105.贋作少女の最期(side『 』)
「っ、な、ふ、……?」
深い微睡みに堕ちていた意識は一気に浮上し、見慣れた岩の天井が目に飛び込んできた。
「さっき、のは、ゆめ……?」
ああそうか、夢か。酷い夢を見た物だ。
きっと、一人になったからあんな怖い夢を見たんだ。
そうだ、ケンイチの家に行こう。あそこは自分が居ても良い場所なんだから。ずっと、寂しくなんてならない温かい場所なんだから。
『夢なんかじゃない。』
その時、自分にそっくりで酷く平坦な声が、頭に伴響した。
……ああ。
やっぱりあれは……あの記憶は、現実だったのか。それじゃあ儂はーー
『君はハーネスじゃない。……最早原形さえも留めない、紛い物の紛い物。ハイエルフの長老が作製した疑似人格だ。』
冷徹な声でハーネスが告げる。
「……なら一体、儂は誰なんだ。この60年間の孤独に、意味も名前も無かったのか……?」
『君には名前なんて用意されてないよ。さっきも言った通り、只のツナギだ。長老が【わたしに優しくしてくれる人を見つける】を目的に指定したからね。あの人が現れた以上、もうすぐ君は消滅するよ。わたしに交代する形でね?』
……ああ、薄々気が付いていた。
初めてこの声が聞こえた時から、自我が奪われかけている事に。
それにこいつの言う通り、この『紛い物』の生涯にきっと意味なんて無いんだ。
【いつでも遊びに来い、ハーネス。】
【気持ち悪くなんてない。】
【ずっと俺にスープを作ってくれ。】
【可愛いぞ、ハーネス。】
「っ……!」
ーーだってケンイチが言ってくれた言葉は、全て儂ではなく『ハーネス』へ贈られた物なのだから。
醜くて矮小なハーフエルフに優しさを振り撒いてくれたあの青年の目線の先に居たのは、自分などではなかったのだから。
ふと、部屋に設置してある鏡に目線を移すと、儂の片眼は『昔のように』赤く染まっていた。
……体の中で魔力が溜まりやすい場所は大きく3つ。心臓 、右眼、左眼だ。
濃密な魔力は体へ紅い色彩を発現させ、その臓器を加工すれば上等な魔道具となる。
あの記憶の中で見た長老の死体には両眼球が無かった。恐らくその臓器を目的に殺されたのだろう。
「……1つだけ、質問をしても良いか?」
『構わないよ。』
「お前はケンイチをどう 思っている?」
そう口に出すと、鏡に写った右目は少しだけ辛そうな表情になった。
『……彼が初めての親愛する人であるのは君だけじゃないんだ。わたしだってケンイチを愛している。……どうしようもない程にね。』
……よかった。
なら、自分が消えても『ハーネス』はきっとケンイチと友達のままだろう。そしていつかきっと、大切な人にーー
『……だけどね、きっとわたしは彼の一番にはなれないんだ。』
「……え?」
鏡の中の右眼がより一層哀しげに歪んだ。
『君は気が付いていていないかもしれないけど。ケンイチはあの魔族……ブラウにかなり依存している。それこそわたしの付け入る隙なんて無いぐらいに。』
「そんな、わけっ……」
『仮にわたしとブラウの2択になれば、彼は迷わずブラウを選択する。』
その時、自分の中で何か大切な物が崩れ落ちるのを感じた。
自我の消滅という恐怖からかろうじて心を守護していた脆い砦が、崩壊する。
「嘘だ……。」
「……嘘じゃない。」
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」
「……嘘じゃないんだよ。」
消えたくない、消えたくない……!
きっと今、ケンイチは儂の事を大事だなんて一欠片も思っていない。
ならせめて、大切な人だって、居なくなって寂しいって思って貰ってからじゃないと消えられない……!
でなければ自分は紛い物の紛い物どころではなくーー
まともに愛も知らない、憐れなヒトの残骸だ……!
『……おや、本人が来たみたいだね。』
背後から土壁の崩れる音が聴こえた。
「ハーネス!大丈夫か!?」
「……ケンイチ、儂はーー」
……儂は本当に醜い人間だ。
ケンイチに言っても向こうが嫌な思いをするだけなのに、今の自分の状況を伝えようとしている。
この優しい騎士なら、憐れな自分に外面だけでも愛を恵んでくれるだろうと思ってしまっている。
「儂は、消えてしまうんだ。」




