二十一
竜。そんなものはおとぎ話だけの生き物、想像上伝説上の生き物だと思っていた。
きっとそれは正しかったのだろう。神護の世界では。
けれど別世界異世界というものに来て初めて本物の竜、ドラゴンと呼ばれるものを目の当たりにして思う。
あながち物語というものは間違っていないものだと。
竜というものは人々に富を齎す象徴として描かれている一方、災厄を運んでくるものとして描かれていることもあり、そのほかにも悪魔の化身、神の使い、その土地の守り神や主として語られることもある。
そしてそのいずれも強大な力を持ったものとして描かれている。
その容姿を男ならだれでも格好いいと思ったり、またその力を自分もあんな風に強くなりたいと憧れたりしたことは一度くらいあるだろう。
それはいくつになっても消えない者は心から消えないし、強くなりたいと思わなくなるにしても格好いいと思う心はなくならないと思う。神護もその一人だ。
けれどやはりそれは物語だからこそ創作物だったからこそ感じたものだろう。
実際に、現実に目の前に現れるとそれがどれだけ作り物の中だけの存在あったことが嬉しいことか。
今目の前にいるのそれはこの世界の存在の中でもトップクラスの強大な力を持ったものだろう。
一体なら、一体ならまだどうにかできた——力を手に入れた神護はそう心のどこかで思っていた。
けれどもう一体現れたことによりそんな思いは崩れ去った。
身体は恐怖で震え、絶望が奥底からどんどん湧いてくる。呼吸も早く動悸も激しい。
逃げようにも足がすくんで動かない。
いやまず逃げることは不可能だとすでに理解している。けれど逃げないと死ぬ――本能がそう語りかけてくる。
「どうした? 体が震えてるぞ?」
人型のウロボロスは嘲笑いながらその様子を楽しんでいた。
神護は怒りこそ込み上げてくるものの、言い返せる言葉を持てなかった。
事実として神護は目の前の強大な敵の前に恐怖を感じている。
「まあ、そんなの関係ないけどね!」
人型の方の言葉を皮切りにウロボロス双方は一斉に神護に向かってくる。
竜型の方が先頭に立ち体をうねらせ高速で近づいてき、自身の間合いまで近づくと体を回し、尾を神護目掛けて叩きつけてくる。
神護は恐怖で重くなった体を無理やり動かしその攻撃を避ける。しかし避けた先に人型の方が先回りしており腹部目掛けて蹴りをかましてきた。
咄嗟に防御の構えを取り体への直撃は避けたが、威力はかなりのもので代償に防いだ腕の骨を折られる。
しかし攻撃のおかげでウロボロスたちとの距離が空き、そのまますかさずさらに相手との距離を開け一旦体制を整える。
神護は〈治癒龍〉で腕を治し、ウロボロスたちからさらに距離をとる。
距離を開けることにさほどの意味はない。
彼らには遠距離攻撃や、一瞬で距離を詰めれるだけの跳躍力がある。けれど幾分かの時間は稼げる。
それが刹那なのか数秒もしくはもしかしたら少しの猶予を彼らが与えてくれるかもしれない。
最後のは神護の完全な希望だったがウロボロスたちが動くまで一秒ほど時間が空いた。
その少ない時間は神護にとっては十分で龍力を練る時間ができた。
ウロボロスたちは神護が攻撃に移ろうとしてることを悟り二手に分かれ左右から攻撃を仕掛けてきた。
が、そんなものに意味はなく神護を中心に黄金の炎が広がり障壁のような役目を働いた。
「くっ!」
ウロボロスたちは炎の障壁にはじかれ神護から押し離された。
そして再び距離が空いたことにより神護に幾分かの猶予ができ微量ながら体力の回復と龍力を込める時間ができた。
「クハハハハハハッ! それが本物かどうかもなぜ君が使えるのはわからないが……曲りなりにも『太陽の属性』のようだね」
「……? 太陽の属性?」
人型ウロボロスは急に高笑いを始めたかと思うと神護の知らない情報を言う。
「ん? なんだ、自分で使っているのにわかっていないのか?」
「いや、太陽の属性じゃなくて『宇宙の属性』だろ……?」
「……はぁ?」
人型は、いや今回に限っては竜型のほうも馬鹿にするような顔を神護に向けてきた。
「『宇宙の属性』なんてものはないよ……いや、正確に言うとあるんだがそれはとある竜だけが所持している属性だ。他の者が使えるわけがないんだよ」
「……じゃああいつは俺たちに噓を? 何のために?」
「何をブツブツと、一応戦いの最中だからねっ!」
ウロボロス達は一気に地面を蹴り神護と距離を詰める。
「うるせぇっ!」
神護はそれを予期していたのかウロボロスとの間に炎の壁を作る。
ウロボロス達は眼前に現れた炎の壁に一瞬ひるんだものの、竜の方は壁に向かい口からレーザーのように龍力を吐き出し壁に穴をあける。
人型はその穴を通り神護に接近する。が、神護は人型の方が穴から出てきた瞬間顔面を殴りつけ出てきた穴に強制的に戻す。
「っが!」
人型は不意を突かれたこともあり防御が間に合わずそのまま地面に叩きつけられる。竜型は壁に阻まれていたためよく見えずいきなり飛んできた人型を驚愕の目で見ていた。
刹那、炎の壁がいきなり消え、神護が姿を現す。
竜の方は一瞬人型のことで硬直してしまっておりそれが己にとって致命的な隙となってしまい、神護はその隙を見逃さなかった。
「太陽拳」
神護は自分の拳に黄金の炎を纏わせ竜型を殴りつける。
しかし竜型もタダでは飛ばされまいと尾を振り、神護の横腹に叩きつける。
「ぐふっ!!」
神護は飛ばされそうな体を何とか踏ん張り、その場に体を留める。竜型のほうは人型と同じところまで飛ばされており共に地面に倒れる。
ウロボロスたちは両方そこそこのダメージが入っているはずだ。
ふとそんな考えが神護の頭に過ぎる。が、そんな考えはすぐに払拭した。
あいつらがそんな簡単に倒れるはずがないと――。
その考えは正解だった。ウロボロスたちは何事もなかったかのように……とまではいかなかったものの大してダメージは入っていなかった。
「いや~思ったよりもやるね?」
「くそっ!!」
神護は苛立ちが隠せずに思い切りウロボロスたちを睨みつける。
「もう諦めなよ? 君じゃ僕たちには勝てないよ?」
「ふざけるなよ!! 俺はもう負けるわけにはいかないんだよ!!」
神護は目を閉じ自身の中心に龍力を集めるために集中する。次第に神護の体に膨大な龍力が集まり、龍力が纏まるのを感じるとそっと目を開きウロボロスたちに宣言する。
「お前達に俺の本気を見せてやる!!」
神護は集めた龍力を一気に解放する。刹那、神護の姿は先ほどまでとは異なるものになっていた。髪は逆立ち黄金に染まり、頬や手の甲には黄金に輝く鱗が浮かび上がっている。
そう、『Dモード』である。
「「っ!!」」
今までとは打って変わり神護から発せられる龍力が一気に膨れ上がり圧力としてウロボロスたちを押さえつける。
人型は怨めしそうに神護を睨みつけるも神護はその様子を只々無感情で見やる。
しかしすぐに踵を返し鳥籠に囚われている少女の元へと歩みを進める。
「なっ!! お前どこへ行く!」
人型は神護に追いすがるかのように手を伸ばす。けれどその手が届くことはなく、神護は一瞥だけくれると再び歩みを進める。
そして次の瞬間ウロボロスたちは巨大な黄金の炎に飲み込まれた。
轟々と炎が燃え上がる。
ウロボロス達には勿体ないほどにその黄金の炎は爛々と輝いており、神秘ささえも感じられるほどく美しく燃え盛っていた。
あの程度では死なないとは理解しているが幾ばくかの猶予は確実に手に入れたことも認識している神護は、そのまま振り向きもせず少女のいる巨大な鳥籠へと歩みを進める。
鳥籠の中の少女は一瞬だけウロボロス達が炎に包まれたことに驚愕の表情を見せたが、今はじっと神護のことを見据えている。
「ここから出たいのか?」
少女に落ち着いた声色で語り掛ける。
「……」
けれど少女は沈黙したまま視線は神護を——いや、神護の背後を見ていた。
それに気づいた神護は振り向き、未だに燃え盛っている炎を見る。そして数秒の間の後、炎は消えた。
しかしそこにはウロボロスたちの姿はなく、燃え殻のひとかけらさえ落ちていなかった。
神護は不安を覚える。あれで終わったのか——と。
その感覚は正しかった。
神護の背後から倒したはずのウロボロスたちの気配がした。
すぐに振り向くが、そこにはウロボロスたちの姿はなかった。が、先ほどまでのあった巨大な鳥籠もなく、その中にいた少女がそこには立っていた。
神護は鳥籠から放たれ、目の前に立っている少女に驚愕した。
どうやって鳥籠から――。なんてことは二の次だ。
少女から放たれている龍力の圧がが先ほどまで戦っていたウロボロスたちの比ではなかったのだ。
鳥籠に囚われていた時とは違い圧倒的存在感と強者の貫録を醸し出している。
「ちっ!!」
神護は慌てて距離をとる。しかしそんな行為は無意味だった。
少女は一呼吸もせぬ間に再び神護の眼前に立っていた。
「なッ!! くそっ——!」
神護は逃れられないことを悟り即座に行動を攻撃に移すために掌を少女に向けた。
けれど龍術を発動する前に腕をつかまれる。
それを振り払おうと神護は腕に力を入れる。が少女の力は異常であった。
振りほどくには今の力では足りなかった。
「——っ!! 離せ!」
「——待ってください。私は戦いたいわけではないです」
「……何?」
神護は掴まれている腕の力を緩め、それに気づいた少女はそっと神護から手を離す。
「あなたは試練に打ち勝ちました。よって私の力は貴方のものとなりました」
「いや、待て。意味が分からない」
怪訝な形相で少女を見つめ真意を質す。
いきなり『私は貴方のものです。』そんなまるで自分は物で所有権は貴方にあります。なんて言葉を投げかけられても、そんな奴隷のような存在がある文化を教科書や物語の中の知識でしか育ってこなかった神護にとっては困惑しか生まれない。
「それもそうですね……。一先ず簡潔に説明すると貴方が私の主となるということです」
「いやいや! どうしてそうなる!? ていうか、あんたはいったい何者だ?」
「私の名前はウロボロス——。無限龍と呼ばれる存在です」
「はぁ??」
神護は素っ頓狂で間抜けな声をあげる。
「いやもうほんとうに、ちょっと待て……。ウロボロスはさっきの奴らだろ。君は囚われていたんじゃないのか? いやそれにまず君はどう見たって人間じゃないか」
神護は困惑しながらも思考をまとめ答えを導こうとするも、どうにも必要材料が足らず疑問となる。
「別に私は囚われていたわけではありません。ただ待っていただけです。」
「待っていた? いったい何を?」
「強きものを——」
「強きもの?」
神護は少女をじっと見つめる。言葉の本意はわからないが何かを求めていたということは理解できた。
静かに目で続きを促す。
「私はとある事情がありここで力のあるものを待っておりました。その事情を今は話す時間がありません。けれどもきっとあなたにも悪い話にはならないと思います」
「は? 一体どうゆう——」
「……そろそろ時間ですね。ここの空間は試練が終わると崩壊するようにしておいたので、脱出しないいけません」
「いやいやいや! まだ話は終わって——」
神護は少女を逃がすまいと慌てて詰め寄り、腕をつかもうとするもそれは空を切る。
少女が移動したわけでもなく確かに掴んだと確信を持ったつもりだった。
しかし現実は酢の腕をすり抜けるように空を切る。
気が付くと少女の姿はだんだんと透けてきていた。
「大丈夫ですよ。私は貴方と居ますから……」
少女はそう言い、微笑むと完全に姿が消えた。
それを皮切りに周りの空間に亀裂が走る。
「おいおいおい!! ちょっと待てよ!」
神護は慌てるも、周りに逃げ道はなくまさに崖っぷちである。
だがそんな心情とは関係なく亀裂は広がっていく。
遂には砕けるようにその空間が割れた。
「……え?」
気が付くと神護は校舎へ向かう一本道の道中にぽつりと立っていた。
空を見、太陽の傾き加減で調べる限り、祠へ入る前とさして時間も変わっていない。
「何だったんだよ——?」
神護は首をひねるもそれで答えが浮かんでくるはずもなく、一先ずこの件は保留とし目的地である校舎を目指して再び歩みを進めた。