#108「ジェスチャー」【小梅】
#108「ジェスチャー」【小梅】
その教科を好きになるかどうかは、担当教員に左右されるといっても過言では無い。
教卓の前では、七十がらみで金柑頭の男が、間延びした声で、時折教科書を近付けたり遠ざけたりしながら、小説を読み解いている。
「えぇ注文したプレーンオムレツは、ほとんど手を付けないままであり、かつて万力のように強かった握手は、あぁ再会したときには、弱弱しいものに変わっていた。こういった描写が、あとに判明する末期癌を患っていたという事実を匂わせているわけだ。つまり、伏線だね」
学年末試験が終わっても、授業は今週いっぱいまで続く。試験に出るわけでは無いので、教室には先月末のような緊張感が無い。おまけに二年生は、まだ受験まで一年近く残っているということで、真剣みも薄い。
授業を聞きながら、小梅は時々板書をノートに書き写しつつ、余白に少女マンガ風のルロイ修道士を落書きしている。
「うぅん。春眠、暁を覚えず、処々に、啼鳥を聞く。夜来、風雨の声、花落つること知んぬ、多少ぞ。春の陽気と満腹感に誘われて、五時間目は目蓋が重くなるようだね、吉川くん」
教卓のすぐ前の席、生徒のあいだでアリーナと呼ばれている位置で、吉川は腕を枕に、机の天板にへばりついて寝ている。周囲からは、クスクスという忍び笑いが漏れている。
グッスリ眠ってるわね、吉川くん。昼に熟睡して体力を温存しておいて、放課後に近付くと再び元気になるのよね。本人はシエスタだって言ってるけど、どっちかと言うと幼児のお昼寝に近いんじゃないかな。
「ほら、吉川くん。起きなさいよ」
後ろの席の英里が、ペンケースで吉川の丸まった背中を叩くと、一瞬ピクリと身体を強張らせ、地を這うような低音で短いうめきをあげ、がらがら声を出して抵抗する。
うわぁ。意図的にカンペンの角が当たるようにしてる。痛そう。
「むぅ。あと五分だけ。いや、三分で良いから」
「もう。秋山先生も、呆れてるじゃない」
「やれやれ。次の時間はホームルームで、えぇグループワークをしてもらうから、それまでには起きてくれよ」
秋山は教科書を教卓に置き、人差し指を交差させて打ち付けると、白いチョークを手にして黒板に向かい、縦書きで書き足し始めた。
*
三十分が経過し、六時間目。小梅、英里、吉川の三人は、二つ並べた机の上に模造紙を広げた周囲に立ち、文字や図絵を書き込んでいる。三人の手には、ポスター用のペンが握られている。
結局、休み時間前まで寝たままだったのよね、吉川くん。さぞや、スッキリしてることでしょう。
「充電できたみたいね、吉川くん」
「おぅ。全回復するには、無駄に動かず、じっとしてるに限る」
吉川はベンを置き、小梅に向かって親指を立ててみせる。
オンラインゲームのキャラクターみたいね。職業は何かしら。
「金曜日は、今年度最後の国語の授業なんだから、ちゃんと起きてなきゃ駄目よ」
英里もペンを置き、吉川に向かって人差し指を立てた。
「わかってるって、松本。ゴルバチョフも、今月いっぱいで定年だもんな。ラストぐらい、睡魔と戦って聞くさ」
あっ、そうだった。金曜日も、五時間目が国語なのよね。最後ぐらい、落書きは控えておこう。何か、いつもと違う話をするかもしれないし。




