表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

わたしたち

作者: 史桜

 雪が降りそうな曇り空の下、街は普段とは違う明るい光達で華やかに飾られていた。鮮やかな赤や緑、黄色がとても眩しい。すれ違う人々は、何処か浮き足立っているように見える。

 そんな街の中を私は足早に抜けて、彼との待ち合わせ場所へと急いだ。

 今日は十二月二十五日。これから恋人と念願の初クリスマスデートだ。彼と付き合ってから今まで三回の冬があったけれど、クリスマスにデートをするのは初めてのことなのでこの日をずっと楽しみにしていた。


 待ち合わせ場所である大きなクリスマスツリーの前に行くと、既にそこには彼の姿があった。私はごめん、待った? と声をかけて彼の隣に並ぶ。


「久し振りだね。最近どう?」


 数か月振りに言葉を交わす。なんだかんだで直接会うのは久しい。私がそう聞くと、彼は目尻に皺を寄せた。


「野球したい欲が溜まってて辛い」


 いかにも彼らしい答えが返ってきて、私は思わず吹き出してしまう。それと同時に、彼が何一つ変わらない相変わらずの野球バカだったことに心底安堵した。


「今までずっと野球しかやってこなかったもんね」

「俺にとって、野球がものすごくでかい存在だったことに今更気づかされた。最近は引退する前よりバット振ってる気がする」


 彼はそう言って、試合の時と同じように首をぐるりと回した。ああ、癖も変わっていない。そう思った瞬間、私は背伸びをして彼の頭に触れていた。

 打席に立った時、彼は首を二回、右回りに回す。昔、緊張をほぐすためにやっていたことがそのまま癖になってしまった、と呟いていたことがあった。


「どうした、優衣(ゆい)


 少し戸惑ったように私の名前を呼びながら、元硬式野球部のキャプテンは私が頭に触りやすいよう腰を屈めてくれる。私はそんな彼の、坊主の時よりは伸びたけれど短髪には変わりない髪を優しく撫でた。


力登(りきと)、本当にお疲れ様。私が褒めてあげる」


 そう言って何度も練習してきたとびきりの笑顔を彼、力登に向ける。すると、力登は照れたように元の背筋の伸びた綺麗な姿勢に戻って視線を宙に彷徨わせた。

 こんなに可愛い姿は、野球をやっている時とは大違いだ。


 野球をしていたり、キャプテンとしてチームのことを考えている時の力登は全くの別人。ものすごくかっこいい。真剣そのものの表情は、何度見ても目が離せなくなる。だけど、こうやって私の言動一つで顔を赤くさせる姿は、鍛えられた男の容姿に似合わない幼さが混じり、可愛かった。

 こんな姿、現役の頃は滅多に見られなかったのでなんだか嬉しくなる。だが、それと同時に終わってしまったんだな、という実感が今更になって湧いてきた。

 あの泥にまみれたユニフォームを着た彼が見られないのは惜しい。今までは私服姿がほとんど見られないことに寂しさを感じていたのに、自分の気持ちの変わりようにはつくづく呆れる。


 結局、私は野球をしている力登が一番好きなのだ。彼が引退してから、改めてそう思い知らされた。


「そろそろ行こうか」


 頷いた私の目の前に豆の出来た手がそっと差し出される。それに自分の手を絡ませると、それだけで頬が熱を帯びた。

 彼との密接な関係がないわけじゃない。忙しい中時間を作って会いに来てくれた時はそれなりのことを行ったりもした。だけど、会う度に最初の頃の二人に戻ったような気がして、私は手を繋ぐのも恥ずかしいと思ってしまう。

 そんな私を力登は可愛いと言ってくれるから、照れてしまう性格はいつまでも直らない。


 まったり話をしよう、ということで、ちょっとおしゃれなカフェに入ることになった。さりげなくドアを開けてくれた彼に少しどきっとしながらも、店内に足を踏み入れる。

 私達は中央の二人席に座って、それぞれコーヒーと紅茶を頼んだ。運ばれてくる間に話すことは勿論野球のこと。


「もう立ち直ったの?」


 私は直球でそう聞いた。私達の間に気遣いはいらない。


「流石にもう平気だよ」


 そう言う力登の様子になにも変化はなかったので嘘はついていないらしい。良かったと内心ほっとしていると、彼は頬をかきながら申し訳なさそうに言った。


「あの時は人前でごめん」


 その言葉で、あの日が昨日のことのように思い出された。


~~~


 七月、力登達三年生にとっては負けたら引退、しかし優勝したら全国、つまり球児の憧れである甲子園に行くことが出来る、そんな大会の決勝戦。

 私は力登達の高校の応援をしようと直接観に来ていた。

 試合が始まって力登の大きな背中を見つけた時、鼓動が速くなった。彼がヒットを打った時は自分のことのように嬉しくなったし、最終回で逆転されてしまった時は悔しいという思いが胸の内を占めた。力登の活躍と勝利を願って、私は精一杯叫んだ。

 しかし、結果は決勝敗退。力登達の高校は勝つことが出来なかった。互角の戦いで、観客までもが熱くなるような試合だっただけに選手の落ち込みは半端なく、グラウンドで号泣している姿は観ているこっちの胸が痛んだ。その中で一人、力登だけは泣いていなかったけれど。


 力登が退場してくるのを待って会おうと思っていた私は、丁度閉会式が終わった直後に会うことが出来た。


「優衣……」


 彼は私の姿を見つけると、一目散に駆け寄ってきて私を抱き寄せた。そこは他の選手や試合を観終わった人々で溢れ返っていたのに、そんなことまるで気にしていない様子だった。

 いつもだったらこんなことしないのに。動揺する心を抑えようとしたけれど、周りの人が騒ぎ立てたため私の心臓の音は収まるどころか一気に速くなった。

 肩を押し、離してと言ったのに全然離してくれない。耳まで赤くなったのが分かったけれど、私の肩に顔を埋めた彼の口から小さな嗚咽が聞こえた瞬間、他の人のことなんてどうでも良くなった。


「お疲れ。頑張ったね」


 短い短い坊主頭をぽんぽんと軽く撫でる。すると、嗚咽はすすり泣きに変わった。


「ぜってぇ勝てると思ったのに……。すげぇ悔しい……」


 シャツ越しに火照った体の熱い感覚が伝わる。ここに来るまで泣くことを我慢していた力登の気持ちを考えると、私の頬にも自然と涙が流れた。

 本当にお疲れ様。

 私は力登が落ち着くまで、悔しさで揺れるその大きな肩を優しく抱き締め続けた。

 

~~~


 運ばれてきたコーヒーに砂糖を入れまくり、彼が言う。


「今考えるとめちゃくちゃ恥ずかしいことしたよな、俺」

「うん、あれは恥ずかしい」


 私はなにも入れていない紅茶に口を付けて頷く。

 そしてぽつりと呟いた。


「でも、嬉しかったな」

「え?」


 聞こえなかったのかと思い、彼の様子を確認すると、手で顔を覆っていた。その手までもが赤くなっている。


「……もしかして、照れてる?」

「いや」


 力登は即否定した。でもその表情が語っている。私の言葉で照れた。それが嬉しくて頬が緩んだ。

 彼はそんな私の頭を軽く小突いて、いきなり額に口を寄せた。驚いて硬直する私に向かって、可愛いよ、と目を合わせ小声で言う。

 その瞬間、赤く赤く色付いた私を見て、力登はにやりと笑った。


「仕返し」


 なんか、私達恋人っぽい。

 照れ隠しに紅茶をぐっと飲み干す。彼もコーヒーを一気飲みしていた。そしてどちらからともなく席を立ち、レジに向かう。何気なく奢ってくれた彼の優しさが胸に沁みた。


 外に出ると雪がちらちらと降り始めていた。念のためと用意してきた傘を出すと、なにも言わずに奪い取られ、二人で一つの傘に入った。自然と肩が当たるほどの至近距離になる相合い傘は、二人の空いていた時間を埋めてくれる気がした。


「どこ行く?」

「寒くないところ」

「了解」


 短い言葉のやり取りでさえ交わせることが嬉しい。今日は会えなかった分、たくさん話をしようと思った。


 少し歩くと、彼の家が見えてきた。確かに寒いところではない。


「お邪魔します」

「親いないから。先リビング行ってて」


 部屋に入ると、もう既に暖かくなっていた。力登が家族に暖房を消さないように言ってくれたのかもしれない。手足が冷え切っていたので、ありがたかった。

 その場に突っ立っていると、後から入ってきた力登はソファに座り、おいで、の仕草をした。拒む理由がない私は、誘われるがまま彼の腕の中に収まる。後ろからぐっと抱き寄せられて、会いたかった、とカフェにいた時とはトーンの違う声で甘く囁かれ、なにも言えなくなった。


「俺、ずっと練習ばっかで全然会えなくて、寂しい思いさせて、ごめんな」


 首を横に振る。


「……ううん。私、野球が好きな力登が好きだったから、平気だったよ」


 やっとのことで出した声は震えていた。そんな私に、こっちに体向けて、と言った彼の眼は今までに見たことがないくらい優しい色を湛えている。

 どきどきしながらも向かい合わせになるように体の向きを変えると、首に手を回された。されるがままになっていると、出来た、と満足そうに笑う彼と目が合った。


「下見て」

 

 言われた通りに胸元を見る。すると、そこには美しく輝くハートのネックレスが着けられていた。


「どうしたの、これ」

「引退してから、バイト掛け持ちして貯めた金で買った。姉ちゃんと出掛けて選んだから、デザインはそんなに悪くないと思うけど……」


 ネックレスに触れてつっかえつっかえ説明する彼がとても愛しくて、私は彼をぎゅっと抱き締めた。

 こんな時になんて言ったらいいのか、私は知らない。ありがとうじゃとても伝えきれないほど嬉しい。

 とりあえず笑おうと思って口角を上げたけれど、上手く笑うことが出来なかった。頬が引き攣る。そんな私を見て、彼は困ったように首を横に傾げた。


「気に入らなかった?」

「そんなこと、ない。すごく嬉しい。ありがとう……」

「じゃあ泣くなよな」


 こんな時に涙を止める方法を、私は知らない。目から伝う雫を拭ってくれる彼の指は太くて、会えなかった三年間、必死で練習を重ねていたことが分かる。


 本当は不安で仕方なかった。会ってくれないのは他の女の子と会っているからなんじゃないか。連絡をくれないのはもう私のことを嫌いになってしまったからなんじゃないか。

 そんなの、力登に限って有り得ないことを私は知っていたのに。


「力登、本当にありがとう。……大好き」


 号泣しながらも必死に笑って伝えると彼は、それは俺の台詞だよ、と微笑んで、私の唇にそっと触れた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点]  青春を満喫しています。 [一言]  恋人を作りたかったです。
2015/12/07 22:27 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ