#017「可愛げ」【松子】
#017「可愛げ」【松子】
顰に倣うとは、美人は眉を顰めても美人であり、不細工は眉を顰めても不細工であるから、下手な猿真似をするなという教訓を意味する言葉。
閉店後の銀行で、松子たち銀行員は精算に追われていた。
「課長、ダイテください」
「ちょい待ち。今、ヤクテのほうを見てるんだ。こっちのほうはケツカッチンだからね」
誤解のないように言っておくと、ダイテとは代金取立手形、ヤクテとは約束手形、ケツカッチンとは期日ぎりぎりであることを意味する。そういう専門用語なのだけど。
「いい加減、この手の言葉に免疫を付けなさいよ」
松子は、千円札の束を数えながら隣の席で赤面してる秋子に声を掛けた。
「ドキッとしますよ。そういう意味じゃないと解っていても」
やれやれ。過敏に反応してしまうところは可愛らしいけど、鈍感にならないと仕事にならないわよ。
松子が為替手形を片付けようとすると、徳田が代金取立手形を回した。
「ダイテ回したから、あとは頼んだ」
「待ってください、課長。まだ、チェックをお願いしたいものが」
「二人でチェックせずとも、松子女史に間違いは無いだろう。僕は、残業しない主義なんでね。それじゃあ」
「お疲れさまです」
足取り軽やかに立ち去る徳田に、深々と頭を下げる秋子と、恨めしそうな目で睨む松子。
ダブルチェックを形骸化させるんじゃないわよ。島流しに遭えばいい。離岸流でツバルまで漂ってしまえ。
「あれ。おかしいな」
小声で呟きながら小首を傾げる秋子に、松子が声を掛ける。
「どうかしたの」
「どこかで、独りぼっちになってる野口さんを見ませんでしたか」
「千円足りないのね。わかったわ。一緒に探しましょう」
今夜は、帰りが遅くなりそうだ。
*
「私が二千円札が混ざってるのに気付かなかったばっかりに、先輩に余計な手間を掛けさせてしまって、本当、申し訳ないです」
頬を赤らめながら、松子に頭を下げて謝る秋子。
残業を労って居酒屋へ連れてきたのは良いけど、カシスサワー一杯で頬を赤らめるとは。アルコール類を上からコンプリートする勢いで注文する私とは、ずいぶん違うわ。
「気にすること無いわよ。これも係長として部下を指導する仕事のうちだし、原因が分かって、ちゃんと勘定に合ったんだから」
マッコリを小器によそいながら、秋子を慰める松子。
「あっ、そうそう。ここのお勘定、おいくらですか」
頭を上げ、ハンドバッグから財布を出そうとする秋子と、それを片手で制する松子。
「私が勝手に誘ったのよ。ここは私が持つわ」
「えっ、でも」
「いいから」
「ありがとうございます。ごちそうさまです」
断られて曇らせた表情を晴らし、松子に満面の笑みを向ける秋子。
さり気なく観察して女子力を高めようと思ったけど、自分には無理だわ。土台も方向性も違いすぎる。彼女から学ぶのは諦めよう。いちいち可愛いんだから、もぅ。




