#060「恋の萌し」【小梅】
#060「恋の萌し」【小梅】
「あにめ、じょうたろう」
食べ慣れない異物を口に含んでしまったかのような調子で、吉川は小梅の言葉の一部を繰り返した。
阿仁目蒸太郎とは、アニメ市場のイメージキャラクターで、少し時代遅れの少年漫画風タッチで描かれた熱血漢。通称、アニメ氏。義理堅く、情に厚い性格で、ヲタクの夢と希望を叶えるために日夜奔走している、という設定。額には「萌え命」と墨痕鮮やかに筆書きされた真っ赤な鉢巻きを締めていて、ジャケットの中に着ているティーシャツのデザインはイベントごとに変わり、たしかクリスマス版は「聖なる夜も通常営業」だったはず。
「そう。西口を出て、そのキャラクターが指差す方向に従って進めば、間違いなく辿り着くから」
私は今、吉川くんにアニメ市場とはどんな店かを説明している。何故そんなことをしているのかと言うと。
「そっか。でも、松本が素直についてくるとは思えないけどな。出不精だから」
吉川は腕を組み、首を傾げる。
「到着するまでは、寒いとか歩きたくないとかぶつぶつ文句を言うだろうけど、宥め賺して店内に押し込んでしまえば、たちまち上機嫌になるから」
英里ちゃんを喜ばせるなら、ここ以外に無いだろうということで提案しているのである。
必死にプレゼンテーションをする小梅に対し、クライアントの吉川は難色を示している。
「でも、俺さ。正直、アニメとか漫画とか、そんなに詳しく無いんだけど、一緒に行って邪魔に思われないか。あっ、いや別に。そういう趣味を軽蔑する気は無いし、興味が無い訳でもなくてだな」
「むしろ、そういうくらいが丁度良いわよ。気になったことを質問すれば、あとは英里ちゃんのほうから説明してくれるわ。だから、そこからは聞き役に徹して感心する素振りを見せることよ」
「ふーん。そういうものなのか」
腕を解き、顎に手を当てる吉川。
おっ、手応えあり。もう一押しかな。
「案ずるより産むが易しよ。私も、途中まではお膳立てしてあげるから、心配しない」
「そうだな。よっしゃ。いっちょ、気合を入れて頑張るか」
吉川はパシパシと両手で頬を軽く叩くと、勢い良く立ち上がった。
仏教徒だから関係ないとか何とか言いそうだけど、ここは吉川くんを応援してあげなきゃね。燃える恋心に萌えるヲタク心が掛け合わさって、どんな化学反応が起きるか楽しみだわ。




