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籠の中の鳥は  作者: 若松ユウ
第三部
215/232

#204「チェイサー」【風華】

#204「チェイサー」【風華】


「これで良かったのよ。だって、いずれは帰る約束だったんだもの」

 誰にとも無く小声で独りごちながら、空港の国際線のロビーで、風華は電光掲示板を見ながら、チケットに書かれた英数字の便の到着を待っている。風華の手には、チケットの他に、赤と青で縁取られた手紙が握られている。

「そうよ。直接会ったら、言う前に絶対、泣いちゃうもの」

 風華が自分の行いを合理化させるように言い聞かせていると、そこへ、空調が効いた空港には不似合いなほど汗だくの人影が現れ、息も切れ切れに風華に向かって言う。

「俺に内緒でブルックリンへ逃げようったって、そうは問屋が卸さないぞ、笠置。いや、風華ジャクリーン」

 突如出現した中原に、風華は口元に手をあて、戸惑いながら言う。

「中原先輩っ。どうして、ここに」

 何で、今日ここに居るって分かったんだろう。それに、日本国籍では不認可だから省略してるミドルネームまで把握してるなんて。

 慌てふためく風華をよそに、中原は息を整えながら、順を追って説明する。

「はぁ、ギリギリセーフってところだな。もし、高校時代にスピーチコンテストで優勝してなかったら、笠置の親父が海岸通りにあるドイツ領事館のお偉いさんだってことも、それ以前に五歳から十年間アメリカで過ごしたことも、何ひとつ解らず仕舞いだっただろうな。珍しい名前だから、ひょっとしたらと思って記事検索して正解だった」

 そういえば、一度だけ新聞の取材を受けたことがあったっけ。すっかり忘れてた。

「よく調べましたね。それで、母親がブルックリンに住んでることを把握して、ここまで追ってきたんですね」

「そう。だけど最後に、かごめ市から近くにあって、なおかつニューヨーク行きの発着数が多い空港は二ヶ所あって、ここか、別のところかで迷ったんだ。結局、決め手が無かったものだから、最後はコイントスで決めたんだけどさ。賭けは成功したみたいで、ホッとしたぜ」

 中原が悪戯っぽく笑うと、つられて風華も笑う。

「それで、先輩。追い着いたのは良いんですけど、それから、どうするつもりなんですか」

 ちゃんとお別れを言いに来たのなら、それに応じて綺麗にバイバイしよう。

 風華が諦めまじりに笑顔を向けると、中原は得意満面で鼻を鳴らし、ジャケットの内側から赤地に金の十六菊が捺された旅券を出して言う。

「ヘヘン。控えおろう。この菊花紋章が目に入らぬか」

「えっ。先輩、まさか」

「そう。その、まさかだ。ニューヨークのホット話題をコラムにするって持ち掛けたら、あとはこっちで何とかするから、心置きなく特派員として行って来いって送り出されたんだ。いやぁ、言ってみるもんだ」

 どうやら先輩との縁は、そう簡単に断ち切れるものではようだ。

  *

「本音を隠してたのは、お互いさまだ」

「先輩も、真面目な話は恥ずかしいんですね。案外、不器用なんだ」 

 ニューヨーク行きの機内で、笠置と中原は隣同士に座り、日本語で話し合っている。

「悪いか。始めは面白いって言われて盛り上がるんだけど、いざ付き合いを申し込もうとする段になると、いつの間にかスーッと離れられて、気が付けば隅っこにポツンと取り残される。そういう好い人止まりの人間なんだよ、俺は」

 なるほど。お祭り騒ぎにはピッタリだけど、真剣な交際はノーサンキューって役回りなのね。

「それで、溜まったフラストレーションを、音楽に注力して昇華したと」

「そんなところだ。――あぁ、ろくに寝てないし、気圧が変わってるしで、何だか頭痛がしてきた。悪いけど、向こうに着くまで寝かせてくれ」

 中原が欠伸をしながら言うと、風華は微笑みながら言う。

「はい、先輩。着いたら起こしますね。おやすみなさい」

「おやすみー」

 中原は頭を背凭れに預けてリクライニングを倒し、機内に置いてある冊子を開いて顔の上に乗せる。しばらくすると、スースーという寝息が聞こえてくる。

「どうして帽子をかぶってないのかは、向こうに到着したときにでも聞きますね、先輩」

 そう言うと風華はポーチを折り畳みテーブルの上に置き、耳にイヤホンを装着する。このポーチの中には、チケットの半券と一緒に、宛名にジャクリーンと書かれた手紙が仕舞われている。

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