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籠の中の鳥は  作者: 若松ユウ
第三部
168/232

#158「夜目遠目」【万里】

#158「夜目遠目」【万里】


 東京に実在するのは、特許許可局ではなく特許庁だ。

「生ゴミ、生米、生卵」

「生ゴミじゃなくて生麦だよ、琢くん」

 鶴岡家のリビングで、寿が琢に早口言葉を教えている。

 今日は七月十六日、海の日。市内の公立小中学校は、揃って今日から夏休みに入る。四十日もお休みで、羨ましい限り。

「生麦って何だ」

「生の麦だよ。麦って言うのは、お茶やパンや、ビールなんかの素になるものだよ」

「フゥン」

 生麦なんて、実際には見たこと無いわよね。この辺りには、田んぼも畑も無いから。きっと、泥鰌や鯰も知らないに違いない。

 微笑ましいやりとりを小耳に挟みながら、万里がキッチンで氷を入れたグラスにオレンジジュースを注いでいると、玄関チャイムが鳴る。

 あら。もう、着いたのかしら。松子は、小梅と買い物に行かせたばかりのに。

  *

「私は、無駄遣いになるから、浴衣なんて借りなくていいって言ったんだけど。お母さん、一度言い出したら聞かないから」

「無駄じゃないわ。必要経費よ」

 二階の子供部屋で、朝顔があしらわれた浴衣を着せられた松子が、背後で帯を締めている奈々と姿見越しに会話している。周囲には、包みを開いた風呂敷や畳紙、それから巾着や下駄といった和装小物が点在している。

「こんな可愛らしい柄じゃなくて、もっと地味な模様か何かで良かったんだけど。チカチカして落ち着かない」

「そうかしら。涼やかで、とっても夏らしいじゃない」

「でも、汚したり破いたりしないか心配で、おちおち、お祭を楽しめないかも」

「心配しないで。泥撥ねや鍵裂き程度なら、レンタル料の内よ。それに、スーパーやディスカウントストアで販売してる、薄っぺらくて頼りないくせに通気性と吸水性が悪い安物を着て、湿疹や黒皮症になるほうが、よっぽど高くつくわ。――さぁて、これで出来上がりよ」

 奈々は立ち上がり、着付けに不備がないか見回すと、満足気に頷く。

「ありがとうございます。わざわざ、着付けに来ていただいて」

「浴衣だけ渡したって、一人じゃ満足に着られないでしょう。当然のサービスよ。――坂口さんと言ったかしら。向こうも今頃、安彦さんの手で大変身してるわよ、きっと」

 奈々がそう言ったとき、ドアがコンコンとノックされる

「どうぞ」

 松子が返事をするやいなや、万里が部屋に入る。松子の姿を見た万里は、得意気な表情をする。

 やっぱり。松子は洋装より和装のほうが、様になる。


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