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籠の中の鳥は  作者: 若松ユウ
第三部
188/232

#178「お賑やかし」【万里】

#178「お賑やかし」【万里】


 パティシエールの彼女の名前は、有紗(ありさ)。苗字は、綿屋敷(わたやしき)。現在、恋愛戦線、釣果無し。小麦やバターの扱いには慣れていても、異性の扱いは下手な模様。

「ウィー。ケーキ屋の恋は、夏、スウィートに始まり、冬、ビターに終わるのよ」

 テーブルの上に肘と顎を付けながら、しゃっくりを漏らしつつ空のグラスを持って酩酊している有紗を、万里は眉をハの字に寄せつつ、時折、合いの手を入れながら見守っている。  

 初夏に出会い、盛夏に燃え上がったとしても、麦秋から晩春にかけて、ハロウィンだ、クリスマスだ、バレンタインだとイベントが続くものだから、多忙になって会うのが難しくなり、疎遠のまま自然消滅してしまうのだそう。

「ひと夏の恋から、永遠の愛に発展しないのね」 

「そうっ。分かってくれるかしら。冷えて固まるのは、飴細工とゼラチンだけで結構よ。ヒック」

 生クリームやチョコレートは、ドロドロのままで良いのかしら。

 ダイニングテーブルには、半分になったビュッシュドノエルと、空のワインボトル、それから食べ終わった皿やらフォークやらが置かれている。

「アレ。ワインが無くなってる」

 有紗が、グラスを傾け、片目を瞑って中を覗き込みながら言う。

 まるで、蒸発したかのような言いかたね。

「もう、ずいぶん飲んだわよ。それくらいになさい」

「ウゥ。三十までに結婚したいのに、このままじゃ、それも叶わないわ。あと三年しかないのにぃ」

 有紗は、グラスをテーブルに置き、そのまま額を腕に乗せて突っ伏す。

 年齢は、松子より二歳下なのね。でも、あの松子でさえもお相手が見付かったんだから、きっと、どこか思いも寄らないところで運命の人に巡り逢うわ。

「ちょっと、有紗ちゃん。こんなところで寝たら風邪引くし、メイクを落とさないと、お肌が荒れるわよ」

 万里が両肩を掴んで揺すろうとすると、有紗はガバッと半身を起こして言う。

「これは、素顔よ。髪や爪を伸ばせないのも、お洒落の幅を狭めてるわ。仕事中は、ノーメイクでアクセサリー一つ付けられないし、力仕事だし、立ちっぱなしだし。女性には不利すぎるぅ」

 あら、スッピンだったのね。自分で選んだ道とはいえ、お洒落をしたい年頃には、さぞかし辛いことだろう。酔っ払ってグダグダになるのは、いただけないけど、器量は、全然悪くない。

 明後日の方向を見ている有紗に向かい、万里は次のように言い残し、部屋をあとにする。

「廊下が騒がしいから、見てくるわね。冷蔵庫の扉の内側に、トマトジュースがあるから、酔い覚ましに飲んだら良いわ。分かった」

「はぁーい」

 良いお返事だこと。

  *

 有紗が管を巻いている頃、真白と目黒は、廊下で声を潜めて内緒話をしていた。

「パティシエールのあの子は、あの通りですし、私は何も見なかったことにしますから、何をしても構いませんよ、目黒」

「勘違いするな、真白」

「合意の上なら、キスまで許します。聖なる夜は、性なる夜ですから」

「俗っぽいことを言うんじゃありません」 

 よく聞こえないけど、ただならない口調だわ。どうしたのかしら。

 二人が言い争うさなかへ、万里が姿を見せ、不安そうに二人に問いかける。

「あの。何か、問題でも」

 真白は無言のまま目黒に注目し、目黒が万里に答える。

「これは、失礼しました。ただの世間話ですよ。ご心配なく」

「そうですか。それじゃあ、一つ、頼みたいことがあるんですけど」

「何でしょう」

「有紗ちゃんを、リビングまで運んでくれませんか。あの調子では、とても二階へ上がれないと思うので、ソファーをベッドにして寝かそうかと」

「あぁ、そうですね。分かりました」

「助かります。お願いしますね」

 そういうと、万里はダイニングに戻る。残された目黒は、無言で真白のほうを向く。

「はいはい。邪推は、これっきりにしますよ、プラトン博士さま」

「なっ。また、減らず口を」

 したり顔の真白と渋面の目黒がダイニングに行くと、有紗が吸血鬼のように口からトマトジュースを滴らせており、また、苦心して有紗を寝かしつけたあとも、真白と目黒は一悶着するのだが、その話は、また別の機会に。


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