番外編⑩「独り言」
※この話は情景描写で構成されており、人間は一切登場しません。悪しからず。
番外編⑩「独り言」
かごめ市内にある、狭いながらも清潔感あるマンションの一室。間取りは、慎ましやかな二ディーケー。インターホンの上には、一行目に五〇二、二行目に坂口、そして括弧付きで鶴岡と書かれている。
玄関を上がり、廊下を進んだ先が、ダイニングである。窓際には、メダカの泳ぐ金魚鉢が置かれている。そして食卓の上に、いま、一冊の大学ノートがある。表紙には、黒の油性ペンで鶴岡松子と書かれている。
ページをめくると、デリバティブや外国為替についての学習記録が続くが、中には、雑感を書き残したページがある。一つ、紹介しよう。
「ある西欧人女性は、夫婦茶碗を一目見て、男尊女卑だと憤慨したそうである。彼女の言うことも一理あると思ったが、それと同時に、日本文化というものが、彼女の目に表面的にしか映らなかったことを、非常に残念なことだと思う。狭い日本の住宅事情を考えれば、入れ子状に重ねておけるほうが省スペースで収納でき、しかも、縁が触れないので衛生的であり、かつ塗りが剥げにくい。それに、もし妻のほうが夫より明らかに体格が大きいなら、一般的な使用法とは男女逆にしても良い。色分けやサイズ分けはジェンダーだ、男女差別だ、けしからんと一蹴する前に、ちゃぶ台と座布団の暮らしをしてみては、いかがだろうか」
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かごめ市内にある、広々とした開放感ある一軒家。間取りは、四エルディーケー、プラスアルファー。インターホンの上には、ローマ字でナガイと書かれたプレートが填めこまれている。
エントランスから廊下へと進み、並んだドアを通り過ぎると、リビング・ダイニングへと繋がる。窓際にはポトスが飾られており、テーブルの上には、いま、一冊のノートがある。裏表紙には、黒の水性ボールペンでナガイとだけ書かれている。
ページをめくると、事故物件の定義や、鉄筋コンクリートの耐用年数など、苦心して勉強した形跡が見られるが、その先に、私情が記されたページがある。ピックアップしよう。
「ある日本人男性は、レディーファーストは日本に根付かないと断言したそうである。彼の主張は、一概に切り捨てたものでは無いと感じたが、並行して、彼の眼中に西洋文化が歪曲や変色をした形でしか映らなかったことを、誠に遺憾だと感じた。政争の連続であった歴史を鑑みれば、いかに血縁の継承が重要視されてきたか理解できるはずであるし、未来の世継ぎを産む女性を労わることは、男性として自然な行為であろう。決して、下卑た打算によるものではないはずだ。やれフェミニズムは女性のわがままだ、男女が対等関係になるはずないと思考停止する前に、テーブルと椅子の生活を送ってみては、いかがだろうか」




