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籠の中の鳥は  作者: 若松ユウ
第三部
187/232

#177「蟋蟀」【万里】

#177「蟋蟀(きりぎりす)」【万里】


 十二月二十四日、クリスマスイブ。昨日が日曜だったことで、振り替え休日になっている。

「カップルには、嬉しい三連休になったことでしょう」

 万里は改札を抜けると、真冬の寒空に向かって、白く息を吐きながら独りごちた。

 今月の初めに駅前のロータリーに建てられた樅の木は、モールやエルイーディーライトで色とりどりに飾り付けられて、連夜降りしきる粉雪で半白に化粧されながらも、目映いばかりの光を放っている。

「松子は坂口さんのところだし、竹美は永井さんと過ごすって言ってたし、小梅も、ボーイフレンドにお呼ばれされたし。帰っても、誰も居ないわね」

 凍った歩道をサクサクと踏みながら、万里は家に向かって歩く。

 フフッ。それにしても、今朝の小梅は必死だったわね。「山下くんのところに泊まるけど、英里ちゃんや吉川くんも一緒だから。そういうんじゃないからね」って顔を真っ赤にして言ってたけど、そこまで否定すること無いのに。

「一人静かに聖夜を過ごすのは、何年ぶりになるかしら」

 耳を澄ませば、ジングルオールザウェーイやエンダハッピーニューヤーなど、定番のクリスマスソングの一部が、通り過ぎる店内から漏れて、かすかに聞こえてくる。店によっては、薄っぺらなサンタ服やトナカイの着ぐるみを被ったアルバイトが、凍えそうになりつつ新商品の試飲や試食を勧めている。

「寒いのに、ご苦労さまだわ」

 誰か待ってるなら、いくつか買って帰ろうと思うんだけど、ここで一つだけ買うのは、もの寂しいし、気恥ずかしいのよ。ごめんなさい。

 万里は心の中で小さく謝りながら、賑やかな街角を通り抜け、そのまま住宅街へと突き進む。

 私の歩いた足跡に、並んで歩く足跡が無いことが、こんなに心を沈ませるとは思わなかったなぁ。

 万里の頭上には、灰色の層雲が、低く、重く、のしかかっている。

  *

「今夜は松子も小梅も居ないし、寿くんも、琢くんたちと向こうで、それぞれのお友達を呼んで楽しむみたいだから、助かるわ」

「こちらも『赤城と青葉が居れば心配ないから、たまには家の外でクリスマスを楽しんできなさい』と奥さまに言われて、どこで一夜を過ごそうかと思っていたところだったんです。――その葡萄酒は、目黒の見立てです」

 万里が両手でボトルを持ち、しげしげとエチケットを見ていることに気付き、真白が言う。

「あら、そう。お料理に提供するお酒を選ぶのも、目黒さんのお仕事なのかしら」

「えぇ、そうです。バトラーは、元々ワインセラーの管理をすることが務めですから。もっとも、目黒は執事じゃなくて侍従ですけど。――そろそろ、店じまいが済んだころですね」

 真白が懐から時計を出し、蓋を開けて文字盤を見ながら言うと、万里は、その時計を興味深げに注目する。

「ずいぶん、古めかしい時計ね。動力は、発条(ぜんまい)かしら」

「そうですよ。毎朝、決まった時間に竜頭(りゅうず)を回して使うんです。手間ですけど、電池を交換する必要がありませんから、長い目で見れば経済的です。――あっ。車が止まる音がしましたね」

 真白が時計を仕舞いながら言うと、程なくして玄関チャイムの音が鳴る。真白と万里は、足早に廊下を歩き出す。

 どうやら、今夜は枕を濡らさずに済みそうよ、博さん。


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