#149「即興劇」【竹美】
#149「即興劇」【竹美】
「あぁ、もう、何もしたくないわ」
永井家のリビングで、竹美がソファーに寝転がっている。
六月に入り、いよいよ一般企業の面接と採用試験が始まった。蒸し暑い日中の屋外、スーツを着込んで歩き回ると、猛烈な勢いで体力が削られていく。
「おつかれ。はい、レモンティー」
「わっ。ありがとうございます、長一さん」
来てたのなら、声を掛けてよ。気配が無かったから、ビックリしちゃったじゃない。
後頭部の死角から姿を現した長一に、竹美は驚いて身体を起こし、両手で紙パックとストローを受け取る。長一は、空いたスペースに座り、円錐台の紙パックに入ったカフェラテを飲み始める。
「ただいま、竹美。……と、お邪魔虫」
機嫌好く姿を現した永井は、ソファーに座る竹美を見て安堵し、次いで隣に座る人物を見て機嫌を損ねる。
「おかえりなさい、次郎さん」
「ほはえひー、ひほー」
「ストローを咥えながら喋るな、馬鹿兄貴。さっき、会社で別れたところだろう。何の用だ。くだらない用事だったら、布を被せてベランダに吊るすぞ」
おぉ、怖い。そんなバイオレンスなテルテル坊主は嫌だわ。
「暑さでイライラが溜まってるようだね。はい、残りは次郎にあげる」
長一がストローの先を永井に向けると、永井は紙パックを取り上げ、耳元で軽く振る。
「水音がしないんだが」
「中身は、兄弟愛百パーセントの気体だよ」
「つまり、兄貴の呼気だな。酸欠になりそうだから、捨てよう」
永井は片手でグシャリと握り潰すと、それを屑籠にシュートする。
*
「頑張るのは勝手だが、無理はするな。働いてくれれば助かるけれど、俺ひとりで養えない訳じゃない。そりゃあ、贅沢はさせてやれなくなるだろうけど」
ソファーに座る永井が隣にいる竹美に言う。竹美が言葉を返す。
「ありがとう、次郎さん。でもね、私。永井次郎の妻ではなく、永井竹美として社会に認められたいの。だから、もう少し好きにさせてね」
「なるほど。わかった」
真剣な眼差しで語る竹美に、永井は目を伏せて頷く。二人の背後で、長一が賞賛の声をあげる。
「素晴らしいね。永井長一の妻に聞かせたい言葉だなぁ」
「まだ居たのか」
私も、帰ったとばかり思ってたわ。聞かれてたなんて、恥ずかしい。
「ちょいとばかり、雉撃ちに」
「聞かせたきゃ、兄貴の口から言えば良いだろう。そうだ、今すぐ帰って言ってこい」
「嫌だよ。明日の朝日を拝めなくなっちゃう」
「俺は、それで一向に構わない。俺も仕事で疲れてるが、竹美だって就職活動が本格化してる、大事な時期なんだ。体力を温存させてくれ」
「それじゃあ、駄目な例を挙げるから、反面教師にしてね。良いかな。まず、タガログ語で自己紹介。年齢は十万飛んで二十二歳。趣味は暗黒微笑で、特技イオナズン」
「無視していいぞ、竹美。――いい加減、帰れよ。ゴー、ホーム」
「キャイーン。それじゃあ、またね」
激しい剣幕で睨む永井に怯み、長一は小走りに立ち去る。
「あぁ、やっと帰ったか。無駄な体力を使わせやがって」
ウフフ。次郎さんは疲れたでしょうけど、二人が織りなすコメディーを見てた私は、ちょっと楽になってきたわ。明日から、また頑張ろうっと。




