#111「誘惑」【安彦】
#111「誘惑」【安彦】
まず床の間に飾られた水墨画の掛け軸が落下し、次いで古伊万里の壺が横倒しになり、庭の信楽焼きの置物、石灯篭、手水鉢と、徐々に大物になっていく。
この中の誰かが、納戸にまで探しに行っちゃったみたいだね。
「きゃっ」
「何だ、何だ」
「怖いよ」
「あっ、狸が池に浮かんでる」
オロオロとする四人に向かって、観音院は優しく声をかける。
「落ち着いて、みんな。座卓の下でじっとしてれば、怪我をしなくて済むよ」
四人は、観音院の言葉に従い、我先にと座卓の下に潜り込む。
「はい。それじゃあ、目を瞑って聞いてくれるかな。良いかい」
観音院が座卓の下を覗き込み、四人とも目を閉じている様子であることを確認し、話を続ける。
「この廊下の奥、古い物が色々置いてある部屋に入った人は、正直に手を挙げて」
観音院の問いかけから一呼吸置いて、四人のうち一人が座卓の端からおずおずと手を挙げる。
やっぱり、君か。ダウンベストの襟に、最中の皮の破片が残ってたもんね。
「下ろして良いよ。……騒ぎは収まったみたいだから、みんな、座卓の下から出ておいで」
*
「ちょうど琢くんの目線の高さで、しかも、一際目を引く鮮やかな赤い絵付けがされた九谷焼の皿にたくさん盛られてたら、一つくらい減ってたって気付かれないと思うよね」
観音院は、琢が居るほうとは反対方向を見上げながら、噛んで含めるように説いていく。琢は、居心地悪そうに立ったまま、伏し目がちに視線を泳がせる。
「別に、怒るつもりも、責めるつもりも無いんだ。だって、琢くんは知らなかったし、僕も言い忘れてたからね。でも、今度からは食べちゃ駄目だよ」
そう言うと、観音院は振り返り、その場にしゃがんで琢と目線を合わせる。
「わかるね」
「はい。……ごめんなさい。もうしません」
「いいよ。偉い、偉い」
観音院は琢の頭を撫でると、立ち上がって引き戸に向かい、全開にする。
「僕からのお話は、これでおしまい。みんなのところに戻っていいよ」
それを聞くやいなや、琢は勢い良く廊下へ駆け出した。入れ替わりに、真白が和綴じされた書物の束を持って現れる。
「蛇の道は蛇ですね、旦那さま」
「聞いてたんだね、真白」
「入るタイミングを計っていました。昔、琢さまと同じことをして大旦那さまに叱られましたものね」
「忘れてよ。もう、三十年以上も前の話なんだからさ」
「そんなに経ちますか。私には、つい昨日のことのように感じますけれども」
青葉みたいに忘れっぽいのも困るけど、物覚えが良いのも考え物だな。足して二で割りたいよ。




