#016「ご機嫌伺い」【竹美】
#016「ご機嫌伺い」【竹美】
今日は老人を敬う日だけど、我が家の老人は誰よりも元気だ。
固定電話の受話器を握りながら、竹美は頭の片隅では、リビングで宿題をする寿のことを考えていた。
「それで、これから市民マラソンに参加するのよ。十二月にハワイで走るから、そのウォーミングアップね」
この頑健さは、確実にお姉ちゃんへ隔世遺伝している。象が踏んでも壊れないタイプ。ハッスルしすぎて倒れないか心配だわ。
「あんまり無理しないでよ、お婆ちゃん」
通話相手は亀山シゲ。御年七十七歳。喜寿のお祝いをしようと言ったら、私はまだ老人じゃないと返された。電車やバスで席を譲られたら、怒りはしないけど断るタイプ。
「大丈夫よ。まだまだ若い者には負けないわ。ハワイに行ったら、そのまま一ヶ月ほど観光して、常夏の島で年越ししようと思ってるの。お土産は何が良いかしら」
「みんなで食べられるものだと嬉しいわ」
変なペナントや置物を送られても、対処に困るからね。飾るわけにもいかないし、捨てるわけにもいかないし。
「わかったわ。それじゃあ、コナコーヒーとマカデミアナッツでも買おうかしらね。そうそう。いま、寿くんが居るんでしょう。換わってよ」
「ちょっと待ってね」
竹美は固定電話を保留にすると、寿に向かって呼びかける。
「ドリルは終わった、寿くん」
「まだ漢字が残ってるよ、竹姉ちゃん」
「一旦手を止めて、電話に出てくれるかな。お婆ちゃんが、寿くんとお話したいって言ってるの」
「はーい」
寿はテーブルに鉛筆を置き、竹美の下へ駆け寄る。竹美は、保留を切って寿に受話器を渡し、リビングのソファーに腰掛ける。
「もしもし、お婆ちゃん」
寿が通話しているのを見つつ、テーブルの上に視線を移す竹美。
寿くんは、キャンバス地でまちがあるファスナー閉じのペンケースを使ってるのか。お姉ちゃんは丈夫さが売りのカンペンで、小梅はキャラクターもののペンケースで、私は、不必要に多機能な筆箱だったっけ。お姉ちゃんは中学まで使ってたけど、私と小梅は、高学年になってから買い換えたのよね。
竹美は、寿がまだ通話してるのを確認しつつ、立ち上がってテーブルの上にあるドリルを手に取った。
漢字の反復で文字に違和感を感じたら、ゲシュタルト崩壊。計算式の数字に色が見えたら、共感覚。いつからかしらね。そんなことを考えなくなってしまったのは。新鮮さや感動は、年々薄らいでいくものね。慣れというのは恐ろしい。
「竹姉ちゃんに換わって、だって」
竹美が物思いに耽っていると、寿が竹美に向かって呼びかけた。
「はいはい。いま換わるわ」
竹美は寿の下へ歩み寄り、受話器を受け取る。
「もしもし、お婆ちゃん」




