記憶 -3-
ひっそりと静まりかえった舞台上。結局また、ここに来てしまった。カナは舞台中央に立って客席を見渡した。
ここに観客がいるのを見たのは1度きり――
彼らの顔は見ていない。怖くて見られなかった。
「……ここで、終わろう……」
セイジから奪ってきたナイフをかざす。鏡のような美しい刀身だ。
もちろん、切れ味の方も実証されている。
「せっかく同じステージにたてたのにな。……ごめんね……ごめんなさい……! もう、自由にしてあげるから……!!」
カナは刃を自分の首に当て、ぎゅっと目を閉じた。
「こんな……こんなもの……っ!!」
「何してるのかしら? カナちゃん」
横手から声がした。カナは反射的にナイフを構えた。
ユエは中空からふわりと現れて、少し離れた場所に降り立った。
「何よ……あんたこそ何しに来たの、ユエ!」
「いやねぇ、娘が心配で見に来たに決まってるじゃない。何かおかしいかしら?」
「嘘を言うな!! あんたが本当の母親じゃないってことは、もう知ってるんだ!!」
「そうなの? だけど、どうでもいいことじゃない? それよりダメよぉ、勝手に包帯を――札を取っちゃ。時が来たらあたしが取ってあげるって言ったでしょう?」
かっとなったカナは、ユエにナイフを突きつけた。
「もう……あんたの思い通りになんて、させないんだから!!」
「『炎のステージみたいに』、かしら? 残念だけど、あれも失敗だったかもしれないのよねぇ……厄介なことになる前に引き離しておこうと思ったら、かえってあのコの『記憶』に強く残っちゃったみたいで。まだ全部をとりきれないわ……?」
「く……っ!!」
「カナちゃん? 手が震えてるわよ? やっぱり怖いんでしょう?」
激情のあまりわけが分からなくなりそうだった。そんなカナを前に首をかしげるユエの声は、ひどく楽しげだ。
「手元が狂ったりしたら大変……この頭部はあたしのモノになるんだから、傷つけたりしないでね……?」
「黙れ!!」
「ねぇ、あなたの首が落ちたらみんなどんな顔するでしょうね……? おねえちゃんとサトルは表情がないから面白くないわねぇ? セイジくんは……いい顔してくれそうだわぁ?」
カナは我知らず、1歩下がった。
「ねぇ……コウは、どんな顔すると思う……?」
「……やめて……!」
「ウフフフ……大丈夫よぉ……? あたしはあなたが首だけでも愛してあげる。首がなくても愛してあげる。――骨の髄まで……愛してあげるからね……?」
「やめて! もう何も言わないで!!」
「――カナ!!」
後ろから複数の慌ただしい足音と、セイジの声がした。
カナはナイフを握る手に力を込めた。ふり向けば、決心が揺らいでしまいそうだった。
「……あら? カナちゃんのお迎えみたいよ?」
「来ないで! 誰も私に近づかないで……!」
カナは前を見たまま動けない。その耳に、セイジの緊張気味の声が届いた。
「そう言うと思って、連れてきた」
「……え……」
「え、何これ。また修羅場デスカ?」
「!!」
思わず、カナはふり返ってしまった。
赤い色彩が目に痛かった。コウはていねいにセイジの手をはずしてから、真意の読めない微笑を浮かべた。
「セイジさんが血相変えて来るんで、何事かと思ったら……」
「……えーと。状況説明が必要か?」
「あ、大丈夫。さすがにまだ覚えてますし……充分分かりマスヨ」
セイジを後に、少し足を引きずりながら、コウが歩いてくる。カナはナイフが下がっていくのを自覚した。
もう、限界だった。
「まったく。無理しちゃって……」
コウの手がナイフの刃をつまみ、さらっていく。急に力が抜けたようになり、カナはそのまま、すとんと座り込んでしまった。
「なんで……なんでよりによって、あんたが出てくるの……!」
「そりゃまあ、セイジさんに拉致られたからですケド」
「コウ、あなたからも言ってあげて? カナちゃんたらあなたの札ごと首を切ろうとしたのよ? あたしが止めてなかったら、今頃どうなっていたことか……」
ユエが、歯の浮くような猫なで声を出した。コウはそれに深々と頭を下げた。
「そうデスネ。さすがユエさん、ありがとうございマス」
「お、おい、コウ……!」
「あたしだって『首』は新鮮な方がいいもの。『身体』がもう1度完成するまでは、大事にとっておかないと」
「怖いくらいの愛を感じますネ」
「あなたのことだって愛してあげてるのよ、コウ? カナちゃんを誘惑したり、アオイを壊そうとしたって……『記憶』が残っているうちは、ね……?」
「わーお……ほんとに怖いデス」
冗談ばかりでもなさそうな微妙な表情で、コウは肩をすくめた。
「だけど丁度良かった。記憶をすべて失う前に、ユエさんに話しておきたいことがあったんデス」
「あら、何かしら?」
「怒らないで聞いてもらえマスカ?」
「……なあに……?」
ユエの口調から笑みが消える。逆にコウは、満面の笑みを浮かべた。
「僕なら『裏切るかもしれない』とか、アオイに言ったんデショ? ――笑わせる。あなたはなぜ、僕が『まだ裏切っていない』と思ったんデスカ?」
ユエが沈黙した。カナはごくりと、のどを鳴らした。
「どういうこと……?」
「……カナ。その包帯、絶対にとるなよ。どっちにしろ記憶が戻ることはない……」
すっと、コウの表情が変わった。
「それに記憶なんて、最初から全部くれてやる覚悟。『裏切り』の代償としてね」
「!!」
息を呑む気配がした。そして聞こえたユエの声は、彼女らしからず、震えていた。
「コウ……聞いていいかしら……?」
「どうぞ?」
「あなた……あの儀式の時、本当に自分の髪を付けた……?」
コウは、ふう、と馬鹿にしたような息を吐いた。
「……ユエさんはご存知ありませんでした? 僕が、僕と同じ赤い毛色の獅子を従えていることを――」
「なっ!!」
「え……グレン……!?」
コウが一瞬だけカナを見た。
その色は、紅蓮の炎。生涯忘れることなどできないだろうと、カナは確信した。
「獣の……毛なんかで……! あたしを……騙してたの……!?」
ユエがよろめき、動揺した声を上げた。コウはにこやかに笑った。
「まさかバレないとは思ってもいませんでしたヨ。……言ったでしょう。繋いだ鎖など引きちぎる、と」
「……コウ……っ!」
「僕はアオイと違って、あなたのオモチャなんかじゃないんで。何かに利用されると分かってるのに、怪しげな儀式に従うと思いマスカ?」
「ま、マジかよ……!」
「形勢が変わった……!?」
セイジとサトルの驚愕も伝わってくる。
そしてコウは、とどめとばかりに言い放った。
「記憶がほしいなら好きなだけとればいい。だがその記憶が使われることはない。――あんたの計画は、始めから、上手くいくはずないんだよ!」
「な……なんてこと……っ」
ユエが両手で仮面を覆い、大きくのけぞった。
「あ、アオイ!! 助けて……っアオイぃ……ッ!!」
狂気じみて叫びながら、ユエは空間の歪みの向こうへ逃げ込んだ。
カナはもう1度コウを見上げた。すぐそばに、手の触れられる位置にいる。
が――カナは伸ばしかけた手を寸前で引いて、ぎゅっと、握りしめただけだった。




