106.その醜さも愛そうと
「消える?」
俺はハーネスの言葉を聞き、困惑していた。
と言うか、なんで顔の左右で表情が違うんだ?急にそんなアグレッシブな変顔されても反応に困るぞ。表情筋どうなってんだ。
「消えたくない、消えたくない消えたくない……!あはは!わたしは、儂は!ずっと、あなたと、たいせつなひとに、消えてしまえ!、はぁあ、ははぁ!おとうさん!スープ作ったんだ!飲んでよケンイチ、ひぁ、血が、溢れて、痛いのです、」
ハーネスは床に座り込み、頭を抱えながら意味不明な事を言っている。
……恐いから逃げたいけど、ここで逃げるのはなんかコイツが危ない気がするな。
「落ち着け、ハーネス。」
「ぁ……。」
「大丈夫だ。俺が付いてる。」
手を握り、向こうを安心させるため何度も『大丈夫』と繰り返す。
徐々に目の焦点が合い、ハーネスは確かに俺の顔を写した。
しかしその表情は憎らしいような、悲しいような感情に染まっている。
「……どうして。」
「何がだ?」
泣きじゃくりながらハーネスが俺を睨んだ。
「どうして、そんなに優しくする……?」
「……どうしてって。」
「醜くて、取り柄も無くて、嫉妬深くて、薄汚くて、気持ち悪くて、卑屈で、生きていて何の意味もない紛い物に、どうして……!」
……いや、醜くないだろ。こいつが醜かったら俺はどうなるんだ。
「醜くなんてない。それに仮にそうだったとしても見た目は関係ないだろ。」
「うそだ、ならどうしてわたしが一番じゃないんだ!?……そうだ、お父さんも村の皆も長老様も!あなたもきっと居なくなる!……みんな、醜い物が嫌いなんだ……!」
……俺にもこういう時期があったっけ。
自分の容姿や状況に絶望して、他人からの好意と優しさも悪意と嘲りにしか思えなくなった事が。
こいつの場合は容姿に嫌悪を覚えてるみたいだが、こういう時に一番救われるのは安い励ましでも、ましてや環境の変化でもない。それは……
ーー自分より下の存在を、目の当たりにする事だ。
「ハーネスお前、俺の顔を見たいって言ってたな。」
「……え?」
「俺は今からお前に顔を見せる。その時まだ俺に好意を抱いているなら、『人は皆醜い物を嫌う』なんて考えは捨てろ。……もし、嫌いになったなら、お前の考えが正しい事になる。逃げたきゃ逃げれば良い。」
唖然としているハーネスを真っ直ぐに見詰めながら、俺は冑の留め具を外していく。
……顔を見せるのはブラウ以来で二人目か。
もう冑を外す事なんてないと思っていたが、大事な仲間が大変なんだ、文字通り一肌脱いでやろう。
俺は留め具を全て外し終え、冑に手を添えてーー
ーーハーネスの前に、顔を晒した。
「ひぁっ……!?」
蒼い方の目も紅い方の目も驚愕に染まる。
「これが俺だ。どうだ?お前なんかよりずーっと醜いだろ。」
「そ、の、姿……うそ……。あ、あ、あぁぁぁ……!」
ハーネスはフラフラと部屋の出口へと歩いていく。
「おい、ハーネス……。」
「くっ、くるな化物!お前はケンイチなんかじゃない!」
そう言い残し、怯えた目をしながらはハーネスはドアの外へと走り去った。
俺は静寂に満ちた部屋の中でポツンと取り残される。
……まあ、そうなるか。
何が『逃げたきゃ逃げれば良い。』だよ。本当に逃げられるとか、かっこ悪過ぎるだろ。
「……何やってんだろ俺。」
ふと横の鏡に写った自分へと目を移す。
魔力変質による荷烈な再生のせいか両目は紅くなり、僅かに赤い残光が線を引いている様にさえ見えた。以前よりも獣に近くなった顔は龍腕の影響か首筋に鱗が浮き上がっている。
……ただの怪物じゃねーか。
こんなのを受け入れてくれたブラウが異常だった。ハーネスの反応が普通なんだ。……だから。
悲しいなんて、思うな。
ーーsideハーネスーー
部屋から出た儂は、ぐちゃぐちゃになりつつある自我を抱えながら必死に走っていた。
……まるで、自分の犯した大罪から背を向け逃げるように。
『どうして逃げたの?早く謝りに行かなきゃ。きっとケンイチは凄く傷付いてる、あの人は私たちを愛そうとしてくれたのに。どうしてあんな、酷いこと、』
『ハーネス』が先程までの余裕ある態度とは打って変わって、切羽詰まり焦りきった声色で捲し立ててくる。
……自分だって、さっきのがケンイチだって頭では分かってる。
あの声で、あの口調で、あの目で。……ずっと自分が隠していた秘密を使ってまで、儂を救おうとしてくれた。
……そうだ、きっとまだ間に合う。あやまりに、あやまりにいかなきゃ。あや、
『……でも、もう消えちゃうね。』
ーー目の前がぼやけ、世界が横転した。
躓いたわけじゃない。
足に、いや四肢に力が入らないのだ。
「いや……だ……。」
自分という存在が、『ハーネス』へ吸い込まれ融け合う感覚。
「ケンイチに、ごめんなさいしなきゃ……。」
世界が遠のいていく。 ……きっともう、届かないのだろう。
一時の感情に身を委ね、差し伸べられた救いの手を振り払った時点で既に終わっていたのだ。……拒絶される悲しさは痛いほど知っているはずなのに、他でもない自分がそれをやってしまった。
「ごめんね、ケンイチ。」
瞬く星空へと手を伸ばしながら儂の意識は暗転した。泥寧の如き、後悔の海に溺れながらーー




