104.胡蝶の夢~下巻
「ただいまお父さん!……うん、寝ちゃってるよね。」
帰宅すると汚れた眠台の上で父親は酔い潰れていた。
少女は父親に毛布をかけた後、薄い布を体に掛け目を瞑むった。人生で初めての贈り物を、強く握りしめながらーー
~
「ーー!お……!長……死……!」「ーーきっと……あ……許……」
「んぅ……」
少女が異常な騒々しさを感じて目を覚ます、明らかにただ事ではないと思い、外へ出た。騒ぎの中心は長老の舘であった。嫌な胸騒ぎを覚え、人混みを掻き分け少女は長老の舘の前に立った。
「ぇあ……?」
地面を染める赤、赤、赤、部屋を埋め尽くす鉄の香り、そしてーーその紅い海の中で、『捻じ切れた』ピンク色の肉塊。
「冗談だよな……?長老が死んだ?」「誰がやりやがった!?ぶち殺してやる!」「長老……嘘……!」
なまじ長い耳が、その会話を正確に聞き取ってしまう。
そして、目の前の光景とその情報が合致し……。
肉塊の正体に、気付いてしまう。
世界がチカつく、上手く呼吸ができない、心臓の鼓動がバラバラで足並みを揃えてくれない。
「ぅあ、あ、あ……!」
ーー少女の心に、ヒビが入る。
ピシッ、
胸元の宝石の欠ける音がやけに遠くへ聞こえた。
「お、俺は見たぞ!昨日の深夜、アレが長老の家に入っていったんだ!間違いねぇ、アイツが殺したんだ!」
エルフの一人が少女を指差す。
「ついに本性を表しやがった!」「……早く処分すべきだった」「あんな薄汚くて醜い紛い物、死ねば良かったんだ。」
その中の一人が矢を放つ。穂先が白い肩を貫き真っ赤な液体を流れさせた。
その激痛で少女は意識を引き戻す。
ーー逃げなければ!
「っあ、違う!私じゃない!そんなことしてない!」
無駄だと分かりながらも弁明しながら、少女は集落を覆う森の奥へと必死に逃げ込んだ。
走り、走り、走り、なんとか大きな木の下で座り込む。
矢を抜こうとしたが魔物用の返しが着いており抜けない。
「痛い、痛いよ、痛いよ、痛いよ、……助けてよ長老様。…………おとうさん……!」
パキッ
胸元の宝石に一際大きな亀裂が入る。
矢に麻痺毒でも塗ってあったのか、意識が遠退く。
もう、立ち上がる事さえ出来ない。
「いたぞ!アレを絶対に逃がすな!長老の仇を取れ!」
集落の男衆が弓や杖を構え木の根本にへたりこむ少女へと定め、それら全てが一斉に打ち出される。
少女はぎゅっと、目を瞑った。
それとほぼ同時に肉を裂き、骨を砕き、肌を焼く音が森に響き渡る。
しかしーー少女に痛みは来なかった。
「おとう、さん?」
そこにあったのは、全身を矢に貫かれ、焼け焦げた父親の姿であった。
しかし、きっと魔族でさて仕留めてしまう程の掃射を受けながらも父親は確かに立っていた。
「ハァ、ネス。」
喉を貫いている矢によって喉笛から空気を漏らしていたが、どうにか間に合った事に安堵し父親は娘の名を呼んだ。
「なぜソイツを庇う!?お前だってソレのせいで……」
「親父が、自分のガキ守るのに理由があんのかよ。」
父親が短杖を取りだし、口早に詠唱を始める。
「煌めくは地獄の閃光、焼き焦がすは無垢なる大地。ーー顕現せよ終焉の大火!『インフェルノ』!」
「なっ!貴様ごときが大魔術をーー!?」
うねりながら発生した業火が森を焼き尽くす。
父親は魔力切れと傷に片膝を付きながらも、我が子に出来る最後の罪滅ぼしの準備を始めた。
鞄からとある物を取りだし、少女の足元に設置する。
それは少女にも心当たりの有る物だった。
「転移魔術の、スクロール……?」
物理法則をねじ曲げる禁術、下手をすれば空間が崩壊しかねないそれは、長老の館で厳重に保管されていた筈の物であった。
蒼く発光し始め、もう数分すれば完全に起動するだろう。
「じゃあな、ハーネス。」
森火事に逃げ惑うエルフ達の中、唯一自分へと矢をつがえる者がいた。父親はその男へと歩を進める。
「俺はそいつを殺さなければいけない!母さんを殺したそいつを……父さんを壊したそいつを!俺は殺さなければいけないんだ……!」
「お前は良い兄ちゃんだったよ、ヴァーネス。」
いつの間にか涙を流していた人族の男へと、父親がゆっくりと歩み寄る。
「お、と……う」
少女は父親へと手を伸ばそうとする。
しかし毒が回ってしまい、四肢は動いてくれない。
「……ハーネス、お前は、ここに居ちゃいけないんだ。」
「ど、して?」
バキ、
胸元の宝石の中心に、一際大きい亀裂が入る
「お前は、醜くて薄汚くて、こんなのが俺の娘だと思っただけで吐き気がさす。」
「やだ……やだやだやだ!お父さん!そっち行かないでよ……!」
転移の魔方陣が、更に光を増す。
「ーーだから、俺みたいなクズなんて忘れて幸せになれ。絶対に、死ぬまで生きて、生きて、幸せになれ。全てを棄ててでも、幸せを掴みとれ。」
少女が薄れ行く意識の中最後に見たのは、燃え盛る炎に灼かれ、悲しそうな顔で頭を矢で貫かれた父親の姿であった。
少女の魂が、擦り切れた。
パキャン
深紅の宝石が粉々になる。
しかしそれと同時に、足元に広がる転移の魔術陣を遥かに凌駕する、長老が仕組んだ究極魔法の術式が凄まじい速度で編まれていく。
それは長老が師を救うために作製したが間に合わなかった物。魂が磨耗し尽くす寸前に擬似人格と差し替える、神への冒涜とも言える究極魔法の媒体。一人の天才が半生を投げ打って初めて完成した一度きりの奇蹟を、掛け値無しの愛情を、弟子へと捧げたのだ。
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「ーーハーネス。君に呪いを掛けよう。」
「これから君は一瞬の眠りにつく。……なに、その間はもう一人の君が上手くやってくれる。次に起きたらきっと傍らには君の大切な人が寄り添っているはずだ。アレは、そういう風に造ったからね。」
「……だから少しの間、おやすみ。」
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ーー
『儂』は気づくと地面に投げ出されていた。
「いたた……あれ、確か儂は……"集落を追い出されて、ここまで旅をした"んだっけ。」
辺りを見渡すと、一面の森。
エルフの森とは明らかに違うが、近くに村がある、行ってみるか……?
……いやいや!そんなの気持ち悪がられるに決まってる!
今度で良いか。今は森に行こう。どうやって生き抜くかを考えなければ。"自分と仲良くしてくれる人を見つける"までは死にたくない。




