#208「幕開け」【坂口】
#208「幕開け」【坂口】
トントン拍子に事が運ぶのは良いことだけど、途中から一段飛ばし、二段飛ばしになると、ついて行けない。……ここまででは、何を言ってるか分からないだろうから、順を追って説明しよう。俺も一緒に、整理して理解したい。
まず、一段目。せっかくだからジューンブライドにしようと思い、六月十五日に挙式を行うことに決めた。土曜日で、勤め人でも翌日のことを気にする必要が無く、また大安吉日でもある。ホップ。
続いて、二段目。神式で紋付袴と白無垢を着るか、教会でタキシードとドレスを着るかで迷うかと思ったら、すんなり神式に決まった。自分は竹美さんみたいにスタイルが良くないから、という松子さんの意見が決め手。ステップ、ワン。
引き続いて、三段目。呉服レンタル無料券という、何ともお誂え向きなチケットが登場。この時点では、衣装代が浮いて助かるなぁ、くらいにしか思ってなかった。ステップ、ツー。
それから、四段目。衣装合わせのため、壱丸呉服へ。形式的に淡々と終わるかと思いきや、チケットを見せた途端、松子さんと二人で奥の間に案内された。待っていたのは、いつぞやの二人。それで安心したのも束の間、家紋の種類や地模様の柄なんかを選んでいるときに、ポロッと、どこも予約でいっぱいで手頃な式場を探してることを、俺の服を見立てている若旦那さんに言ってしまったんだ。ステップ、スリー。
そして、五段目。そしたら若旦那さんは、急に奥さんと松子さんが着替えてる衝立の向こうに行ってしまって。仕方ないから、茫然と立ち聞きしててさ。まぁ、何をどう話したのかまでは聞き取れなかったんだけど。しばらくして、衝立の向こうから帰ってきた若旦那さんは喜色満面で、式場の心配は要らないって言ったんだ。
どういうことなのかモヤモヤと思いながらも、私に任せてという松子さんを信じて従っていたら、黒い高級外車で避暑に絶好の別荘地に連れて行かれた。そして、車を降りた俺の目の前に待ち構えていたのは、皇族の御用邸を彷彿とさせるような、立派な純和風の日本家屋だった。何でも、奥さまの持ち家なのだとか。
それで、現在に至る訳だけれども、俺が今、何をしてる、いや、されてると言ったほうが正しいかな。若旦那さんに言われるまま、着せられるまま、テキパキと紋付羽織袴へと変身している。……うん。こうして振り返っても、ステップのあとのジャンプが急展開すぎる。
「実は、反抗期に和服嫌いになったことがあるんだ。国際感覚を学ぶと言って、英国に留学したことまであってね。本当は、テイラーに弟子入りしたかっただけなんだけど。それで、半年くらいしたら、大旦那さまが様子を見に来ることになってね。もちろん向こうは和服だったんだけど、石畳と煉瓦の街並みを、着流しに羽織一枚で堂々と歩く姿にショックを受けたんだ。ショーウィンドウに並んで映る三つ揃いの自分が、何だか借り物じみて霞んで見えてね。それが、伝統を見直すキッカケになったんだ。――はい、おしまい。姿見の前に立ってごらん」
口と同時に手を動かしながら、観音院は坂口の着付けをそつなく行うと、スタンドミラーに掛けられた布をめくりながら、坂口に言う。
「わぁ。何だか、自分じゃないみたい」
坂口が率直な感想を述べると、観音院は満足そうに頷きながら言う。
「そうでしょう。着物には、日本人の日本人らしい魅力を引き出す力が秘められてるんだ。もっとも。正しく着付ければ、の話だけどね」
「ありがとうございます。何から何まで、お世話になりっぱなしで、ホント、何てお礼を言えば良いやら」
坂口が恐縮して観音院に向かって頭を下げるながら言うと、観音院は腰を屈めて坂口の顔を下から覗き込みながら言う。
「これくらい、お安い御用だよ。お礼を言われるほどのことじゃないし、胸元に皺が寄っちゃうから、頭を上げてくれるかな」
そのように観音院から言われた坂口が、すぐに頭を上げると、観音院はクスクスと笑いながら坂口の襟を正し、両手で鎖骨の下あたりを軽くポンと叩いてから言う。
「そうそう。そうやって胸を張って、堂々としててね」
今日は、これまでの人生で最高の一日になりそうだ。




