……!?」
「……きっと、あの後に続く言葉を聞いたら、私は、あなたを傷付けてしまう、から。」
ピンク色の臓物が見え隠れしている腹部を押さえ、荒い呼吸でハーネスが言う。
「っ……!今、グルットから薬を……!」
「待って……。」
走り出そうとした俺の腕を、白く小さな手が掴んだ。
「……これ、ほんとに最後、だから……1つだけ、聞かせて……?」
「もう喋るなって……!」
「……あなたに、とってーー」
自分の声を聞いて、知らず知らずの内に涙を流している事に気が付いた。
早く、早く行かなければ、間に合わなく……!
「ーーあなたに、とって、私は、大切?」
予想外の言葉に俺の思考が一瞬フリーズする。
……今更、何言ってんだこいつ、そんなの、そんなの……。
「大切に決まってるだろ……!?」
俺が手を握りそう言うと、痛みに歪んだハーネスの顔が驚きに染まった。
「……本当に?」
「本当だよ……。」
「本当の、本当に?」
「本当だってば……。」
「私が居なくなったら、寂しい?」
「寂しいよ……!」
幾度かの問答の末、ハーネスはーー
「……あはははっ、嬉しいなぁ……っ!」
ーーふにゃふにゃの泣き笑いで、そう言った。
「良いから行くぞ!」
俺はハーネスを背負い、村に走り出す。
前にグルットに貰ったあの薬、あれを使えばきっとまだ間に合う……!
「死にたくないよ……。」
ーー死なせはしない
「あれ……?真っ暗だ……どこに行ったんだケンイチ……?置いて行かないでよ……。」
死なせて堪るか……!
「そ、その女の子どうしたんですか騎士様!?」
「通らせてくれ……!」
門番のグレイの制止を振り切って柵を蹴破り、俺は村の内部へ走り込んだ。
近くにいた長老が、何故か俺ではなくハーネスを凄まじい形相で見詰めている。
「長老!グルットはどこにいる!?アイツの薬が必要なんだ!」
「ハー、ネス、か?いや、まさか、そんなわけは……だが見間違うはずが……!?」
ボソボソと髭の生え揃った口を開閉させる長老に苛立ち、俺は詰め寄ろうとする。
こっちは人が死にそうなんだぞ……!時間が無いのを見てわかんねぇのか……!?
「おい、何とか言ったらーー」
「……騎士様、貴方の背に居るそのハーフエルフは……っ!」
善か悪かは分からないが、どうしようも無いほどに昂った感情を必死に押さえつけ絞り出した声だった。
俺はその迫力に思わず圧され、立ち止まる。
「……私の、妹なのです。」




