#031「美術室にて」【小梅】
#031「美術室にて」【小梅】
やらねばならないことが重なって忙しいときに限って、時間の掛かるアイデアを思いつき、特にすることがない暇なときに限って、何も思い浮かばないものだから、理不尽なものである。
体育祭が終わると、中間考査を挟んで文化祭になる。吉川くんと私は、実行委員として、ときどき放課後に雑用を任されている。でも、今日は私も部活があるので、そちらを優先している。美術部でも、教室に展示する作品と、配布する広報誌を作らなければならないからだ。
「今度のテストは、産業革命から市民革命のあたりが範囲よね」
「そうそう。チャールズだのジェームズだのルイだの、ややこしいところよ。それより、単行本は買ったの、英里ちゃん」
小梅はイーゼルに乗せたエフ四号のキャンバスに向かって筆を走らせながら、隣で同じように油絵に取り掛かっている英里に声を掛けた。
今日は月曜日。そして先週の金曜日は、オジョタンの単行本の発売日だったのである。
「もちろんよ。ばっちり三冊買ったわ」
保存用、観賞用、布教用かしら。
「何で、三冊も買ったの」
「やぁね。書店限定特典のために決まってるじゃない」
ということは、三店舗を巡ったのか。インドアの英里ちゃんにしては、ずいぶんアクティブに行動したものだ。ん。でも、待てよ。
「特典ペーパーって、たしか四種類じゃなかった」
「そこは触れないで欲しかったわ。この近くに、アニメ市場は無いでしょう。だから、土曜日に一番近い店舗まで行ったのよ。なのに、それなのに」
筆をキャンバスに叩きつけ、無念さをあらわにする英里。
完売してたって訳ね。心中、お察しします。ちなみにアニメ市場とは、ヲタク関連商品を幅広く取り扱っているチェーン店である。マンガ関係の消耗品やその他諸々を買いに、私も時々足を運んでいる。
「レディース、エン、ジェントルメーン。あっ、ジェントルマンは俺だけか」
勢い良く引き戸を開けて登場した吉川に、英里は刺々しい口調で言い放つ。
「傷心中よ、帰れ」
「いきなり八つ当たりかよ。どうした。生みの苦しみって奴か」
吉川は英里に無遠慮に話し掛けながら、つかつかと小梅に近寄り、角型二号サイズの封筒を手渡す。
「これが、現時点でのステージ班の領収書のすべて」
二組では、ステージでダンスを練習するグループと、教室でお化け屋敷を準備するグループに分かれ、それぞれ作業を進めている。
「ありがとう、吉川くん」
紙パレットと筆を置き、エプロンの端で手を拭いてから封筒を受け取る小梅。封筒を渡した吉川は、英里のほうへ歩み寄り、しげしげとキャンバスを眺める。
「籠に載った果物とフランスパンか。食いしん坊だな」
「ちょっと、覗かないでよ」
キャンパスの前に立ち、手足を大の字に広げて絵を見せまいとする英里に対し、吉川は、ひょいひょいと身体を動かして隙間から覗こうとする。
「いずれ展示するんだから、見たって良いじゃないか。ケチだな」
「いいから、早く立ち去りなさい。首を刎ねるわよ」
吉川にパレットナイフを向ける英里。
「ご機嫌斜めだな、ロベスピエール。それじゃあ、また帰りに」
吉川は両手を目線の高さに挙げ、足早に教室を立ち去った。
「まったく、もぅ。余計なことしかしないんだから」
吉川が立ち去ったあと、英里はパレットナイフを戻し、再びキャンバスに向かった。小梅も、封筒を鞄の横に立てかけると、紙パレットに指を通し、筆を執った。
口ではそう言うけど、心の中では、まんざら悪くないと思ってるよね、英里ちゃん。




