#092「腹黒」【真白】
#092「腹黒」【真白】
明日はバレンタインデー。気持ちを伝えるには手作りに限る。けれども、何事も専門家に任せるのが一番だという訳で、チョコレートでお菓子を作るにあたり、近所で評判のケーキ屋さんからパティシエールをお呼びした次第。そして彼女の監修の下、今はお嬢さまがチョコチップクッキーを、青葉が抹茶のフォンダショコラを、そして私は、胡桃入りココアブラウニーを作ってるんだけど。
「ねぇ、真白。さっきキッチンから、爆発音と焦げ臭いがしてたんだけど」
トレーに敷いたクッキングシートへ成型したクッキー生地を並べながら、安奈は真白に話しかけた。真白は、胡桃を混ぜた生地を型に流し入れながら答える。
「はい。青葉が、オーブンの設定を間違えたものですから。ただいま、パティシエールさまと二人で片付けてます。おそらく、最初から作り直しかと」
きっと今回も何かしらやらかすだろうな、とは思っていたけども。予想を裏切らないわね、青葉は。
「相変わらず、そそっかしいわね。――目黒は、胡桃が好きかしら」
「どうでしょうね。甘い物は、それほど好きでないようですけど」
舌が子供のままの赤城と違って、目黒は味覚が大人だから。
並べ終えた安奈は、近くの椅子に腰掛ける。流し入れ終えた真白が、エプロンの端で手を拭ってから、その側に控える。
「このままだと、赤城は消し炭を食べることになるのかしら」
「そうならないことを祈るばかりです」
「それ、本音じゃないわよね。建前で心配しながらも、心の内では痛い目に遭えば良いと思ってることは、私の目にはバレバレなんだから」
まぁ、鋭いこと。観察眼は、旦那さま譲りね。ここで、これ以上追及されるのは御免蒙りたいから、適当に話をそらしてしまおう。
「フランスとイタリアで修業してきただけあって、本人の腕前は確かだと思うんですけどねぇ」
「優秀な生徒が、必ずしも優秀な先生になれる訳ではないわよ、真白」
その通り。失敗したことがない人間には、どうして失敗するのか、どうすれば成功するかが分からないものね。
*
「目黒。端から断っておきますけど、私が渡したほうは義理ですから。ホワイトデーにお返しいただかなくて結構です」
書斎で目黒と真白は、本棚にはたきを掛けたり机を拭いたりしながら、早口に会話をしている。
「真白。何を怒ってるのですか」
「怒ってなんぞいませんよ。ただ、来月、目黒が本命にアプローチするチャンスを潰したくないだけです」
「私が万里さまからチョコレートをいただいたことを根に持ってるのですね。あれだって、義理に決まってますよ」
「これは義理だと、はっきり言われたのですか」
「いや、それは、その」
「ほら、ごらんなさい。全ては憶測じゃありませんか。勝手な推理を信じ込むより、一度確かめたらいかがかしら」
「しかし、私にも立場というものが」
「はいはい、言い訳は結構です。あと一ヶ月で腹を括りたまえ、目黒。これは上官からの命令だ」
苦虫を噛み潰したような表情をして掃除を続ける目黒を尻目に、真白は、はたきをエプロンの紐に挟み、バケツを持って部屋を出て行く。
平和ボケするのは、まだ早いんだからね。




