#090「辛党」【松子】
#090「辛党」【松子】
今日は建国記念の日。私は今、以前スポーツタオルを買ったショッピングモールに来ている。今度のバレンタインに渡すチョコレートを買うためだ。
「松子ちゃん、でしょう」
後ろから声を掛けられた松子は、足を止めて振り返り、自分に向けて片手を挙げている人物に注目する。
「あぁ、どうも。たしか、伊東さんとおっしゃいましたよね」
「覚えててくれたのね。でも、名前で呼んで欲しいところだわ」
えーっと。あれ。フルネームが出てこない。
「何とお呼びしましょうか」
「硬いわね。シズシズでも、静ちゃんでも、好きに呼んで良いのに」
あぁ、思い出した。
「それでは、静香さんで」
「まだ距離を感じるけど、まっ、いいか。あれから、坂口くんとは順調なの」
「はい。今日も、その坂口さんに渡すチョコレートを買いに来たんです」
「あぁ、そうなんだ。私も、潤也くんにあげるチョコレートを買いに来たの。一緒に見て回りましょうよ。お互い、職場での様子を情報交換しながらね」
なるほど。たしかに、小学校での坂口さんのことを知っておくのは、選ぶ上で参考になるかもしれない。
「悪くないですね。そうしましょう」
壁面に掲示されたポスターを指差しながら、伊東は興奮気味に、松子へ話しかける。
「ねぇねぇ、ここを見て。洋酒が効いたチョコレートなんて、どうかしら。ラム酒に漬けたレーズンが入ってるそうよ」
他にも、コニャックやバーボン、スコッチを使ったチョコレートもあるのか。買うかどうかは、さておき。試食してみたいところね。
*
「結局、ウォッカの効いたチョコレートに落ち着いたんですね」
チョコレートを一つ口に含みながら、坂口は松子と歓談している。
「そうなんです。一度に食べ過ぎないでくださいね」
「鼻血が止らなくなるからですか」
「酔っ払って前後不覚にならないようにです」
「心得ました。しかし、これを三倍にして返すとなると、ウォッカの原液を贈るしか無さそうですね」
「アルコール度数を三倍にしないでくださいよ。それから、私は利殖を望んでませんから。もし、ホワイトデーにお返しされるとしても、だいたい同じくらいだろうという感じるもので結構です」
「承知しました。何が良いか、これから一ヶ月のあいだに、よく考えてみます」
「そうしてください。でも、無理しないでくださいね。たとえ貰えなかったとしても、それを咎め立てしたり、落ち込んだりすることはありませんから」
「ストップ。また逃げ道を作ってますよ、松子さん。リスクヘッジは、ほどほどにしましょうね」
「はい、ごめんなさい」
あとで落胆しないように前もって期待しない癖は、相手に失礼だから直さないとね。




