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籠の中の鳥は  作者: 若松ユウ
第三部
196/232

#186「春が立つ」【万里】

#186「春が立つ」【万里】


「お師匠さんの下で修業して、いつもお忙しいのかしら。住み込みよね」

 万里の出し抜けな質問に、蓮華坂はレジを打つ手を止め、豆鉄砲を食らった鳩のようにキョトンとしながらも応じる。

「そうですね。毎月、季節に合わせて創作を出さないといけませんし、これから卒業、入学、行楽と、五月の半ばくらいまでは繁忙期です。でも、幼い頃からの憧れの仕事でしたから。十四歳の職業体験で、この店で一週間働いてみたあとすぐに決意して、それから両親を説得して、もう十年になります。少しは慣れましたよ。――師匠からは、まだまだ半人前だと言われてますけどね。油を売ってばかりですし」

 買ってるのは、私や、ご近所の奥さま勢でしょうけど。初めて見たときは大学生くらいに見えたけど、まだ十五歳だったのね。

「中学を出て、このお店に弟子入りしたってことは、今年で」

 万里がこめかみに指を置いて考えるポーズをすると、蓮華坂が続きを引き取る。

「夏に、二十六歳になります」

 ということは、年の差は二歳ね。おソース顔で、受け答えもしっかりしてるから、てっきり三十路くらいかと思ったけど、案外に実年齢は若いわね。フムフム。これなら、うまく釣り合いそうな気がするわ。

「お年頃ね。お休みの日は、お友達とお出掛けしたり、遊んだりしてるのかしら」

「いえ。最近は、一人で過ごすことが多いです。十代のころは、たまの休みになると、古馴染みと連絡を取り合ってカラオケやボウリングに行ってたんですけど、転勤したり、結婚したりで、なかなか都合が付かなくなってしまって」

 口振りからすると、お友達は同性ばかりみたいね。まぁ、一人のほうが気楽かもしれないけど、異性と二人でいる愉しさを味わわないのは、損してるわ。

「そうなのね。実直で、思いやりがありそうだから、ガールフレンドの一人でも居るのかと思ったんだけど。――おいくらかしら」

 懐から財布を出しながら、万里が何気なくサラッと言うと、蓮華坂は耳を朱に染めながら、意味も無く手を振り、あからさまな動揺を見せつつレジを打つ。

「まっ、まさか。女性と付き合ったことなんて、一度もありませんよ。――八百二十円です」

 フフッ、慌てちゃって。何だ。年相応に可愛らしいところも、あるじゃない。ここまでくれば、あと一押しね。

 合計額ピッタリの小銭をカルトンに置き、蓮華坂からレシートを受け取りながら、万里は話を続ける。

「あら。それは、もったいないわ。――ねぇ、ちょっと手を見せて。手相を見れば、今の発言が本当か嘘か見抜けるのよ」

「占いですか。すぐにボロが出るので、隠しごとはしないことにしてるんですけど。――わっ」

 蓮華坂が手の平を上にして差し出すと、万里は、その手に財布から抜き取った名刺を乗せる。名刺には、ケーキ屋のロゴや地図などが載っている。蓮華坂は咄嗟に、それを落とさないように掴む。

「オッと。悪戯は、よしてくださいよ」

「あらあら。それは、悪戯じゃなくてよ。裏に書いてある彼女が、真剣に交際したい相手を探して、最近、焦ってるの」

 蓮華坂が名刺を裏返す。そこには十一桁の数字とワタヤシキアリサという名前が手書きされている。

「ちょっと待ってください。これって」

「あとは、あとは若い二人に任せるわ。ファイトよ」

 蓮華坂が慌てて名刺を返そうとすると、万里は素早く紙袋を手にし、逃げるように店を出る。

 日本の伝統行事を追いかけるだけで精一杯かもしれないけど、たまには西洋のイベントに手を伸ばしてみては、どうだろう。


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