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籠の中の鳥は  作者: 若松ユウ
第三部
176/232

#166「繰言」【シゲ】

#166「繰言」【シゲ】


「ただいま」

 松子が椅子に鞄の置きながら言うと、キッチンに立つ万里が調理の手を休めずに答える。

「おかえりなさい、松子。早かったわね」

「今日は、奇跡的にトラブルも残業も無く済んだからね。ところで、何でリビングにお婆ちゃんが居るの。今日、来るって言ってたっけ。寿くんは、いつも通りだけど」

「いいえ。例によって、アポなし訪問よ。サプライズだって」

「前もって連絡しないのは、親子でそっくりね」

 グラスを片手に冷蔵庫の扉を開けながら松子がボソッと呟くと、万里が包丁を片手に松子に言う。

「何か言った、松子」

「何でもないわよ。危ないから、置いてちょうだい。――そういえば、琢くんは」

 松子が麦茶をボトルからグラスに注ぎながら言うと、万里は包丁を俎板の上に置き、菜箸を持って鍋をかき回しながら言う。

「小梅と一緒に、お遣いに行ってもらったわ」

「そう。それなら、そのうち帰ってくるわね」 

  *

 一方、リビングのソファーでは、寿とシゲがソファーに座って歓談している。寿が話すことに、シゲが相槌を打つ調子だ。

「それでね。消防のお兄さんや、警察のお姉さん一緒に、避難訓練したんだ」

「あぁ、そう。九月一日は、関東大震災の日だものね。天災は、忘れた頃にやってくる。それで、今日は火事だったの、地震だったの」

 歳のせいか、平成に入ってからは、忘れる前に来てる気がするけどね。朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだだの、原子力発電所近くの住民は放射能まみれだのといった風評被害は、日頃の隠れた不信感から生じるものだ。

「うぅん。今日は、ミサイルが飛んでるって訓練だったよ。まず、ハンカチで鼻と口を押さえてね。それから、窓から遠い場所へ隠れて、身体を小さくして待機するんだよ。こんな風に」

 そう言いながら、寿はソファーを降りてローテーブルの下へ潜り込み、胎児のように丸くなる。

 時代が変われば、所は同じでも、品が変わるものだね。まぁ、やってることは頭巾を被って防空壕に逃げ込むのと大差ないわね。寿ちゃんが大人になる頃に、物騒な世の中になってなきゃ良いんだけど。

「なるほどね。よく分かったから、ここへ戻りなさい」

 シゲがソファーの座面を片手でポンポンと叩くと、寿はローテーブルの下から這い出て、再びソファーに腰掛ける。

「お婆ちゃんも、もしものときには、窓から離れないと駄目だよ」

「はいはい。覚えておくよ」

 少女時代は、正論を堂々主張できなくて、暴力や仲間外れは見て見ぬふりを、噂話や陰謀論は聞かぬふりをして、ずいぶん忸怩たる思いをしたものだ。国の違いは些細なもので、何民族の何国民だろうと、セックスすれば子供を身籠るくらい遺伝子が似通ってるんだ。ラベルの違いで、レッテルを貼ってはいけない。


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