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籠の中の鳥は  作者: 若松ユウ
第三部
189/232

#179「湯気が出る」【秋子】

#179「湯気が出る」【秋子】


 お金は天下の回り物と言いますけど、たまには、融通してる私たちの身にもなってほしいです。目が回りそう。

「クリスマスの戦場だな。三日分のクレームが、一気に押し寄せてきた」

 昼休みの給湯室で、渋木はカップ麺に電気ケトルの熱湯を注ぎながら、秋子に話しかける。秋子は、紙コップに抹茶ラテの粉末を注ぎつつ、渋木と話す。

「午前中、どこへ行ってらしたんですか。『電話対応に追われて、私の仕事が捗らない』って、松子先輩が怒ってましたけど」

「別に、サボってた訳じゃない。渉外課を手伝わされてたんだよ。人手が足りてないのは、どこも同じだ。――湯切りは、三分後か。そっちも入れてやろうか」

 電気ケトルを持ちながら渋木が言うと、秋子は恐縮しながら紙コップを渡す。

「お願いします」

 松子先輩から「ナマケモノ」だの「ナナヒカリ」だの何だかんだと言われていても、他の課にヘルプで入れるってことは、本気を出せば、人並み以上にお仕事が出来るんですよね、渋木先輩。そうだとしたら、ハイレベルすぎて、私には雲の上の存在に思えます。

 紙コップに九十八度くらいのお湯を注いで秋子に手渡しつつ、渋木は気取りない自然な口調で言う。

「ところで、秋子ちゃん。今日は、何かが連休前と様子が違うね」

「えっ。いつもと同じです、よ」

 そう言いながら、秋子は紙コップを脇に置き、持ち歩いてるポーチから手鏡を出して髪型やメイクを検める。

 うん。寝癖も無いですし、眉や口紅が落ちてる訳でもないです。

「そうかな。昨夜(ゆうべ)は、お楽しみだったんじゃないのかい。誰か、見知らぬ若い男のニオイがするよ」

 そう言いながら、渋木はクンクンとニオイを嗅ぐ仕草をする。そのあいだ秋子は、目を泳がせつつ、ポーチに手鏡を仕舞っていく。

 どうしよう。昨日の朝から夕方まで、早川くんと一緒だったことに勘付かれてる。ここは、自分から言うべきかしら。

「隠してた訳じゃないですし、松子先輩はご存知なんですけど、あの、私、実は、お付き合いしてるかたがいまして」

 秋子がしどろもどろに弁明していると、渋木は流しにお湯を捨てつつ、口の端でクククと笑いながら言う。

「それ以上、言わなくて良いよ。冗談のつもりだったんだけど、まさか、本当に居るとは思わなかったな」

「かっ、鎌をかけただけだったんですか。性格悪いですよ、渋木先輩」

 眉根を寄せながら、秋子は渋木に抗議する。

「悪い、悪い。そういう俺も、他人のことを笑えないんだ。ほら」

 渋木は、ソースとふりかけを入れて混ぜたカップ麺を脇に置くと、首元からシルバーのチョーカーを引き出す。赤と緑に色分けされたリーフ型の飾りには、アルファベットでエスとジェイが刻まれている。

「イニシャル、ですか」

 両手で紙コップを持った秋子が小首を傾げると、渋木はチョーカーを胸元に仕舞いながら言う。

「違う、違う。これは、渋木のエスじゃなくて、静香のエスだ。――オッと。鶴岡や課長には、このことは内緒にしてくれよ。じゃないと、課長にさっきのことを言っちゃうからな。良いね」

 渋木がウインクをして同意を求めると、秋子は躊躇いがちに首を縦に振る。

 そんな言いかたされたら、ノーと言えませんよ。「実は凄い能力を秘めているのではなかろうか仮説」は、ほぼ間違い無く正しそうです。 


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