#170「塞翁が馬」【英里】
#170「塞翁が馬」【英里】
彼がお調子者になったのは、十歳くらいから。それ以前は、色白で、線の細い、喘息持ちの大人しい子供だった。
「グッスリだね。すっかり、だらけきってる」
「本当。怪我したばかりだってのに、危機感が無いんだから」
病院の待合室のベンチで、吉川は英里に凭れかかってスコーッと眠りこけている。英里は、それをヤレヤレといった呆れ顔で肩を貸しながら、側に立っている金子と会話している。
「ここまで二人三脚で歩けたくらいだし、応急手当も万全だったからね。組体操中に人塔から落下した割には、ひどいことにならずに済んで良かったんじゃないか」
具合を見ながら包帯を巻いたりテープを貼ったりしてるときの佐伯先生は、いつになく頼もしく見えたわ。日頃は、インテリな見た目に反した言動が目立つのに。
「でも、骨折は骨折なんですよね」
「そうだよ。医学的には、膝蓋骨不全骨折。簡単に言えば、膝の皿にヒビが入ったってこと。不幸中の幸いなのが、ヒビが縦方向だったから、ズレが生じなくて手術や入院の必要が無いってことだろうね」
「八日に、体育祭を控えてるのに」
「一週間後か。立ったり歩いたりするくらいなら支障無いし、若いから二ヶ月もすれば完治するだろうけど、激しい運動は避けたほうが良いだろうね」
吉川くんが居ないんじゃ、山下くんは張り合いが無いだろうな。
「中学最後の体育祭なのに、残念ね」
「仕方ないさ。起きたら、受付に寄ってから帰るように」
「ありがとうございました」
英里が礼を述べると、金子は片手を振りながら早足でナースステーションへ向かっていった。
*
昔のイメージのまま成長していたら、憧れの王子様像そのものだったのになぁ。
「美術部って、案外、雑用が多いんだな」
放課後の美術室で、吉川と英里は、借り物競争で使う籤と箱を用意している。少し離れたところでは、ジャージにエプロンを着けた小梅が、新聞紙を敷いた上に置いている入退場門を、ペンキで塗り替えている。
「それもこれも、予算を削られないためよ」
「どこのクラブも、事情は同じか。――なぁ、松本。ハズレとして、徳川埋蔵金とかイエティーとか書いて入れとくってのは、アリか」
「ナシよ。何でも良いとは言っても、実在するもので、調達しやすいもの限定なの」
「じゃあ、季節も考えて、脂の乗った秋刀魚にしよう」
「ナマモノは駄目よ」
「塩焼きか煮付けにするか」
「そういう問題じゃなくて。あっ、でも、一つくらい例外を作ったほうが盛り上がるかも」
そう言うと、英里は紙に「放送部長大橋照美」と書き、吉川に見せる。紙を見た吉川は、口を手で押さえながらキシシと笑いながら言う。
「それは面白い。是非とも、生徒会長に引かせたいな」
雑用を押し付けたんだから、これくらいのことは、させてもらうわ。




