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籠の中の鳥は  作者: 若松ユウ
第三部
183/232

#173「トクヨウ」【坂口】

※ここから数話は、老いと家族について扱っていきます。シリアスにならないように心掛けますが、胃もたれするかもしれませんので、ご注意ください。


#173「トクヨウ」【坂口】


 木枯らしが時折、落ち葉を舞い上げる中、田畑か広がる単線の線路を、二両編成の気動車が、ワンマン運転で悠々と走っている。車内に目を移せば、運転手と、詰襟やブレザー姿の中高生数名に交じって、ボックス席の一つに、松子と坂口が並んで座っている。向かいの席には、リュックとショルダーバッグが置かれている。

「トミさん、とでもお呼びすれば良いのかしら」

「はい。でも、本人の前では、お母さんと呼んであげてください。ちなみに、苗字は植垣(うえがき)です。――お一つ、どうぞ」

 坂口は、黒豆の練り込まれたかき餅が入っている袋を開け、中のトレーを少し引き出して松子に差し出す。松子は、そこから個包装された一つを受け取る。

「分かりました。確認ですけど、私の名前は紀子で、坂口さんは昌二で、首相は大平正芳ですね。――いただきます」

「そうです。今日は何日かと聞かれたら、今日の日付を答えて構いませんけど、何年かと聞かれたら昭和五十四年と答えてください。うっかり西暦で答えると、聞き返されて不審に思われるので注意してくださいね。この年は、スポーツで言えば、プロ野球では広島が日本シリーズで優勝し、高校野球では箕島が連覇した年です」

「江夏の二十一球や、箕島の激闘という言葉が生まれた年ですね。ヒットソングで言えば、ピンク・レディーの『カメレオン・アーミー』や、アリスの『チャンピオン』あたりでしょうか」

 口ではサクサクとかき餅を食べつつ、視線は天井に固定された扇風機を見ながら、二人で四十年近く前の出来事を思い起こしている。

「洋楽なら、ボブ・マーリーやドナ・サマーが来日コンサートをした年です」

「どちらも故人ね。他に、何があったかしら」

 何があったっけ。特養に行く度に調べてるはずなのに、全然覚えてないや。我ながら、頼りない記憶力だな。

「調べますね。祖母の前では、スマホを視界に入れられませんから不便なんですよ」

 そう言うと、坂口はかき餅の袋を窓辺に設けられた小台の上に置き、懐からハンカチとスマートフォンを取り出し、指を拭ってからフリックしてロックを解除し、音声入力をタップし、マイク部分を口元に近づけ、まるで発声練習のように口を動かしてハキハキと言う。

「一九七九年の出来事。……あっ、出ました。えーっと、ですねぇ」

 画面をスライドさせながら、視線を上下に動かしつつ答える。

「イラン革命に中越戦争、スリーマイル島での放射能漏れ、サッチャーが先進国初の女性首相になったり、東京サミットが開かれたりと、上半期だけでも、世界情勢は大きく変動したみたいです」

「その年のノーベル平和賞は、マザー・テレサじゃなかったかしら」

「待ってください。十二月ですよね。……はい、ご名答です」

 坂口が言うやいなや、松子は小さくガッツポーズをする。

「やった。――坂口さん。下調べは、もう良いんじゃないかしら。両親を演じてるときにボロが出ないようにと慎重になる気持ちは分かるんだけど、こういうのは、あんまり身構えないほうが良いんじゃない」

 松子がそう言うと、坂口はスマートフォンを懐に仕舞い、俯き加減に言う。

「遠方ですし、松子さんが負担に思わないよう、出来ることなら、このまま会わせずに済めばと思ってたんです。だけど、何だか隠しごとをしてるみたいで」

 さっきまでの陽気な態度を一変し、坂口が沈んだ様子で心境を吐露すると、松子は努めて明るい調子で切り返す。

「何を弱気なことを言ってるんですか、坂口さん。そんなことで縁談をご破産にするような身勝手な女じゃありませんよ。誰だって、大なり小なり、家庭の事情を抱えてるものでしょう」

 松子が坂口のほうを向き、そっと背中に手を当てると、坂口は小さく頷き、困ったように笑いながら言う。

「そうですね。落ち込んでても、何も解決しませんよね。よーし。ドンと来い」

 ここで俺がクヨクヨしてたら、松子さんまで不安に思ってしまう。もう、後戻りできないところまで来たんだから、腹を括らなきゃな。変わらないものなんて、何も無いんだ。失うことを恐れていたら、何も得られないままじゃないか。ファイト、俺。

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