番外編⑨「重ね塗り」【信恵】
※恋愛の形の多様性を理解できないかたは、この話をスルーして#144へと移ることをオススメします。
番外編⑨「重ね塗り」【信恵】
生まれたては真っ白な布でも、歳を重ねていくほどに、いくら洗濯しても落ちない汚れが溜まるし、生地は傷んでいく一方だ。だから誰しも、漂白したりカケツギしたりして、騙し騙し使っていくのだろう。
「遅いな、ベリーパフェ。今頃、苺を摘んでるのかな」
「この混雑ですからね。僕のチーズケーキも、農場で乳絞りをしてる段階かもしれません」
「それじゃあ、私のワッフルは、小麦を製粉してるところね」
カフェが混雑してることもあり、私は、見知らぬ二人と四人席で相席している。テーブルを挟み、私が椅子側、二人がソファー側で、空席にはボストンバッグとハンドバッグが置いてあり、足元の籠にはジャケットが入れられている。
この偶然が、運命の女神による悪戯だったと知るのは、食べ終わって飲み物が届いた頃になってからの話。
*
森宮はコーヒーカップをソーサーに置き、信恵に向かって真剣な表情で言う。
「性別としての男性と、性向としての男性性は別にして捉えるべきなのに、それについて広く理解を得られていないというのが、現代社会の状況です。それを踏まえた上で確認します。武田さん。僕を選んだことを、後悔しませんね」
そう言うと、森宮は信恵と視線を合わせる。信恵はティーカップをソーサーに置き、キッパリとした口調で答える。
「もちろんよ。子育ては向いてないと知らしめられたから、好都合なくらい。血の繋がる男の子と、血の繋がらない女の子と、二回で懲り懲り」
返事を聞いた森宮は大きく一度頷き、視線を鎌倉に移す。
「鎌倉くんは、いかがですか」
呼びかけられた鎌倉は、口からストローを離し、片手でオクビを堪えながら答える。
「好かれてようとする努力は惜しまなかったんだけど、振り向かせることは出来なかったんだ。だから、吹っ切れた。それに、ありのままの自分を気持ち悪がらずに受け入れてくれる存在に巡り合ったんだ。後悔なんかしない」
返事を聞いた森宮は、再度大きく一度頷くと、視線を二人に走らせる。
「それでは、武田さんは右手を、鎌倉くんは左手を貸してください」
信恵と鎌倉が言われたとおりにすると、森宮は、それぞれの手を握り、厳粛な面持ちで宣言する。
「武田さんと僕は、夫婦関係。僕と鎌倉くんは、恋人関係。鎌倉くんと武田は、友人関係。以上で、異存はありませんね」
「結構よ」
「問題なーし」
「では、ここに三者協定の締結を宣言します」
*
「好きになった相手がノーマルだったから、致し方なく我慢してたんだ。気を惹くために女装してるだけで、普段は、蛍光色のパーカーに派手なプリントティーシャツとジーンズを着てるんだぜ」
「恋は、人間の理性を失わせ、豹変させる魔力がありますね」
「でも、およしなさいよ。男言葉は、その格好に不似合いだわ」
「えぇー。ほとんど手ぶらで来たから、着替えなんて持ってないよ」
ノープランにも程があるんじゃないかしら。危なっかしくて、心配になるわ。
「泊まりだったので、洗い上がりのワイシャツとスラックスが鞄にあるのですが、お貸ししましょうか」
「いいの。やったー。儲かった、儲かった」
はしゃぐ鎌倉をよそに、信恵は頬杖をつき、大きく溜め息を吐き出す。
「まったく、現金なんだから」
「武田さんこそ、渡りに船とばかりに財布要員を確保しちゃってさ。年頃が同じだと睨んでモーションをかけるなんて、ずるいよ」
「悔しかったら、オランダにでも行くことね」
「あっ、その手があったか。ねぇ、直己。連れてってよ」
鎌倉は森宮の腕を掴み、前後にブンブンと振り回す。
「あらあら、仲が良いこと。妬けてきちゃうわ」
「やめてくださいよ、男性相手に嫉むなんて。――そうですねぇ。しかし、三人で旅行に行くというのは、悪くないアイデアですね。英語とドイツ語なら、お任せを」
「おぉー。いかにも医者っぽい」
瞳を輝かせ、尊敬の眼差しを向ける鎌倉。
「ぽいじゃなくて、本物のドクターよ」
「精神科医なので、滅多にオペはしませんけどね」
「滅多にってことは、する場合もあるってことなのか」
「緊急時には。ただ、実際の手術時には手の甲を外向けて上げませんし、空調が完備されてますから汗も掻きません。メスは要求しますけどね。飛び降り前に靴を脱いで揃えたり、取り調べでカツ丼を奢ったりしないのと同じです」
「フィクションだけのお約束なのね」
「がっかりだな」
「本職の警察官が刑事ドラマを楽しめないように、本職の医者も医療ドラマを楽しめないんです。困ったことに」
このあとのプランニングやトラベルの話については、また別の機会に。




