#082「霍乱」【万里】
#082「霍乱」【万里】
「正月に豪勢な料理を食べて弱った胃を休ませるのが、七草粥だろうに。日頃、病院食で休みっぱなし胃を、更に休ませてどうするんだ」
ベッドサイドに並んで座り、誠と万里はお喋りに興じている。
「薄味に慣れないのね、誠。こうなったら、禅寺にでも放り込むしかないわ」
「やめてくれよ。せっかくギプスが取れて、リハビリで徐々に動けるようになってきたってのに、じっとしてなきゃ警策で叩かれるなんて御免だ」
「冗談よ。でも、これで少しは、以前の不摂生と不養生を反省してくれると助かるわ」
「はいはい、反省しますよ。でも、新聞記者には、規則正しい生活なんかできっこないぜ。スクープは夜明けを待ってくれない」
「プライベートに土足で踏み込むのは感心しないわよ、誠」
「おいおい、その辺のパパラッチまがいと一緒にしないでくれよ。これでも迅速に、正確に、真実を追い求めてるってことで、それなりに定評があるんだからな」
「そうね。デスクの鬼は、元、敏腕政治記者だものね」
「そう。いきなり代議士さまに聞いたって、秘密主義だから何も教えてくれない。でも、諦めるわけにはいかから、事務所の清掃業者とか、荷物を届けに来る配達業者とか、外堀から聞き込んでいく。昼休憩中に世間話をしたり、周辺道路の混雑事情なんかを話したりしてお近付きになるわけだ。そうやって内部情報を引き出していくと、そのうち先生のほうからコンタクトを取ろうとしてくる。何をコソコソ嗅ぎ回ってるんだってね。そうなったら、もうしめたもの」
「その話、飲みの席で得々と語ってそうね。あんまり若い頃の武勇伝を吹聴してばかりいると、年下から嫌われるわよ」
「管理職なんて、現場から嫌われてナンボだろう。新人時代のサツ回りに始まり、徐々に硬派から軟派にシフトして、今や出来上がった原稿のチェックが中心だからな。そうそう。年末には、新入りに少女漫画家の取材に行かせたけど、これがなかなか骨のある奴でさ。人前で帽子を脱がないところや、常に底の厚い靴を履いてるところは注意したけど、いくら言っても頑として曲げなかったから、仕事が出来れば、それで良いやと諦めたくらいで」
「待って。そういう話、前に竹美から聞いたことがあるわ」
*
「世間は狭いな。そういえば、竹美ちゃんも同じ大学に通ってるんだったな。知り合ってたとしても、不思議じゃない。あっ、そうだ。姉貴のところにも、お袋から電話があったか。明日の午前中、テレビでホノルルマラソンの模様を放送されるはずだから、チラッとでも映ってないか見てくれって話で」
「えぇ。私も、それとまったく同じ話を聞いたわ」
「やっぱりな。俺の前に、寿の声を聞いたって言ってたから、そうだろうと思った」
誠は、話の調子をワントーンを下げ、眉間に皺を寄せながら、言い辛そうに続ける。
「ところで、寿の様子は、どうだ。変わりないか」
あら。何だかんだ言っても、父親として気になるのね。
「気になる様子はないわ。むしろ、前より元気になったみたい」
「そうなのか。それなら、まぁ、良いんだけどさ」
「何よ。言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい。言っとくけど、多少の爆弾発言くらいじゃ驚かないわよ」
「そうだな。実は、俺さ。……再婚を考えてるんだ」
唐突に告げられた重々しい言葉に、私は頭の中が真っ白になり、声を失ってしまった。




