#104「ギフト」【長一】
#104「ギフト」【長一】
好事魔多しとは、よいことには邪魔が入りやすいという意味である。
「しばらく黒くしたままでいなきゃいけないから、ちょうど良いわ。これなら、カジュアルにもフォーマルにも使えそう」
手鏡を見ながら、竹美は永井に礼を言った。竹美の後ろ髪は、黒を基調としたシンプルなデザインのバレッタで留められている。
「この前の日曜日に、リュースケと買いに行ったんだ。今頃、向こうは笠置と盛り上がってるところじゃないかな」
「中原先輩も、同じ物を買ったんですか」
「いいや。リュースケは、コットンパールのピアスを買ってた」
玄関チャイムの音が鳴り、バタバタと足音が聞こえてくる。竹美は手鏡をローテーブルに置き、廊下のほうへ振り向く。
「誰かしら」
「兄貴だろう。こちらの返事も待たずに家に入ってくる人物は、他に居ない」
永井の予想通り、リビングに姿を現したのは長一だった。
「毎度、お騒がせいたしております」
「廃品回収なら、間に合ってる。迷惑だから、帰れ。シッシ」
永井は、長一に向かって片手を振る。
「ちょっと、次郎さん。そんな野良犬を追い払うような態度を取っちゃ失礼よ」
「優しいね、竹美ちゃん。ところで、次郎。ホワイトデーのお返しは済んだかい」
「あぁ。今さっき、渡したところだ」
「ちゃんと三倍になってたかい、竹美ちゃん」
「えぇ。むしろ、それ以上です」
「そっか。それで、包装紙は婚姻届だったのかな」
「そんなアバンギャルドな真似はしない。これから、何も奇を衒わずに市役所に行く」
「ジャズじゃなくて、ロックンロールになっちゃうもんね。いやぁ、早く姪っ子の顔が見たいな」
「決めつけるな。甥っ子かもしれないだろうが」
「論点がずれてますよ。まだ、妊娠もしてないのに」
「きっと女の子だよ。七の月、安産で女児が誕生するであろう。長一の大予言」
「いつからノストラダムスになったんだ」
「いいから、いいから。早く行って来なよ。急がないと、窓口が閉まっちゃうよ。留守番なら、僕がしておいてあげるからさ」
「まったく。――それじゃあ、ちょっと早いけど、届出に行こうか」
「はい。そうしましょう」
永井は溜息を一つ吐くと、時計をチラリと見てから、竹美に声を掛けた。竹美も、ソファーから立ち上がる。そして二人は、出かける準備を始める。
「気をつけて行ってらっしゃい」
そう言うと、長一は、それまで竹美が座っていたところへ腰を下ろした。
*
「やぁ、構ってハムスターちゃん。また会ったね。来ると思ったよ」
「玄関にこのメモを貼ったのは、あなたね」
髪をお団子に結い、パステルカラーのスプリングコートを着た女が、ソファーで寛いでいる長一に紙を見せながら、刺々しく言った。紙には「鍵は開いてます。話はリビングで伺いましょう」と書かれている。
「次郎は、今、どこ」
「その質問には、黙秘権を行使します。それより、これは何のつもりかな」
長一は、ピンク色の包装紙を掲げ、女のほうを見る。
「何で、あなたがそれを持ってるのよ」
何か不審物を発見したら、すぐに僕に伝えるよう頼んでたら、バレンタインの日、宛名の無い紙袋が玄関先に置いてあるって、竹美ちゃんから連絡があったんだよね。触らずに放置するよう言って正解だったよ。
「怪しいと思ってたんだ。粘着質な君が、あんな聞き分けよく引き下がるなんてさ。これは何か企んでるなと思ってたら、案の定だったよ。中身も、医学部に通ってる友人に無理を言って調べてもらったんだけどさ」
長一は、懐から化学式などが列記された紙を取り出し、女に見せる。
「致死量には遠く及ばないけど、シアン化ナトリウムが含まれてることが判明したよ。平仮名で『毒入り危険、食べたら痺れるで』とでも書いて欲しいところだね。たとえ復讐だとしてもさ」
「キッ。忌々しい男ね」
吐き捨てるように言い、女はその場を立ち去った。
それは次郎に対してもだけど、僕に対してもだよね。
「僕は、昨年の聖夜に警告したよ。自業自得じゃないか。すっぱり諦めて、新しい恋を探せば良いのに。……えーっと。この家にシュレッダーはあったかな」
長一はソファーから立ち上がり、探し物を始めた。




