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・ PIERROT ・  作者: 高砂イサミ
第21章
88/117

記憶 -3-


 ひっそりと静まりかえった舞台上。結局また、ここに来てしまった。カナは舞台中央に立って客席を見渡した。

 ここに観客がいるのを見たのは1度きり――

 彼らの顔は見ていない。怖くて見られなかった。

「……ここで、終わろう……」

 セイジから奪ってきたナイフをかざす。鏡のような美しい刀身だ。

 もちろん、切れ味の方も実証されている。

「せっかく同じステージにたてたのにな。……ごめんね……ごめんなさい……! もう、自由にしてあげるから……!!」

 カナは刃を自分の首に当て、ぎゅっと目を閉じた。

「こんな……こんなもの……っ!!」


「何してるのかしら? カナちゃん」


 横手から声がした。カナは反射的にナイフを構えた。

 ユエは中空からふわりと現れて、少し離れた場所に降り立った。

「何よ……あんたこそ何しに来たの、ユエ!」

「いやねぇ、娘が心配で見に来たに決まってるじゃない。何かおかしいかしら?」

「嘘を言うな!! あんたが本当の母親じゃないってことは、もう知ってるんだ!!」

「そうなの? だけど、どうでもいいことじゃない? それよりダメよぉ、勝手に包帯を――札を取っちゃ。時が来たらあたしが取ってあげるって言ったでしょう?」

 かっとなったカナは、ユエにナイフを突きつけた。

「もう……あんたの思い通りになんて、させないんだから!!」

「『炎のステージみたいに』、かしら? 残念だけど、あれも失敗だったかもしれないのよねぇ……厄介なことになる前に引き離しておこうと思ったら、かえってあのコの『記憶』に強く残っちゃったみたいで。まだ全部をとりきれないわ……?」

「く……っ!!」

「カナちゃん? 手が震えてるわよ? やっぱり怖いんでしょう?」

 激情のあまりわけが分からなくなりそうだった。そんなカナを前に首をかしげるユエの声は、ひどく楽しげだ。

「手元が狂ったりしたら大変……この頭部はあたしのモノになるんだから、傷つけたりしないでね……?」

「黙れ!!」

「ねぇ、あなたの首が落ちたらみんなどんな顔するでしょうね……? おねえちゃんとサトルは表情がないから面白くないわねぇ? セイジくんは……いい顔してくれそうだわぁ?」

 カナは我知らず、1歩下がった。

「ねぇ……コウは、どんな顔すると思う……?」

「……やめて……!」

「ウフフフ……大丈夫よぉ……? あたしはあなたが首だけでも愛してあげる。首がなくても愛してあげる。――骨の髄まで……愛してあげるからね……?」

「やめて! もう何も言わないで!!」

「――カナ!!」

 後ろから複数の慌ただしい足音と、セイジの声がした。

 カナはナイフを握る手に力を込めた。ふり向けば、決心が揺らいでしまいそうだった。

「……あら? カナちゃんのお迎えみたいよ?」

「来ないで! 誰も私に近づかないで……!」

 カナは前を見たまま動けない。その耳に、セイジの緊張気味の声が届いた。

「そう言うと思って、連れてきた」

「……え……」

「え、何これ。また修羅場デスカ?」

「!!」

 思わず、カナはふり返ってしまった。

 赤い色彩が目に痛かった。コウはていねいにセイジの手をはずしてから、真意の読めない微笑を浮かべた。

「セイジさんが血相変えて来るんで、何事かと思ったら……」

「……えーと。状況説明が必要か?」

「あ、大丈夫。さすがにまだ覚えてますし……充分分かりマスヨ」

 セイジを後に、少し足を引きずりながら、コウが歩いてくる。カナはナイフが下がっていくのを自覚した。

 もう、限界だった。

「まったく。無理しちゃって……」

 コウの手がナイフの刃をつまみ、さらっていく。急に力が抜けたようになり、カナはそのまま、すとんと座り込んでしまった。

「なんで……なんでよりによって、あんたが出てくるの……!」

「そりゃまあ、セイジさんに拉致られたからですケド」

「コウ、あなたからも言ってあげて? カナちゃんたらあなたの札ごと首を切ろうとしたのよ? あたしが止めてなかったら、今頃どうなっていたことか……」

 ユエが、歯の浮くような猫なで声を出した。コウはそれに深々と頭を下げた。

「そうデスネ。さすがユエさん、ありがとうございマス」

「お、おい、コウ……!」

「あたしだって『首』は新鮮な方がいいもの。『身体』がもう1度完成するまでは、大事にとっておかないと」

「怖いくらいの愛を感じますネ」

「あなたのことだって愛してあげてるのよ、コウ? カナちゃんを誘惑したり、アオイを壊そうとしたって……『記憶』が残っているうちは、ね……?」

「わーお……ほんとに怖いデス」

 冗談ばかりでもなさそうな微妙な表情で、コウは肩をすくめた。

「だけど丁度良かった。記憶をすべて失う前に、ユエさんに話しておきたいことがあったんデス」

「あら、何かしら?」

「怒らないで聞いてもらえマスカ?」

「……なあに……?」

 ユエの口調から笑みが消える。逆にコウは、満面の笑みを浮かべた。

「僕なら『裏切るかもしれない』とか、アオイに言ったんデショ? ――笑わせる。あなたはなぜ、僕が『まだ裏切っていない』と思ったんデスカ?」

 ユエが沈黙した。カナはごくりと、のどを鳴らした。

「どういうこと……?」

「……カナ。その包帯、絶対にとるなよ。どっちにしろ記憶が戻ることはない……」

 すっと、コウの表情が変わった。

「それに記憶なんて、最初から全部くれてやる覚悟。『裏切り』の代償としてね」

「!!」

 息を呑む気配がした。そして聞こえたユエの声は、彼女らしからず、震えていた。

「コウ……聞いていいかしら……?」

「どうぞ?」

「あなた……あの儀式の時、本当に自分の髪を付けた……?」

 コウは、ふう、と馬鹿にしたような息を吐いた。

「……ユエさんはご存知ありませんでした? 僕が、僕と同じ赤い毛色の獅子を従えていることを――」

「なっ!!」

「え……グレン……!?」

 コウが一瞬だけカナを見た。

 その色は、紅蓮の炎。生涯忘れることなどできないだろうと、カナは確信した。

「獣の……毛なんかで……! あたしを……騙してたの……!?」

 ユエがよろめき、動揺した声を上げた。コウはにこやかに笑った。

「まさかバレないとは思ってもいませんでしたヨ。……言ったでしょう。繋いだ鎖など引きちぎる、と」

「……コウ……っ!」

「僕はアオイと違って、あなたのオモチャなんかじゃないんで。何かに利用されると分かってるのに、怪しげな儀式に従うと思いマスカ?」

「ま、マジかよ……!」

「形勢が変わった……!?」

 セイジとサトルの驚愕も伝わってくる。

 そしてコウは、とどめとばかりに言い放った。


「記憶がほしいなら好きなだけとればいい。だがその記憶が使われることはない。――あんたの計画は、始めから、上手くいくはずないんだよ!」


「な……なんてこと……っ」

 ユエが両手で仮面を覆い、大きくのけぞった。

「あ、アオイ!! 助けて……っアオイぃ……ッ!!」

 狂気じみて叫びながら、ユエは空間の歪みの向こうへ逃げ込んだ。

 カナはもう1度コウを見上げた。すぐそばに、手の触れられる位置にいる。

 が――カナは伸ばしかけた手を寸前で引いて、ぎゅっと、握りしめただけだった。



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