103.胡蝶之夢~上巻
「ぁぁあああ!」
ーー此処に、一つの命が生まれようとしていた。
あまりの激痛に妊婦が絶叫を挙げ、助産師がその母を激励し、父親が部屋の外で狼狽している。
そんなありふれた、しかし何物にも代えがたい奇蹟の瞬間、
……しかし母親は知らなかった。自分の腹にいる赤子が、誰もが存在を望まぬ物だと言うことを。
……父親は知らなかった。自分にとって一番大切な存在になる筈の人が、災禍を振り撒く時限爆弾の如き物だと言うことを。
「っ!サリア!産まれたよ!元気な女の子さ!」
人間とエルフの間の子供ゆえに難産が予想されたが『ソレ』は拍子抜けするほど呆気なく世界に受け入れられた。
普通の赤ん坊の様に朗らかな産声を挙げ、祝福されながらこの世に生まれ落ちた。
産母は急いで妊婦の前に赤ん坊を持ってきた。
果たしてエルフか人間かどちらとして生を受けたのか、母親は息を荒げながらも幸せな充実感に満たされながら我が子の顔を覗き込んだーー
ーーどちらでも、なかった。
少しだけ尖った耳に、ハイエルフの鮮やかな物とは対照的にくすんだ緑の髪。
伝承に伝わる災禍の忌み子足るその名は、ハーフエルフ。
その全てが圧倒的なまでの魔力を誇り、最後は必ず凶気の檻に囚われ破壊を振り撒きながら非業の死を遂げる時限爆弾の如き存在。
遅れて産母が悲鳴を挙げた。
異変を察し父親が部屋に入る。我が子の顔を確認し、悲鳴こそなんとか堪えたものの全身が硬直し膝が笑ってしまう。
父親は絶望した。
~
エルフの集落中から屑殺を促されたが、父も母もそれを拒否した。
自分の腕の中で安らかに眠るこの子を、殺せる分けがないと。こんな優しい子が災禍になどなるものか、と。
結果的に子供の処理は先送りとなった。
父母が嫌がったのもあるが、ハイエルフの長老が夫婦に味方したのが大きかった。
ひとまず子育ての出来る環境が整った事に両親は安堵し、この子を絶対に育て抜いて見せると二人で誓いあった。
ーーそれから五年、母親は自害した。
長老の目が届かぬ場所で夫婦は迫害の憂き目にあっていた。
出歩けば石を投げられ、友人も、親戚も皆で二人に苛烈な嫌がらせを働いた。
それに母親の精神は耐えきれず自害したのだ。
父親は我が子を恨んだ。
お前さえ居なければ皆が笑って過ごせたと、
お前さえ居なければ全てが上手くいったと、
お前さえ居なければ愛妻は死ななかったと、
そして父は我が子を否定した。
時に暴力を振るい、子供の肌には生傷が絶えない。
それでもーー子供は、父親を愛していた。
■□■
「おとうさん、そんなにお酒飲んだら体に悪いよ……?ほら、昔おかあさんに教えてもらったスープを作ったんだ。」
「……うるせぇ。」
「きっともうすぐ集落の皆も私達の事を分かってくれるって!だって私達は何も悪いことしてないんだよ?それに見て。昨日、お隣のお兄さんに花の冠を作ってもらったんだ!」
少女は無精髭が生えアルコールにより手先が震えている父親に、萎びた白い花の冠を見せた。
「昼間に外を出歩いたのか?」
「あっ、いや、……うん、ごめんなさい。お外に出るなとは言われてたけど、皆がすごく楽しそうに遊んでたから……」
「ふざけんじゃねぇよ!俺が誰のせいでこんなになったと思ってんだ?てめぇみたいなのが俺の娘だって広まると考えただけで虫酸が走るんだよ!この『紛い物』が!」
父親は酒を机に叩きつけた。水面が揺れ、机上に酒を撒き散らす。
少女は肩を跳ねさせたが、無理に笑顔を張り付けた。
「……うん、そうだよね、ごめんなさい!わたし長老様のお家に行ってくるね!」
涙声を必死に抑え少女は家を出る。
それを視界の端で見送り、父親は沸き上がる自己嫌悪を押し潰す様に酒を喉に流し込むのだった。
~
「長老様、まだ起きてますか?」
「ーーああ、起きているとも。」
ドアが開き、少女を出迎えたのは鮮やかな緑髪の青年であった。
温厚そうな瞳の奥には外見に見会わない叡知が詰め込まれているのが見て取れる。
「外は寒かっただろう?早く入りなさい。」
「はい!」
少女は長老に促され、暖炉の前に座った。
「長老様、今日はどんな魔法を教えてくれるんですか?」
「そうさねぇ……前は家事に使う『ヒート』を教えたから今日は『アイス』かな。」
「お願いします。私がもっと便利になれば、きっとお父さんはまた撫でてくれますから!」
「……そうかい。必ず、そうなるさ。」
長老は胸を締め付けられる思いだった。
ーーこの少女は、なぜ自分が迫害されているのかを知らないのである。
ただ、二度と戻らない輝かしい日々を夢想し、また振り向いて貰おうと報われぬ努力しているのだ。
長老は思案する。きっとこの少女もいつかは磨耗し尽くし、自分の師と同じ末路を辿るのだろうと。
ハーフエルフが普通のエルフと違う点は二つ。
1つは魔力量と才能が段違いな事、ハイエルフをも遥かに凌駕するそれ故に、災禍と恐れられているのだ。
2つ目は、時の感覚である。
通常エルフは、肉体的にも精神的にも20歳前後で成長が限りなく遅くなり、それは只人の1000倍近くにもなる。
しかし、ハーフエルフは普通の人間と、時の感覚が同じなのだ。
永遠に等しい命を持ちながらも、それに見会う精神を持ち合わせていない。だから、200年やそこらで狂ってしまう。
自棄になり、全てを破壊してしまう。
師も170歳でおかしくなり始め、最後は魔力の限り魔法を振り撒くだけの破壊者に成り果てた。
自ら設置した安全装置が無ければエルフの集落は壊滅していただろう。
「ああそうだハーネス、君にこれをあげよう」
暖炉の前で魔術書とにらめっこしている少女に、長老は一つのペンダントを手渡した。
中心に赤い宝石が嵌め込まれており、それが妖しい煌めきを放っている。
「……へ?わたしに、くれるんですか?」
「そうさ。君はいつも頑張ってるからねぇ、僕からのささやかな贈り物だよ。」
少女は、自分の胸の中でじんわりと暖かい何かが広がる様な感覚を覚えた。目が熱くなり、視界が歪む。
「っ、あり、ありがとうございます!一生、大事にしますっ!」
長老はその泣き顔に今は亡き師の姿を幻視し、思わず頭を振った。
この上ないほど嬉しそうに暖炉の炎へと宝石を翳している愛弟子の姿を見ながら、長老は胸がズキ、と痛むのを感じた。
ーー『アレ』は安全装置なのだから。
あくまで自衛のために作った物だ。
掛け値なしの好意で渡したのではない、ただ必要だったからなのだ。
自分はこの娘に怯えている、それも身震いするほどに。
ハーフであった師の圧倒的な力に陶酔し、畏怖しているからこそ怯えてしまう。
……しかし同時に、幸せになって欲しいとも願っている。
笑い会える友達を作って、暖かな居場所を持って、愛してくれる者と人並みの恋をして、ささやかな幸せを掴んで欲しい、と。
だが無理だ。
きっと狂乱の果てに、焦土となった『居場所』で死ぬのだ。
……あの安全装置は師が使用した物とは違う。
あれが向かわせるのは肉体の破滅ではなく、魂の未来だ。
だから、きっとーー
「長老様、お父さんにご飯を作らなきゃなので、私そろそろ帰りますね!ペンダントずっと大事にします!」
思考に割り込んで朗らかな声が鼓膜を震わす。そしてぺこりと深いお辞儀をして、少女は父の待つ家へと帰っていった。
「……ふう。」
静かになった室内で、長老は安楽椅子に座り込みため息を漏らす。しかしその時、ドアが開き冷たい夜風が長老の頬を撫でた。
「こんな時間に誰だ?」
そう口にした刹那、彼は信じられない光景を目にする。
自分の胸から生えた、鈍銀色の大槍をーー
「ぬ、ぅ……!?」
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【あなたは『資格者』に淘汰されました。固有スキルの強制譲渡を開始します。】
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