#100「雪洞」【安奈】
#100「雪洞」【安奈】
早く片付けないとお嫁に行くのが遅くなると言われてるけど、お婿さんを貰うのも遅くなっちゃうのかしら。お父さんは、迷信に惑わされずに天気の好い日に片付けるのが一番だと言うけれど、気にしない訳にはいかない。
懐紙が敷かれた塗りの器には、ひなあられが盛り付けられている。安奈は、それを横目で見ながら、同時に作楽の様子も窺っている。
「一番上で、お箸を持つほうに飾られてるのは、お内裏さまで男の人。お茶碗を持つほうに飾られてるのは、お雛さまで女の人よね」
伏し目がちに思案顔をしている安奈に、瞳を輝かせている作楽が質問を投げかけた。その視線の先には、七段の立派な雛人形が飾られている。
「そう、合ってるわ。由緒ある古いお雛さんなのよ、これ。百年以上も前に作られたんだから」
鳳凰堂家の本家が京都にある関係で、そこから持ってきたこの雛人形も京式に則って右殿左姫になっている。中央に座る眉の無い官女は島台を持っているし、橘と桜のあいだに立つ仕丁は、箒、ちり取り、熊手を持っている。だけど、そういう込み入った話は、まだ早そうね。
「へぇ、すごいわね。そんなに古いお人形なのに、綺麗なままなのね」
「私のお母さんや、そのまたお母さんが、大事にしてきたからよ」
背中や底を裏返して見れば、虫食いや修理の跡が残ってるんだけど、元の造りがしっかりしてるお陰で、パッと見の美しさは保っている。
「それより、こっちにきて一緒に食べましょう。もうすぐ、甘酒も出来るわ」
「はーい」
気持ちの良い返事と共に、作楽は座卓に向き直り、安奈の右手横に並んだ。
ちょっと前まではオドオドしてたから、ついついキツく言い過ぎちゃってたけど、ここ最近は、ずいぶん聞き分けが良くなったものだわ。懐かれると、妹が出来たみたいで嬉しい。
*
「ジッと見ると、つくづく不気味な顔だな」
「瞬き一つ、身じろぎ一つしないからね」
マスクと軍手をしながら、織田と観音院は、桃の節句が過ぎて役目を終えた雛人形を和紙で丁寧に包み、防虫剤と一緒に箱に詰めている。窓の外は、うららかな春の陽気に包まれている。
「この中に、呪いの人形が混ざってるということは無いよな」
「どうだろうね。明治時代頃から代々受け継がれてきた品らしいんだけど、髪が伸びるとか、夜中に動くとか、何らかの曰く憑きだという話は聞かないよ」
「明治の物か。それじゃあ、ざっと一世紀は経ってる訳だな」
「ひょっとすると、付喪神が宿ってるかもしれないね」
そう言いながら屈託のない笑顔を向ける観音院に対し、織田は眉間に皺を寄せ、口をへの字に歪める。
「縁起でもないことを言うな、十九代目」
「十七代目だよ。元禄十四年の創業。京の老舗に比べれば、まだまだ新参者だね」
「元禄十四年というと、西暦何年だ」
「一七〇一年さ。井原西鶴が『日本永代蔵』を刊行したり、松尾芭蕉と河合曾良が奥の細道の旅に出たり、近松門左衛門が『曽根崎心中』を初演したりした年だよ。この年のホワイトデーには、赤穂藩主の浅野内匠頭が」
「江戸城の松の廊下で、吉良上野介を切りつけた。ということは、将軍は綱吉か」
「ちなみに天皇は、東山天皇だよ。――時に、康成くん」
「何だ、若旦那」
「最近、君の娘の作楽ちゃん、僕の娘の安奈と、かなり打ち解けてきたと思うわないかい」
「そうだな。初対面に比べれば、作楽の緊張が解けて、お嬢ちゃんの態度も軟化してきたようだ。子供は、適応力が高いからな」
「そうでしょう、そうでしょう。そこで今度は、父親同士が親睦を深める必要があると思うんだよね」
「……何を考えているんだか」
手にしている人形と同じような笑みを浮かべた観音院の提案に対し、織田は顔を引きつらせるばかりだった。




