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籠の中の鳥は  作者: 若松ユウ
第三部
165/232

#155「全員野球」【松子】

#155「全員野球」【松子】


 プロのオーケストラ楽団において、打楽器奏者とバイオリン奏者のギャラは同じである。

「先輩、お茶です」

「ありがとう、秋子ちゃん」

 松子が湯呑みを持ち上げると、秋子は、お盆で口元を覆いながら、小声で松子に囁く。

「総務課のほうに、いつかの慰安旅行でお会いした本店のかたがお見えなんですけど、何かあったんですかね」

「あら、そうなの。どうしたのかしら。――あっ、渋木くん。お帰り」

「外回り、おつかれさまです。汗ビッショリですね」

 松子と秋子が声を掛けると、渋木は鞄を机にドンと置き、椅子に座り、片腕で目元を覆いながら天を仰ぎ、背凭れにグッと身体を預ける。

「あー、疲れたぁ。空調の効いた部屋で鄭重に扱われるサーバーが羨ましいぜ」

「気温も高まってますけど、それ以上に、湿度が高くて不快ですよね。お茶を煎れてきます」

 秋子は給湯室に向かい、松子は、その後ろ姿に向かって言う。

「行ってらっしゃい。――サボタージュしなかったみたいね。珍しい」

 秋子を見送ったあと、松子が渋木に声を掛けると、渋木は身体を起こして反論する。

「珍しいは、余計だ。まったく。総務課の新米がうつ病で自宅療養に入ったせいで、本来ならしなくて良い仕事まで回ってきてさ。社会人なら、セルフコントロールしとけっていうんだ。甘えだ、低能だ、給料泥棒だ」

 そう言いながら、渋木は鞄から乱暴にパイプ式ファイルを取り出し、机に積み上げていく。

 なるほど。それで、総務課に本店の行員が居るのね。大ごとにならなければ良いんだけど。

「そういえば、課長の姿が無いな。先に戻ったはずなんだが」

 そう言って、渋木はオフィス内を見渡す。

「どこかで油売ってるんでしょう。いつものことよ」

「残念だが、その予想はハズレだよ、松子女史」

 松子の後ろ側から徳田が姿を現す。右手には、四玉二十三桁の算盤を持っている。

「あっ、課長。てっきり、ここに帰ってるものだとばかり思ってたのに」

「算盤を持ち出してまで、今まで、どちらに」

 渋木と松子の質問に、徳田がまとめて答える。

「演算プログラムに不具合があったらしくてね。午前中いっぱい、帳簿や伝票の細かい数字と睨めっこしながら、玉を弾いてたんだ」

「それは、大変だ」

「抜けてきて、大丈夫なんですか」

「あぁ。昼休みに、エンジニアが来てね。基盤の一部を交換したら、ちゃんと稼動するようになったよ。ウーム。目薬が欲しい」

 能ある鷹は爪を隠す、とまでは言わないけど、こう見えて珠算一級なのよね、課長。普段は、まったくと言って良いほど役に立ってないけど、こうした有事には頼りになるから馬鹿に出来ない。働かない蟻にも、意味がある。組織規模が大きいほど、非常事態への対処が折り込み済みであるべきだ。さもないと、過労で全滅してしまう。渋木くんは、あぁ断罪したけど、うつ病の新米くんだって、存在意義があるに決まってる。全曲中にシンバルを一回鳴らすだけだからといって、怠け者呼ばわりしてはいけないのと同じだ。

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