~ 亥ノ刻 浮彫 ~
靴の裏に張り付くような感触を覚え、宗助はふと足を止めた。
気がつくと、辺りの姿が一変していた。
触手とも海藻ともわからない不気味な物体。それらが壁を這い上り、天井からずるりと垂れている。先端からは、時折水が滴り落ちて、あちこちに水溜りを作っている。
先程から聞こえていた水音は、どうやらこれが原因らしい。鼻先を掠める微かな潮の臭いに混ざり、少しばかり死者の臭いがしたような気がした。
そう、死者の臭いだ。何故かは知らないが、宗助にはそれがはっきりと解った。
この船に囚われてから、いつの間にか自分の中に潜む力が大きくなっていたのだろうか。それとも、気がつかない内に自分もまた、冥府の住人へと成り果ててしまったとでもいうのだろうか。
考えていても仕方ないことだ。雑念を振り払い、宗助は美紅の後を追うようにして歩き出した。
部屋の中央を真っ直ぐに伸びている血痕。何かを引き摺った後のようなそれを辿ると、やがて巨大な鉄扉が姿を見せた。
「ここね……」
扉を見上げ、美紅が呟く。かなり頑丈な水密扉のようだ。辺りには相変わらず奇妙な物体が張り巡らされ、扉もまたそれで覆われていた。
周りに絡みつく奇妙な物体に臆することなく、美紅はそれを払いのけて扉に手を掛けた。環状のバルブハンドルのような取っ手を回すと、思ったより簡単に扉は開いた。
「行くわよ。準備、出来てるわよね?」
美紅の問いに、宗助は何も答えなかった。答えなど、口に出さずともわかっているから。ここまで来た以上、既に後戻りすることは許されないと知っていたから。
鉄の扉が、鈍い音を立てて開かれる。途端に漏れ出す生臭い空気。これには宗助だけでなく、さすがの美紅も顔をしかめた。
腐臭と、それから血の臭いだろうか。あまりに重たく、遺伝子レベルで嫌悪感を覚えさせるような空気だ。遥か、太古の昔に忘れ去った、それでいて本能の奥深くに刻み込まれた記憶。あらゆる生命を拒絶する臭気を前に、宗助の手が思わず震えた。
そっと、足音を忍ばせるようにして、美紅は部屋の中に踏み込んだ。宗助もそれに続く。
瞬間、臭いが先にも増して強くなった。喉の奥から酸っぱい何かが込み上げてきたが、辛うじてそれを飲み込んだ。
ここは地獄だ。安易な表現だが、それ以外に形容のしようがなかった。
船の最奥という場所と、時折聞こえる微かな機械音。恐らくは、動力室のような場所なのだろう。が、普通の船に見られるような動力室とは、その部屋は随分と趣が異なっていた。
まず、天井が高い。無駄に広い空間が存在し、ちょっとしたホール程度の大きさがある。
周囲の壁は、やはりというか、ここも奇妙な触手状の物体で覆われていた。しかし、それ以上に恐ろしいのは、その壁面の至る所が血によって汚されていたことだろう。
どこを見ても、鮮血、鮮血、また鮮血。古い物も、新しい物もある。中には内臓を撒き散らしたような痕跡や、人間をそのまま壁に叩きつけて潰したような跡も残っていた。
ふと、部屋の隅に転がっているバケツに目をやると、そこからボールのような何かが顔を覗かせていた。よくよく見ると、それは半分腐りかけた、どこの誰のものとも知れぬ人間の頭部だった。
発狂しそうになるのをギリギリで堪え、宗助は汗で濡れた手で霊劇銃を握り締めた。
動力室というよりは、まるで人肉の解体処理場だ。この惨状からして、仲間達の生存は絶望的だろう。連中が何の目的を持って残虐な殺戮を行うのかは不明だったが、今となってはどうでもよい。狂った悪魔どもの理屈など、知りたくもないし知ろうとも思わない。
幸いなことに、部屋の中には薄ぼんやりとした灯りがぶら下がっていた。裸電球でも下がっているのかと思い目をやったところで、宗助は思わず両目を見開いて息を飲んだ。
そこにあったのは人間の首だった。小さな、それこそ握り拳程度の大きさの人間の頭部が、天井からいくつも吊り下げられていた。
悲しげな表情をしたそれらの首は、淡い橙色の光を放って輝いている。この船に取り込まれ、命を奪われた者の成れの果てだろうか。少なくとも、生きた人の首でないことだけは明白だ。
「さて……。どうやら、討ち漏らした最後の相手に追いついたようね」
突然、美紅が足を止めた。その視線の先へと顔を向けると、果たしてそこには宗助も良く知る男が立っていた。
「田宮……」
そこにいたのは徹だった。あちこちに返り血を浴びたような跡があり、服の裾は所々で破れていた。
あれは徹ではない。内なる力がざわめくのを感じ、宗助は咄嗟にそう判断した。
「よぉ、宗助……。まぁだ生きていたか」
徹の姿をしたモノが、粘着質な笑みを浮かべて口を開いた。その声色は、既に宗助の知っている徹のものではない。様々声が入り乱れ、幾重にも重なっているような不協和音。下手糞な役者が一斉に同じ台詞を叫んでいるときのような、そんな耳障りな声だった。
「田宮……。お前……」
「なんだぁ、宗助……。お前こそ……俺が、死んだと思ったのかぁ?」
生憎、そう簡単には死にはしない。そう告げて、徹はゆらゆらと揺れながら笑っていた。
「俺はなぁ……不死身になったんだよぉ……。この船から力をもらってなぁ……絶対に死なねぇ身体になったんだぜぇ……」
「ふざけるな! さっき、俺達を襲ったのはお前だな! あれはいったい、何の真似だ!?」
「何の真似だってぇ? そんなもん、決まってんじゃねぇか……。お前達を……こっちの側に連れて来るためによぉ……」
一瞬、徹の眼球の中で、何やら黒くドロドロした物体が泳ぐのが見えた。黒目とは違う、もっと流動的な液状の何かだ。
「こっちの世界は気持ちいいぜぇ、宗助ぇ……。まあ、お前が俺と同じように、こっちに来れるかどうかはわかんねぇけどなぁ……」
「なんだと!? どういう意味だ、それは!?」
「ふへへ……。そいつは……そこにある肉の塊を見りゃわかんじゃねぇか? 俺と違って……この船の力をもらうことに失敗した、間抜けな連中の成れの果てがなぁ……」
不快な笑みをこちらに向けたまま、徹が指先だけで部屋の片隅を指した。
「あれは……!?」
それ以上は、何も言葉が出なかった。
部屋の片隅で、内臓の欠片や人体の一部に混ざるようにして転がっていた二つの物体。巨大な腫瘍を思わせる肉の塊が、ぶよぶよと揺れながら脈打っていたのだ。
およそ、この世のものとは思えない不気味な肉塊。だが、それ以上に宗助を戦慄させたのは、その肉塊から聞こえてくる声だった。
――――見ないで……。
耳を通さず、頭の中に直接声が響く。その声の主が誰であるか悟り、宗助は何も出来ぬまま茫然と立ち尽くすだけだった。
「真弓ちゃん……なのか?」
――――お願い……。見ないで……宗助さん……。
また、声がした。紛れもない、真弓の声だ。
信じられない、信じたくない。ただ、その言葉だけが頭の中を駆け巡る。
――――こんな私の姿……お願いだから……見ないで……!!
「う、嘘だ……。そんな……」
突き刺さるような叫び声に、宗助は思わず顔を逸らした。
あれは本当に真弓なのか。あんな醜い、腐った内臓を固めたような肉の塊が、あの真弓だというのか。
ふと、もう片方の肉塊に目をやると、そこからは別の声が聞こえてきた。掠れるような、それでいて耳の中を掻き毟られるような、不快で甲高い笑い声が。
――――アハハ……アハハハハ……。
それは、ガラスを爪で引っ掻いたときの音に良く似ていた。人の肉体を失ってもなお懇願する真弓のものとは違い、完全に壊れているのが宗助にもわかった。
「あっちの塊は……もしかして、千晶なのか!?」
狂笑の中に、微かに残された聞き覚えのある声色。それを思い出し、再び宗助の全身を虫が這い回るような感覚が襲った。
徹は自分が不死身になったと言っていた。そして、目の前の肉の塊が、船から力をもらい損ねた出来損ないとも言っていた。
だとすれば、あれは間違いなく千晶と真弓だ。この船に巣食う鉈の男。あれに攫われて、聞くもおぞましい何かを施された挙句、あの姿に変えられてしまったに違いない。人の姿を失ってもなお、永遠に意識は残されたまま、悠久の刻を生き続ける肉の塊に。
初めに恐怖が、次に悲しみが襲ってきたが、やがてそれは怒りへと形を変えた。
許さない。真弓がいったい何をした。あの子には何の罪もないはずだ。
拳に爪が突き刺さる。気がつくと、宗助は徹に向かって霊撃銃の銃口を構え、心の命ずるままに叫んでいた。
「田宮……。貴様……自分の実の妹までこんな姿にされたのに、お前はなんとも思わないのか!?」
「はぁ、なぁに言ってんだ、お前? そこの肉の塊……真弓とか言ったかぁ? そいつをバラしたのは、他でもない俺だぜぇ?」
「なっ……!? それじゃ、お前は自分の手で自分の妹を……!!」
「それがどうした? 言っとくが、俺はバラしはしたが殺しちゃいねぇ。この船の力を、ちょいとあいつにも分けてやろうと思ったんだが……俺とは違って、出来そこないの腐った肉になっちまいやがった。厨房で摘まみ食いして、拒否反応起こした晴美みてぇになぁ!!」
なんのことはない。単に運が悪かっただけだと。そう言わんばかりの口調で、徹は軽く流して言った。だが、そんな彼の横柄な言葉は、却って宗助の神経を逆撫でするだけだった。
「貴様! 真弓ちゃんは、お前の妹だろ!? それを……自分の手で、そんな醜い塊に変えて……本当に平気なのか!!」
「そう、熱くなんじゃねぇよ……。どのみち、こいつらはいずれ船の餌になる運命さ。それまでは、まあ今の姿のまま生かしておいてやるから感謝しな」
「ふざけるな! そんな姿にされた挙句、最後は餌だと!? 貴様はどうして、そんなことを平然とできるんだ!!」
「どうしてだぁ? お前もこっちの世界に来たらわかるぜぇ……。この船は、俺に刺激を与えてくれたんだよ。人間をバラすことで手に入る、スリルと快感をなぁ!!」
最早、既に目が生きている人間のものではなくなっていた。
徹は既に死んだ。今、この場にいるのは徹ではない別の存在。生前の彼の破天荒な性分を残しつつも、殺戮を快楽として本能のままに残虐なゲームを楽しむ壊れた怪物だ。
「そこまでよ、宗助君。今のコイツに何を言っても無駄。この船の一部に同化されて、既にまともな精神状態じゃないんだから」
闇薙の太刀を構え、美紅が宗助を諭しながら前に出た。太刀の闇は抑え込んでいるものの、それでも小刻みに刀身の上で震えている。いつ、何時に解放されて、徹を喰らわないとも限らないほどに高ぶって。
見慣れない者が宗助の隣にいたからだろう。徹はしばし訝しげな顔をしながら、美紅のことを黒く淀んだ瞳で舐め回すようにして凝視した。
「てめぇは……あのとき、俺の顔にナイフを投げつけてくれた女かぁ?」
「そうよ。私の霊力を込めた銀のナイフ、お味はいかがだったかしら?」
なんだったら、もう一度食らってみるか。右手に握られた太刀とは別に、美紅は新たなナイフを取り出して徹に見せた。銀色の刃が淡い光を反射して、その刀身に美紅の赤い瞳を移し出す。
だが、そんな彼女の姿を見ても、徹は何ら臆する様子を見せなかった。
船の力をその身に宿し、既に人としての姿を失った者。そんな徹には、もはや人間の道理もなにも、あらゆる常識が無意味なものと化していた。
「てめぇが何者かなんて、俺には興味ねぇんだよ。宗助と一緒に、てめぇもバラしてやる。運が良ければ、その後は俺のお仲間になれるってわけだがな」
「お仲間、ね……。悪いけど、あなたみたいな趣味の悪い人と一緒になるつもりはないの。女を口説くつもりだったら、もう少し上品な立ち振舞いを身につけるべきね」
ナイフを逆手に構え、美紅がにやりと笑う。足下の影がぬっと伸びて、そのまま大きく盛り上がる。
「行くわよ、黒影? 準備はいい?」
形を変えた影が、低い唸り声を上げて答えた。いつしかその姿は虎ほどもある巨大な犬へと変わり、黄金の瞳が流動的な黒い顔の中央で輝いていた。
野獣の咆哮が響く。空気が震え、天井から吊り下がった人の頭が、ふるふると震えて怯えたような表情に変化する。
雄叫びと共に吐き出された炎。青白い破魔の炎が一直線に走り、徹の身体を焼かんと迫った。が、その一撃を徹は軽く跳んで避けると、部屋の奥に転がっている醜い塊へと手を伸ばした。
「やるじゃねぇか、そこの女……。だがなぁ……」
邪悪な笑みが顔に浮かんだ。人としての生を終え、しかし永遠に不気味な姿で行かされ続け、最後は餌として散る運命を背負わされた千晶と真弓。そんな二人が姿を変えた肉塊に、徹は自らの両腕を力任せに突き立てた。
肉が弾け、血飛沫が散る。あんな姿になっても、まだ人としての感覚は残っているのだろうか。
――――ヒィィィィィッ!!
――――嫌……そ、宗助……さん……。
耳をつんざくような悲鳴が聞こえ、次いで真弓の苦しげな声が頭に響いた。
「やめろ、田宮!」
もう、これ以上は限界だった。
黒影の炎が再び徹目掛けて放たれる。それに合わせ、宗助もまた霊撃銃の引き金を引いた。
自分の攻撃が効くという保証はない。先程の鉈男との戦いでは肉体のフィルターが邪魔をして、この武器では決定打にならなかった。
(だけど……それでも……!!)
ここで逃げるわけにはいかない。その言葉だけを胸に、宗助はひたすら銃を乱射する。普段は百発百中の命中率を誇る彼の腕も、動揺からか酷くぶれて乱雑なものになっていた。
「あひゃひゃひゃひゃっ! 楽しいぞぉ……こっちの世界に来るのはよぉ……」
徹が狂ったように笑っていた。
多少、身体を光弾が掠めるが、それさえも気にせずに笑い続ける。その笑い声に呼ばれるようにして、彼が両手を突っ込んだ肉の塊が、かつては千晶と真弓であったそれが、徐々に徹の身体を覆うようにして包み始めた。
「あれは……」
それは、さながら目を覆いたくなるような光景だった。
目の前で繰り広げられる光景に、宗助は銃を撃つことも忘れて言葉を飲んだ。
肉の塊が、物凄い速度で徹の身体を覆ってゆく。そのまま押し上げられるようにして、巨大な肉の柱と化した。
不快な粘性の高い音を立てながら、肉の柱から枝が伸びた。その先が五つに分かれ、それぞれが独立した手足となったところで、最後に徹の頭が上から肉を破って文字通り顔を出した。
「どうだぁ、女ぁ……。これでもまだ、俺に勝てるつもりでいるってかぁ?」
肉の巨人だ。醜悪な腫瘍が固まってできたような姿の化け物が、ニタニタと笑いながら美紅と宗助を見下ろしていた。その体躯は、軽く宗助達の二倍以上はある。全身がぶよぶよした醜い塊でありながら、同時に人間を越えた力を持った存在であることは明白だった。
徹は人間を捨てた。否、人間を捨てたのではなく、完全に船の闇と同化された。美紅の言っていた、同化型の憑依。魂レベルで融合を果たすことで、人でも幽霊でもない怪物と化す。
生前の人格が残っているように見えるのは、あれは取り込んだ人間の性格を反映してのことだろう。徹自身、既に自らの肉体と精神が乗っ取られたことにさえ気づいていないに違いない。人間だった頃の記憶がどこまで残っているかは不明だが、既に彼が引き返せないところまで来てしまったということだけは宗助にもわかった。
「女の子に乱暴しただけじゃなく、無理やり合体したってわけ? あなた……最低の下衆ね」
その瞳を細く、鋭く変化させ、美紅が太刀の切っ先を徹へ突き付けていた。
刀身から闇が溢れる。一見して冗談を口にしているように思えるが、その身体から放つ気魄は別物だ。それこそ、普段の宗助や皐月などに見せている、儚さの陰に優しさを宿したような瞳はそこにない。
純粋なる怒り。今の美紅の感情を一言で表現するならば、正にそれが相応しかった。
向こう側の世界に巣食う者達を倒す。彼女にとって、それは仕事の一環に過ぎない。が、しかし、それでも許せぬ敵は存在する。使命や義務等といったものとは関係ない。一人の人間として、決して許してはならない存在が。
横目で黒影に目配せをし、美紅は無言のまま走り出した。漆黒の気を宿した刃を片手に、そのまま真っ直ぐ肉の巨人へと向かって行く。
「正面から来るってか? 上等だぁ!!」
巨大な腕が、そのまま落盤のように降って来た。風圧だけで肌が痛む。あれの直撃を食らえばひとたまりもない。
だが、それでも美紅は何ら怯むこともなく、軽く跳んでそれを避けた。この程度、避けることなど造作もない。そう言わんばかりの太刀捌きで、すかさず敵の目元を斬り払った。
どす黒い体液が辺りに飛び散る。既に、人の物ではない。タールのような色をした液体が滴り落ち、肉の巨人がしばし呻いた。
「うがぁぁぁぁっ!!」
放たれた咆哮に天井から下がっている人魂が揺れた。それでも美紅は、攻撃の手を休めない。そのまま敵の肩に飛び乗ると、間髪入れずに左手に握ったナイフを叩き込む。
銀製のナイフが頭に刺さり、肉の巨人は再び叫んだ。慌てて美紅を振り払おうとするものの、そこでもまた美紅の方が早い。
「やれ、黒影!!」
そう言うが早いか、素早く敵の上から飛び降りる。代わりに飛び掛かった黒影が、追い打ちとばかりに敵の喉笛に食らいつく。
「今よ! 撃って、宗助君!!」
そこまで言われて、宗助は改めてハッとした表情のまま正面を見据えた。美紅の華麗な動きを前に、いつの間にか茫然と立ち尽くして見惚れていた。
まるで、毒気に当てられたような気分だった。自分と美紅では、やはり力の差が違い過ぎる。そうわかっていても、次の瞬間には言われるがままに引き金を引いていた。
ガラスの弾けたような音を立て、霊撃銃が宗助の力を光弾に変える。自分の扱える霊能力など、美紅に比べれば微々たるもの。が、敵が既に人の姿を捨てていたからだろうか。
水風船の弾けるような音と共に、巨人の身体から肉片が散った。霊撃銃は、生きた人間にダメージを与えない。と、いうことは、目の前の巨人は人間よりも幽霊や妖怪の類に近い存在ということだろうか。
「宗助ぇ……。貴様ぁ……」
既に目元の修復を終え、徹が苦々しい声を上げていた。未だ首筋に食らいついたままも黒影を、ゴミでも捨てるかのようにして掴み、放り投げる。
宗助が撃った際に受けた傷も、簡単に修復が終わっていた。あの鉈男もそうだったが、どうやらこの船の力を得た者は、本当に不死身の存在になるらしい。己の身体も心も船に捧げ、同化されて醜い尖兵と化す代償に、永遠の命を手に入れることができるのだ。
もっとも、そんな永遠に何の意味もないのだと、宗助は嫌というほどわかっていた。
怪物になったことを喜ぶ徹。彼はただ、自分の内に潜んでいた、破壊的な衝動を引き出されただけだろう。それ以外の人格は、否、人格だけでなく下手をすれば記憶までもが、完全に欠落している可能性が高かった。
ましてや、千晶と真弓に至っては、醜い肉塊へと姿を変えられた挙句、徹に吸収されてしまった。
こいつは必ず倒す。その上で、一刻も早く千晶と真弓を在るべき場所へと帰してやる。それが今の自分にできる、彼女達への最後のことだと。そう、心の中で結ぶと、宗助は再び霊撃銃の引き金を引いた。
光弾が敵の脚を射抜く。貫きこそしないものの、確実に効いている。
これなら勝てる。敵の剛腕を避け続ける美紅の姿を前に、宗助は確信を込めて己の力を銃から打ち出す。
使い方のコツを知っているわけではない。自分は戦闘のプロでもない。それでも自分に出来得る限りのことをする。あの怪物を、肉の巨人と化した徹を倒して終わりでないことは、宗助も十分に知っている。
陽明館事件の際も、美紅は最後の最後まで闇薙の太刀を抜かなかった。強敵相手に抜刀することはあれど、その力を全開に解放することは稀だった。
あの太刀に封じられし闇は向こう側の世界の住人をも食らう力を見せるが、しかし同時に使用する者の魂も削り取ってしまう。常に闇を全開に解き放って戦えば、いかに美紅とてその身がもたない。
剛腕を紙一重でかわし、美紅の握る太刀の切っ先が敵の身体を滑るように掠める。切り裂かれた個所から黒い不気味な液体が飛び散るが、しかし怪物は瞬く間に再生を遂げてしまう。鉈の男と同じように、下手をすればそれ以上の速さで肉を繋ぎ、欠損した部位さえも蘇生させる。
このままではジリ貧だ。それは美紅や宗助だけでなく、犬神の黒影にも解っているのだろうか。
低い唸り声と共に、影の犬が青白い炎を立て続けに吐き出した。直線的に焼き尽くすようなそれではなく、小さな火球をばら撒くように。
鬼火の群れ。そう形容するに相応しい炎の行列が、肉の巨人に次々とぶつかって妖しく爆ぜた。敵を焼くには少しばかり威力が足りない。が、それもまた計算の内だった。
一瞬、美紅の瞳が一際鋭く輝いたかと思うと、次の瞬間には巨人の首を、徹の頭を刎ね飛ばしていた。
口から上を真横に斬られ、黒い体液が噴水のように溢れ出す。普通の生物なら確実に絶命している一撃。そのはずだったが、巨人はそれでも未だ地に膝をつくことをしなかった。
ゴボゴボという水の溢れるような音に加え、顎から下だけの頭部を持った巨人が何事もなかったかのようにして拳を繰り出す。左右に散開して避ける美紅と黒影。見ると、目の前では既に徹の頭が舌の歯を押し上げて再生を遂げようとしているところだった。
あれは同じだ。先の戦いで美紅が始末した、あの鉈の男と同じものだ。
頭を斬り落としたところで、あの敵を倒すことは適わない。では、先のように動きを止めて、一気に炎で焼き尽くすか。
残念ながら、それはどうやら無理のようだった。そんなことができるなら、美紅と黒影がとっくにやっている。今、彼女達がそれをしないのは、するための隙がないか、もしくは手段がないかのどちらかなはず。
(頭は駄目か……。だったら!!)
次は胸を撃ち抜いてやる。呼吸を整えて正面を見据え、宗助はそっと霊撃銃の照準を合わせて目を細める。
この一撃で倒せるか否か、そんな保証はどこにもない。だが、美紅ばかりに任せてはいられないと、宗助は渾身の力を込めて引き金を引く。
光の弾が、吸い込まれるようにして肉の巨人の胸を穿った。人間でいうならば、心臓のある場所だ。そこを寸分の狂いもなく、刺し貫くようにして撃ち抜いた。
「やったか!?」
自分でも驚くほどの威力に、宗助は思わず目を丸くした。美紅と比べれば、自分は力の使い方を殆ど知らない。そんな自分でもこれだけの威力の一撃を放てたのは、その身に眠る潜在能力の、七人岬より受け継がれし恐るべき霊能力の成せる業なのだろうか。
黒い体液と共に肉塊が散る。徹の頭を持った巨人がぐらりと倒れたが、未だ緊張の糸を切ることはしない。
この程度で倒せれば苦労はない。果たして、そんな宗助の予想は正しく、巨人が再び身体を起こした。
「やってぇ……くれるじゃねぇかぁ……。今のはぁ……ちょおっとだけ効いたぞぉ……」
再生した頭部を醜く歪め、徹の頭が喋っていた。再生が追いついていないのか、それとも僅かに残された感情が、逆に彼の異形化を促進しているのか。
あんな男でも、見慣れた顔が崩れてゆく光景など目にしたくなかった。思わず顔を背けて胸の傷跡に目をやると、そこには不気味に胎動する心臓が顔を覗かせていた。
あれだ。もしかすると、あれを射抜けば敵の再生を止められるかもしれない。確証はないが、あの巨体の動きを封じて黒影の炎で焼くよりも難しくはないはずだ。
「美紅!」
「ええ、わかってるわ!」
全てを告げる必要などなかった。
宗助の霊撃銃が光の弾を撃ち出すと同時に、美紅は懐から鉄球を取り出して投げつけた。黒影が吠え、破魔の炎を一直線に心臓目掛けて吐き出す。三つの攻撃は重なって、急所を穿たんと収束する。
「うがぁぁぁぁっ!!」
迫り来る一撃を前に、徹の頭が雄叫びを上げた。両腕を胸の前で交差させ、寸でのところで攻撃を受け止めた。
閃光の中、鉄球が爆ぜて炎が散る。今までになく激しく肉が飛び散ったが、それでも徹は気にしていないようだった。
「くそっ、駄目か!?」
左腕の肉が抉られた姿になり、しかし胸の傷の再生を終えた巨人を見て、宗助は思わず奥歯を噛みしめた。
焦ってはいけない。手足や頭を斬り飛ばしたところで、あの敵を倒すことは永遠に叶わない。
強大な再生力を持ちながら、敵は心臓を庇おうとした。それは即ち、あの部位を攻撃されることが相手にとって致命的な一撃になるということに他ならない。
狙いは見えた。敵の中枢を叩くべく、宗助は再び銃を構える。左腕の再生を遂げる前に決着をつけねばと、ただそれだけを考えて。
もう一度貫く。先程の呼吸を思い出し、銃口の先を敵の胸板に向ける。
だが、彼が再び引き金に手をかけた瞬間、その指先が思わず震えた。
「そう……すけ……さん……」
そこにいたのは真弓だった。いや、正確には、真弓の姿を模した肉の塊だ。
巨人の胸板に浮かぶようにして、真弓の顔だけが現れていた。悲しく、苦しげな表情を浮かべ、今にも途切れそうな声で言葉を発している。
「た……す……け……て……」
それ以上は、引き金を引けなかった。
真弓は死んだ。あんな姿になってしまっては、既に生きているとは言い難い。だからこそ、自分の手で在るべき場所へ帰そうと、そう心に決めていた。
しかし、それでもこうして再び顔を拝めば、それを壊すことなどできはしない。
自分が生き延びるために、かつての仲間を手に掛ける。それも、徹のようにこちらを襲ってくる相手ではなく、目の前で助けを求めている相手を撃ち貫く。
どんなに理由を付けたところで、これは所詮殺人に過ぎないと。自分が人の生き死にを決め、判決を下すのは高慢だと。身体は生きたいと求めていても、心がそれを許さなかった。ここで銃を下ろすのは誤りだと、理屈では解っていても駄目だった。
「真弓ちゃん……」
動揺から照準がぶれ、引き金にかけた指先から力が抜けた。その一瞬の隙を狙っていたのだろうか。
巨人の上についている徹の顔が、にやりと笑ったような気がした。巨大な腕が足元を薙ぎ払い、美紅が身を翻してそれを避ける。
「……っ! しまった!!」
そう、彼女が叫んだときには、怪物が宗助に向かって走り出した後だった。
剛腕の先についた拳、既に肉の塊のようになっている部分だ。それが自分の眼前にまで迫っていることに気付き、宗助は慌てて身体を屈めた。
空を切る轟音と共に、猛烈な風圧が髪を揺らした。慌てて霊撃銃を構えたが、正面にある真弓の顔と目が合って思わず足が止まった。
「そ……う……す……け……さん……」
ほとんど吹けば消えてしまうような声で、真弓の顔が宗助のことを見下ろしながら言った。
あれは怪物だ。あれは人間ではない。だから撃て。そう、心の声が告げるものの、しかし身体は動かない。
再び視線が合う。赤黒い肉の塊に、レリーフのように浮き上がった人間の顔。生前の真弓の面影を強く残すそれと目があった瞬間……彼女の顔が、今までになく歪んだ笑みを湛え、ぐにゃりと崩れて言葉を発した。
「……死んで」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
気がついた時には巨大な肉塊が大きく広がり、それが自分の身体を持ち上げていた。
「宗助君!!」
美紅の叫ぶ声が耳に響く。目の前に徹の頭を見たことで、ようやく自分が敵に捕まったのだと理解した。
「アハハハハハッ! ……ばぁかな野郎だなぁ……宗助ぇ……」
歪んだ胸の顔が潰れて、それはいつしか徹の顔になっていた。頭と胸、二つの顔が交互に笑い、不快な声が幾重にも重なって頭に響いた。
「残念だったなぁ、女ぁ……」
片手に宗助を掴んだまま、肉塊の変化した巨人がゆっくりと美紅に身体を向けた。
「動くんじゃねぇぞぉ……。コイツの方を……」
「先にバラされたくなかったらなぁ!!」
下品な笑い声を交えつつ、徹の頭をした巨人は宗助を掴んだ腕を前に突き出した。
躊躇うな。こいつを斬れ。そう、言葉を発したくとも、なぜか声が出なかった。
「まったく……。やること成すこと、いちいち小悪党ね。デカイのは身体だけで、頭は空っぽってわけ?」
不敵な笑みを湛え、美紅が徹の頭をにらみつける。しかし、その言葉とは反対に、彼女は刀を静かに下ろした。
刀の闇が消えてゆく。解放された力を再び抑え込むと共に、彼女の使役する黒影もまた、その足元に吸い込まれるようにして消えてゆく。
何故だ。何故、美紅は戦うのを止めるのだ。その答えが解っていても、宗助にはやはり言葉にできなかった。
巨人の腕がぬっと伸びて、抵抗を止めた美紅の頭をがっしりと掴んだ。こめかみに指が食い込み、美紅が眉間にしわを寄せて耐える。ほんの少しでも気を抜くだけで、そのまま髄骸骨を握り潰されてしまいそうだった。
巨人の腕が、美紅の身体を鉄の壁に叩きつけた。衝撃に腕から刀が落ちる。標本台に展翅された昆虫のように、美紅は動こうにも動けなくなっていた。
「てめぇは後回しだ……」
徹の頭が低い声で呟いて、左手に握る宗助を放り捨てた。いや、頭ではなく、胸の顔が言ったのか。そのどちらが正しいのかを確かめる間もなく、宗助は冷たい床の上に転がった。
頬の肌に、ぬるりとした感触が伝わった。そっと触れて拭ってみると、それは半分固まりかけた大量の血液だった。
自分の血ではない。痛みがないことから、そう確信する。この部屋でバラバラに解体された者達の成れの果て。徹のように、怪物になれなかった者達のものだろうか。
「さっきは、随分と勝手やってくれたなぁ……」
胸の顔と頭の顔。その両方が同時に歪み、巨人の指先が美紅の細い腕にかけられた。
「うあぁっ……!!」
関節が外れたような鈍い音。次の瞬間、美紅の口から思わず悲鳴が零れた。普段の彼女が決して見せることのない、甲高い女の叫び声が。
「さっきの礼だぜぇ、女ぁ……。てめぇはこのままぁ……」
「ゆっくりバラしてやるさぁ……」
二つの顔が、舐めるような視線を美紅に向ける。たった一撃。ほんの少し捻っただけで、肉の巨人は美紅の腕をへし折ったのだ。
「美紅!!」
そう、叫んだところで、宗助は自分の足首を酷く痛めていることに気がついた。
投げられた時に捻ったのだろうか。立ち上がろうとするも、足に力が入らない。その場に転がっていた霊撃銃を拾い上げ、震える両手で照準を合わせた。
自分は甘い。そして弱い。その甘さと弱さが油断を生み、美紅を危険に晒してしまった。
あの時、自分は真弓の姿をした肉の塊を撃てなかった。助けを求める声に耳を傾けたばかりに、それが罠だとも気付かずに。
だが、果たして本当に自分は、罠と知っても真弓を撃てただろうか。あのまま真弓の顔を撃ち抜いて、怪物と成り果てた徹ごと倒すことができただろうか。
(くそっ……! 俺は……)
どちらにしろ、できはしなかった。そう、心の中で紡いで、それ以上は考えるのを止めた。
自分は偽善者だ。ここまで追い詰められていながら、あの場で真弓の顔を壊すことで、自分の心が傷つくのを恐れて躊躇した。彼女の声に耳を傾けようとすることで、彼女を自分の手で殺すという罪の意識から逃れようとした。あまつさえ、彼女が既に人の姿に戻れないという現実からさえも目を背けようとした。
「だけど……それでも……」
そこから先は、既に言葉にしている余裕さえなかった。
拳に力を込め、痛みを堪えて宗助は走った。捻った足首が悲鳴を上げ、フナムシに食われた傷跡から鮮血が染み出した。
一年前、自分は七森志乃に言ったはずだ。死ぬのが怖いから、自分は戦う。一人ではなく、仲間と共に。
だが、現実はどうだ。仲間一人守れず、自分の心を守ることに必死になり、その結果として仲間を失う。何も守れず、誰も救えない。自分の心さえ欺いて、ひたすら綺麗事を述べながら逃げ回っているだけだ。
「俺は……もう……」
照準を合わせ、狙いを定める。チャンスは一瞬。敵がこちらを振り向いた瞬間、そのときだけだ。
「もう、失いたくないんだ!!」
今度は紛れもない本心だった。嘘も、偽りもない心からの叫び。ただ、美紅を失うことはしたくないと。その一心で、全身全霊の力を込めて引き金を引いた。
放たれた光弾が巨人を穿ち、肉の巨体が微かに揺れる。美紅を捉えたまま振り向いた徹の頭。そこを狙い、間髪入れずに光の弾を叩き込んだ。
「うぐぁっ!? 宗助ぇぇぇぇっ!!」
頭の徹と胸の徹が同時に叫んでいた。額を撃ち抜かれたのが、よほど腹に据えかねたのだろうか。
巨人の手から美紅が離れ、そのまま静かに床へと落ちる。怒りに任せた巨人の一撃が宗助へと向かうが、それは青白い破魔の炎によって阻まれた。
「黒影!?」
気がつくと、美紅の影から再び黒影が伸びていた。実体化が間に合わず、影の一部から頭を出して、そこから炎を吐いている。随分と不格好な姿での攻撃だったが、牽制としては十分だった。
「ありがとう……。助かったわ」
折られた右手をそっと抑え、美紅がふらつく足で立ち上がった。
「ねぇ、宗助君。一年前の……陽明館のときのことは、覚えてる?」
忘れるはずもない。美紅の問いに、ただそれだけ返す。
「あのときは……こんなものじゃ済まなかったわよね。こんな下種男、七人岬に比べたら小者も小者だと思わない?」
敢えて相手を挑発するようにして、美紅はさらりと言ってのけた。身体は満身創痍。腕も片方が折られていたが、その心までは折れていない。
「貴様らぁ……。この程度でぇ……調子に乗るなよぉ……」
徹の頭がぐるりと回る。首だけを人形のように回転させて、宗助と美紅、それぞれを睨んでいる。
既に躊躇いはない。来るなら射抜く。頭の中に浮かんでは消える迷い。それを完全に振り切ろうと、宗助は無心で銃口を向ける。
だが、そんな彼の意思を嘲笑うかのように、乾いた音が銃口から漏れた。
グリップから、黒変した木札が零れ落ちる。霊能者の力を銃の力へと変換するための特殊な札だ。
「くそっ! 限界かよ!!」
万事休すだ。ここまで来て、弾切れならぬ札切れとは。
徹の頭に再び不気味な笑みが浮かんだ。勝ちを確信したときに見せる歪んだ顔。人間のそれと比べても、今の徹のそれは一種異様なまでの歪さを随所に湛えている。
これは罰か。仲間を見捨てて逃げ続けた自分への罰なのか。
迷いと恐れ。それらが再び頭を掠めた。こんなところで終わりたくない。自分はまだ生きたいと、そう願う宗助の想いが、果たして無言の言葉となって届いたのだろうか。
「あぐっ……がっ……」
徹の頭を乗せた巨人が、唐突に震えて膝を折った。いったい、これは何事か。慌てて胸元へ目をやった瞬間、宗助は思わず息を飲み込んだ。
「真弓……ちゃん?」
そこにあったのは、徹の第二の顔などではなかった。
胸元に浮かび上がる、肉のレリーフのような赤い顔。いつしかそれは再び真弓のものへと変わり、巨人の行動を抑えていた。
――――宗助……さん……。
頭に掠れるような声が響く。間違いない。醜い肉塊と化してしまった、あの真弓の声だ。
――――早く……殺して……。私と……お兄ちゃんを……。
そう告げる真弓の顔が、小刻みに震えていた。苦痛に悶えているのではなく、残された全ての力を駆使し、巨人の肉体を縛り付けている。自分の精神力だけで、兄の変貌した巨大な悪鬼を抑えている。
「行くわよ、宗助君。迷っている暇はないわ……」
いつの間にか、美紅が宗助の隣に立っていた。折れた片腕が痛々しく腫れていたが、それでも瞳に宿る鋭い輝きは健在だった。
「あの子は最後まで戦ったのよ。己の運命と……化け物にされてしまった、自分の運命とね」
だから、もう頑張らせなくてよいのだと。ここで彼女を撃つことが、彼女にとっての救済になるのだと。それだけ告げて、そっと美紅は霊撃銃を握る宗助の手に自分の手を重ねた。
次の瞬間、美紅の指先を通じ、なにやら黒い物が銃の中へと入り込んだ。それが彼女の使役する犬神だと、あの黒影だと直感でわかった。
「ああ、わかったよ……。これで……終わりにする!!」
狙いは外さない。外すはずがない。
照準を合わせて引き金を引くと、同時に猛烈な衝撃が宗助の身体を襲った。犬神という不純物、本来は想定していない存在を放ったからだろうか。
霊撃銃の銃身が、木製の部品を撒き散らして崩壊した。ほとんど暴発に近い一撃。しかし、それでも放たれた黒い弾丸は、そのまま真っ直ぐに巨人の身体へと向かってゆく。
――――ありがとう……。
そう、真弓の声が頭に響いた瞬間、黒影の雄叫びが一声だけ響いた。漆黒の弾丸と化した犬神。それは、さながら巨大なドリルのように、巨人の肉を貫き抉った。




