#175「センジン」【坂口】
#175「センジン」【坂口】
「そんなこと言わないで。また、近いうちに来るから」
「いいや、もう来なくていいよ。若いのに、重荷を背負う必要ないんだよ。外をご覧」
トミは狼狽する坂口にピシャリと言い、窓を指差す。格子が嵌った窓枠、強化ガラス越しに、大半の黄葉が散った銀杏の樹が見える。
「枯れ葉は土に返り、新芽の糧となるべきなのさ。いつまでも枝に残っていては、幹が腐ってしまうだろう。老兵が引退して隠居しなければ、隊内に弊害が蔓延るだろう。物事には、順序があるんだよ。自然の摂理に反すれば、どこかで歪みが生じるんだからね。解ったら、さっさと帰りな。ロビーで待ってる紀子を、風邪引かせる気かい」
苛立たしげにトミが言うと、坂口はトミのほうをじっと見て言う。
「そこまで言うなら、もう来ないよ。それで良いんだね」
坂口に念を押され、トミは顔を背け、まるで犬や猫でも追い払うかのように片手を振ってあしらう。
「年寄りに、何度も同じこと言わせるんじゃないよ。早くこの部屋から出てっておくれ」
「それじゃあ」
坂口は、涙を堪えながら、後ろ髪を引かれつつ、静かに部屋を立ち去る。
さようなら、お婆ちゃん。
*
一面、茜色に染まるさなかを、二両編成の気動車が、ワンマン運転で悠々と走っている。車内に目を移すと、ボックス席の一つに、松子と坂口が斜向かいに座っている。松子の横にはショルダーバッグが、坂口の横にはリュックが置かれている。二人の他に、乗客の姿は無い。
「私がこんなこと言っても、たぶん、気休めにしかならないでしょうけど、トミさんは、悪気があって、そんな冷たいことを言ったんじゃないと思うわ」
松子は、努めて陽気な声を出して励まそうとするが、坂口は、沈んだ表情をしたままである。坂口の目元は、夕焼けが照らす分を加味しても、少しばかり赤く腫れているのが判る。
「そうでしょうか。俺という人間に、ほとほと愛想が尽きたのでは」
「そんなこと無いわ。吾朗さんが優しすぎるから、気遣いが心苦しくて、つい厳しいことを言っただけなのよ。細やかな心配りをありがたいことだと思いながらも、トミさんとしては、これ以上甘やかさないでほしかったのよ」
「何で。……どうして、そんな、自分を追い込むような真似を」
「そうねぇ。……いつまでも、このままじゃいられないからじゃないかしら。寿命ある生き物の定めとして、諦めを受け容れたのね、きっと」
そう松子が言うと、坂口は両手で顔を覆い、嗚咽交じりに言う。
あぁ、駄目だ。無人の駅で、膝から泣き崩れたってのに。まだ、涙が止らない。どうしちゃったんだろう、俺。こんなに、情緒不安定だったっけ。
「共働きだったから、いつも家で待っててくれた祖母の存在は、大きくかけがえないものだったんです。でも」
坂口は、手の腹で乱暴に目を擦って涙を拭うと、頬を叩いて気合を入れ、松子のほうを向いてクシャクシャの笑顔を浮かべる。
「今日の一言で、いろいろと吹っ切れた気がします。過去に囚われず、未来に進まないと」
「そうよ。その調子よ」
坂口の不器用なスマイルにつられて、松子は可笑しそうに眉を下げながら言った。
トミが亡くなったのは、この日から、ちょうど一年後。臨終に立ち会った職員曰く、煩悩から解放されたかのように、晴れやかで、眠るような最期だったのだとか。




