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籠の中の鳥は  作者: 若松ユウ
第二部
128/232

#121「善悪の黄昏」【渋木】

#121「善悪の黄昏」【渋木】


 声掛ければ不審者に間違われ、無視すれば薄情者だと言われる。とかく、この世は住みにくい。

 かごめ大学に程近いコンビニの駐車場で、渋木は営業用の自動車の屋根の上に肘を置き、携帯灰皿を片手に紫煙を燻らせている。そこから目の届く範囲で、大股五、六歩ほどの距離に、両手にスケッチブックと二十四色のクレヨンを持った寿と安奈が居る。寿が持っているスケッチブックには、縦横無尽に葉脈のような線が灰色で描かれ、ところどころに赤や青でマルやバツが付けられており、二人はそれをチラチラ確認しながら、キョロキョロと周囲を見渡している。

「ごめんね、安奈ちゃん。僕が坂口先生に言ってたら、こんなことにならなかったのに」

「寿くんは悪くないわ。私が、お手洗いの前で待っててって頼んだからよ。どっちが悪いかの話は、これでおしまいにして、もう一度誰かに道を教えてもらいましょう」

「そうだね。暗くならないうちに学校に戻らなきゃ」

 フィールドワークだろうか。それにしては、様子がおかしいような。第一、こんな時間まで小学生が校外学習に出るだろうか。

 渋木は、吹かしていた煙草を携帯灰皿に入れ、左腕に巻いている時計を確かめる。時刻は、午後六時を回ったところ。学生で賑やかな街には、夕闇が迫りつつある。そこへ、風華と中原が喋りながら歩いてくる。

「私も、リアス大先生の講義中に爆睡した」

「録り貯めたドラマを一気に見たことと、仕事で慢性的な寝不足なのとを一緒にするな。あと、リアスの講義は起きて聞いておけよ」

「無理、無理。相手は睡眠魔法の呪文を唱えてるんだから。第一声が『ニーチェは、かく語りき』だもの」

「ゾロアスターじゃなくてか」

 他愛もない会話をする風華たちに、安奈が二人の行く手を遮って声を掛ける。それに一歩遅れて、寿が安奈の側に駆け寄る。

「すみません。二人は、かごめ大学の学生さんですか」

「私は、そうよ。彼は、卒業生だけど」

 風華は、中原を指差す。

「他人の顔に向かって指差すな。――俺たちに、何か用か」

 中原は両手を膝に乗せて前屈みになり、目線を二人に合わせる。

「かごめ小学校って、どこか分かりますか」

 おや。二人は、静香の学校の児童だったか。迷子みたいだし、ちょっと電話して訊いてみよう。ひょっとしたら、探してるかもしれないからな。

 渋木はジャケットの懐からスマートフォンを取り出し、伊東に電話を掛ける。

「もしもし、静香か。いま、電話しても大丈夫か。……よし。俺は、かごめ大学の近くに車で営業に来てて、コンビニの前で時間を潰してたんだけどな。そこに、静香の学校の子供が二人いて、学生に道を尋ねてる様子なんだけどさ。えっ。……わかった。聞いてみる」

 動物園の帰りに駅ではぐれたのは、おそらく、あの二人に間違いないだろう。なるべく、威圧感を与えないようにしないと。相手は小学生。海千山千のクライアントじゃないんだからな。

 渋木はスマートフォンを耳元から降ろし、営業用とは違う自然なスマイルを浮かべつつ、四人のほうへ歩み寄り、安奈と寿に向かってテノールで声を掛ける。

「ひょっとして、亀山くんと観音院ちゃん、かな」

「あっ、はい。僕は、亀山寿です」

 話し続けようとする寿を制し、安奈が二人のあいだに割って入る。

「待って、寿くん。――あなたは、誰ですか」

 警戒されるのも無理ないか。小学生にとったら、三十過ぎの見知らぬおじさんだもんな。

「伊東先生の恋人だよ。いましがた、先生から君たちが迷子になってるって聞いてね。ここを耳に当てて、ここに向かって話してご覧」

 渋木はスピーカーとマイク部分をそれぞれ指差して説明しながら、スマートフォンを安奈に手渡す。

「もしもし、観音院です。……はい、そうです。亀山くんも一緒で、……わかりました。渋木さんに換わりますね。――どうぞ」

 安奈はスマートフォンを渋木に返し、渋木はそれを耳に当てる。

「どうも。――静香か。……別に構わないが。……わかった。それじゃあ、あとで」

 渋木はスマートフォンを懐にしまい、自動車を指差しながら言う。

「もうじき日が暮れるから、小学校まで送っていくよ。あの青い車に乗って」

「はい。行くわよ、寿くん」

「あっ、うん」

 渋木が自動車に歩み寄って後部のドアを開け、安奈が寿の手を引いて乗り込もうとしたところで、中原が三人に声を掛ける。

「待てよ。俺たちも乗せろ。五人で乗れるだろう」

「そうね。二人が連れ去られないか心配だわ」

 そう来たか。うーむ。たしかに、いまの言動だけじゃ、誤解を招きかねないところだな。信用するに足りないところなのだろう。

 渋木は、安奈と寿が乗り込んだのを確認すると、後部のドアをそのままに、前部のドアを開ける。

「心配なら、一緒にどうぞ」

「そうさせてもらおう。――笠置は、後ろに乗って子供たちのことを」

「わかった」

 風華と中原も自動車に乗り込み、中からドアを閉める。ちゃんと閉まってることを確認すると、渋木は反対側に回って乗り込み、運転に掛かる。

 やれやれ。せっかく、法人営業を手早く終わらせたというのに。これじゃあ、戻ったら時間ギリギリだな。


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