#172「大事な話」【万里】
#172「大事な話」【万里】
四十八歳女性の平均余命は四十年余り。男性でも三十四年ちょっと。母が生まれたころまで人生五十年と言われて久しかったことを鑑みれば、驚異的な寿命の延びである。
「へぇ。風華ちゃんが、アメリカか」
万里が湯呑みを片手に感心していると、竹美は逆さに置いた湯呑みの蓋を訳もなく指で押して回しながら、不満そうな口振りで言う。
「そうなのよ。このライブが終わったら、伝えたいことがあるのって深刻そうな顔をして言うから、何か重病でも患ってるのかと思っちゃって。お陰で、演奏に集中できなかったわ」
竹美にしてみたら他愛のない報告でも、当の本人にしてみたら、一大決心だったんじゃないかしら。まぁ、あの子には小さな島国より、自由な大陸のほうが似合ってるわね。
「集中したところで、ミスは減らなかったと思うわよ」
「もぅ、お母さんったら」
万里がコロコロと笑い、竹美が眉根を寄せていると、松子がダイニングへ姿を現す。
「ただいま。玄関に靴があると思ったら、やっぱり竹美が来てたのね」
「おかえり、松子」
「お邪魔してまーす」
「邪魔するなら帰ってよ」
「邪険にするものじゃないわよ、松子。可愛い妹でしょう」
松子は、竹美をしげしげと観察しながら疑問を呈し、竹美は、そんな松子に反論する。
「可愛い、ねぇ」
「何よ。お姉ちゃんに比べたら、ずっとプリティーよ」
松子は、頬を膨らませている竹美をスルーし、食器棚からコップを、冷蔵庫から牛乳を出してテーブルに置きつつ、お尻で冷蔵庫の扉を押して閉める。
「自分で言ってれば、世話がないわね」
松子は紙パックの中身をコップに空け、紙パックは畳んで屑籠に捨て、コップは電子レンジに入れる。そして松子が席に着くと、万里が話しかける。
「そうそう。ねぇ、松子。今日の午前中、寿くんと安奈ちゃんが家に居たんだけどね」
*
「松姉ちゃんは、坂口先生とおつきあいしてるんだよ」
お付き合いの意味が分かってないから、剣道かフェンシングでもしてるイメージが湧くわね。
ダイニングテーブルでは、フォークでホットケーキを頬張りながら、寿と安奈がお喋りしている。万里は、キッチンでフライパンに玉杓子で生地を流し込んだり、焼けた生地をフライ返しで引っくり返したりしながら、二人の会話を背中越しに聞いている。部屋には、バターとメイプルシロップの芳醇な香りが満ちている。
「知ってるわ。でも、私たちが一年生のときから交際してる割には、進展がゆっくり過ぎる気がしない、寿くん」
「こうさいが、しんてんするって、どういうこと」
「だから、つまり、そうねぇ。たとえば、薬指に指輪をはめるとか、神社か教会かどこかで真っ白な服を着てお祝いするとか、そういうことよ」
顔は見えないけど、きっと自分と寿くんが、将来的にそういうシチュエーションになったら、という青写真を思い描きながら、照れくさそうに説明してることでしょう。
「真っ白な服なら、五月に竹姉ちゃんが着てたよ。ちゃぺーうえでぃっぐって言ってた」
それを言うなら、チャペルウエディングよ、寿くん。
「フゥン。二番目のお姉さんのほうが先だったのね。ますます不可解だわ。ひょっとして、ビー反なのかしら」
京友禅や大島紬じゃあるまいし。まぁ、お値打ちでお買い得なのは確かだけど。でも、考えてみれば変ね。坂口さんほどの人物なら、引く手あまたでしょうに。どうして、これまで結婚しなかったのかしら。




