未来編⑤「水に流す」【松子】
未来編⑤「水に流す」【松子】
ここは円禅寺の境内にある手水場。法事が済んで、竜の意匠が施された出水口を見ながら、宗教法人の不公平さを感じつつ、かつての徳田課長と雑談をしているところ。
「長時間正座したせいで、痺れを切らしましたよ。お布施が足りないことに対する嫌がらせですか、安然さん」
「凡念だよ、松子女史。寺では、そういう生臭い話をしないでくれたまえ」
数年前まで、他人様の金銭を取り扱ってたくせに。頭は綺麗に剃り上げて聖職者を気取っていても、中身は俗物のままでしょう。
「卵が白茄子で、ヤマメがカミソリでしたっけ」
「落語に影響されすぎだ。本物の僧侶は、そんな中途半端な隠語を使わない」
それどころか、熱心な檀家さんが持ってきた仏さまへのお供えを、ありがたくちょうだいしてそうね。中年太りから、ちっとも痩せてない。
「仮に使ってるとしても、バレてたら隠語になりませんものね」
「あぁ、そうだね。相変わらず、頭の回転が速い」
ここが職場なら、こう言われた直後に面倒な案件を押し付けられるところだから、身構えるところだけど、いまは心配いらないかしら。
「それは、どうも」
「うむ。褒め言葉に皮肉を返さなくなっただけ、少しは丸くなったかな。最近、銀行のほうは、どうかね」
「渋木くんが本店に移ったところまでは、ご存知ですよね」
「あぁ、そうだったね。僕が父の跡を継ぐ、半年くらい前のことだったか。元気にしてるだろうか」
定年前に辞めるって聞いたときは驚いたものだけど、こうしてみると、課長は銀行員より住職のほうが向いてる。お勤め先を変えて正解だわ。
「静香さんとのあいだに男の子が三人産まれて、毎日賑やかに暮らしてるみたいですよ」
「ほぉ、そうか。この少子化の時代に、三人も子宝に恵まれたか。しかし、育てるのは大変そうだな」
私も、そうだと思うわ。一人だけでも、手を焼くのに。寿くんみたいな素直な良い子は、なかなか居ないものだわ。誠叔父さんは、どうやって育てたのかしら。
「苦労が絶えないでしょうね。――秋子ちゃんが結婚したのは、ご存知ですか」
「いいや、聞いてないね。いつの話だい」
「つい、三ヶ月ほど前なんです」
「そうか、結婚したのか。それは、めでたいね」
「そうですね」
水のせせらぎや、小鳥の囀り、草木のざわめきが聞こえるほどの静寂が流れたあと、徳田が待ちかねるように口火を切る。
「それだけかね」
「物足りませんか、珍念さん」
「凡念だ。まぁ、いい。このままだと、そのうち、情報料を請求されそうだ。――それじゃあ、僕は先に本堂に戻ってるから」
「はい。では、のちほど」
徳田は目を閉じて両手を合わせ、松子に向かって一礼すると、本堂へ向かって歩いて行く。松子は、徳田の後ろ姿が見えなくなったのを確認すると、柄杓を手に取り、口と手を清め始める。




