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籠の中の鳥は  作者: 若松ユウ
第三部
226/232

未来編①「水の戯れ」【松子】

未来編①「水の戯れ」【松子】


 ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。

「前に、ここで話したときも、今日と同じような雨模様だったわね」

「えぇ。そうでしたね」

 秋子と松子は、喫茶店のボックス席に斜向かいに座りながらお喋りに花を咲かせ、時折、雨粒が吹き付けるステンドグラスの向こうを眺めては、帰るタイミングを計っている。テーブルの上には、レモンティーとアイスコーヒーのグラスが並び、パタパタと天井で回るシーリングファンの隙間からは、微かにラヴェルのピアノ曲が聞こえる。

「それで八兵衛くんの指導は順調なの、早川主任」

 口の端に笑みを漏らしながらも、慇懃な調子を取り繕って松子が言うと、秋子は片手を口に添え、上品にコロコロと笑いながら言う。その手には、シンプルなデザインの銀色に輝く指輪がはめられている。

「嫌ですね、先輩。私が新しい苗字に慣れてないのは、ご存知でしょう」

「もちろん、よく知ってるわ。それに、新しい苗字を自分のことだと認識するまで、だいたい半年くらい掛かることも承知してる。その上で、新鮮な反応を楽しんでるの」

「もぅ、先輩ったら、趣味が悪いですよ」

 秋子が頬を膨らませながら憤懣を顕わにすると、松子は乾いた笑いを一つ漏らしてから、すぐに話を切り替える。

「ハハッ。――それより、どうなのよ、実際のところ」

 松子が笑いを抑えて質問すると、秋子は内容に真摯に答える。

「アダ名の通り、うっかりミスが多いのは、否めないところです。ただ、本人も、そのことを気にしているようなので、適宜フォローしています」

「成長したわね、秋子ちゃんも。つい、このあいだまでは、みんなからフォローされる立場の行員だったのに」

「ずいぶん長い、つい、ですね」

「そうね。あれから、結構な年月が経ったものね。渋木くんは本店に移ったし、私も課長代理になったし」

 感心しながら松子が感慨深げに言うと、秋子は、しみじみとした口調で言う。

「五年も経つと、様変わりしますね」

 二人は、それぞれの目の前にあるグラスを持ち上げ、ストローで中身を一口啜る。あらかじめ氷が取り除かれた秋子のレモンティーと違い、松子のアイスコーヒーには多量の氷が入っており、グラスを持ち上げた際、松子だけコースターごと持ち上がる形になった。松子は水滴を拭い、コースターをグラスの底から外しながら言う。

「銀行の仕事にも、すっかり慣れたでしょう。指導中に羨望されてるんじゃなくて」

「えぇ。私の仕事ぶりを見て、自分はとても足下にも及ばないと凹んでる姿を見ていたら、かつての自分を思い出すんです」

「それで、かつては自分も酷かったから大丈夫だって励ますのね」

 松子が論点を先取りすると、秋子は口元を押さえて驚きながら言う。

「どうして分かるんですか。その通りですけど」

 だって、かつての秋子ちゃんがそうだったし、かつての自分がそうだったもの。

 同じ河に二度入ることはできない。すなわち、万物は流転する。


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