紅の猛獣士 -5-
黒猫は右へ左へと複雑な道のりを進んでいった。もう戻れないのではという不安はあったが、今のところ敵の姿もない。そういう道を選んでいるらしい。
そしてセイジ達がたどり着いたのは、石の玉座の前だった。
周りより一段高い岩畳の上に、椅子の形状をした岩があり。
その横には、1頭の獣が控えていた。
「おい、赤いライオンがいるぞ!」
「グレン……!」
カナがぎくりと硬直した。セイジはカナとライオンを見比べた。
「グレン? あのライオンの名前か?」
「はい、コウの愛獅子ですよ。そして炎のステージで唯一カナに殺されなかった獅子です。もっとも……焼かれても生きていた、というだけですが」
ライオンが頭を上げた。セイジ達の姿を見てゆらりと体を起こす。
『猛獣士さん……いないね』
「おかしいですね。散歩でもしているんでしょうか?」
「さ、散歩……?」
「そういう人なんです」
「ってつまり、これ無駄足ってことか!?」
そうこうする間にも、グレンはセイジ達を見据え、唸り声を上げて、じりじりと近づいてきていた。
「グルルルルルルル……」
『ら、ライオンさん、お腹減ってるみたいだよ?』
「ま、待て! 俺は食ってもうまくないぞ!」
グレンが矯めるように身を沈めた。戦慄が背筋を駆け、セイジは思わずクロウナイフを抜いた。
その時だった。
「グレン、ストップ」
「!?」
凛とよく響く声は、セイジ達の背後からだった。
グレンがおとなしくその場に伏せる。セイジはそろそろと、構えを解いた。
そして。
「……あれ? もしかして今話題のセイジさん? もうこんなとこまで来てたんデスカ」
セイジ達が来た道を、赤い髪の青年が飄々と歩いてくるのが見えた。
「わ、話題……なのか? それよりお前が『猛獣の間』の主人か?」
「はい。どうもハジメマシテ。……えーと……」
少し離れて立ち止まった青年は、不思議そうに首をかしげた。
「僕、誰でしたっけ?」
「は!? コウじゃないのか!?」
「あ、それそれ。なんだ知ってるじゃないデスカ」
コウは笑って、セイジを、サトルを――最後にカナを、ひととおり見渡した。
「スミマセン、ちょっと忘れっぽいもので……」
「自分の名前忘れる奴、初めて見たぞ……物忘れってレベルか?」
『重症だね……まだ若いのに……』
「ところでご用はなんでしょう。――とりあえず戦闘デスカ?」
「ちょ……っ!?」
「待って下さい、コウ。私達はあなたと戦いに来たわけではありません」
サトルが遮った。コウはぱちぱちと瞬いて、本気で安心したようにため息をついた。
「それは良かった。実は戦うのとかあんまり得意じゃないんデス」
「お前やる気があるのかないのか、どっちなんだ!」
『な、なんかよく掴めない人だね……』
「さて、それなら引き止めても悪いですし、とっとと次へ行ってクダサイ」
「ちょっと待て! 重要なこと聞いてないっての!」
セイジは慌ててそう言ってみたものの、どうにも、悪い予感しかしなかった。
「お前、団長の居場所、とか……知ってるのか……?」
コウは、ちょっと遠くを見るようにした。
「ふむ、知ってたんですが……」
「! ほんとか!? どこにいるんだ?」
「忘れてしまいマシタ」
「お約束かよ!!」
セイジはがっくりと膝をついてしまった。
「おやセイジさん、なかなかノリがいいんデスネ」
「ちょっと黙ってくれ……けっこう死にそうな思いしてここまで来たんだぞ」
「大丈夫、まだ生きてるじゃないデスカ。それに……そんなに焦らなくても、むこうから会いにきてくれマスヨ」
「……どういうことだ?」
セイジは顔を上げた。コウははぐらかすように肩をすくめた。
「まあまあ。すぐにわかりマス。それより、次はどちらへ?」
『えーと、順番からいくと……?』
「残すところは、『玩具の間』『死者の間』の2つです」
サトルが言って、コウがうなずいた。
「ほー、玩具デスカ。なら……ハンデでもあげようかな」
突然、セイジは背後からのプレッシャーを感じた。振り向けばあの赤い獅子が、狙いを定めるように低く身構えている。
「なっ、お前っ!?」
「グレン!」
主の一言で、グレンが動く。大きく跳んで鋭い爪を一閃させ――
サトルの胸を、切り裂いた。
「ぐ……っ!!」
サトルは後ろに倒れ込んだ。しかしすぐに身を起こし、治癒の光を己に当てる。
セイジとカナはサトルに駆け寄った。
『ひどい出血……!!』
「サトル!? 大丈夫か!? ……おいてめぇ! 何がハンデだ!!」
「別にあんたらのハンデとは言ってませんヨ」
『猛獣の間』の主は、それでもにこにこと笑っていた。
「どうでもいいけど、早くどこかで手当てしないと……そのピエロ、死にマスヨ?」
『そうだよセイジ、1回戻ろう! サトルさんが死んじゃう!!』
「くっそ……!」
「あ、戻るんでしたら、こちらからドウゾ」
ぱちん、とコウが指を鳴らした。そのとたん、噴火口の風景は姿を消し、石の玉座と赤い空だけが残る。出口はすぐそこに見えていた。
「……いろいろ、言ってやりたいことはあるけど……!」
きつくコウを睨みつけてから、セイジはサトルの肩を支えた。ここは退散するほかなさそうだった。
が――
「ちょっと……先に戻ってて」
カナが前に出て、コウの正面に立った。
セイジは出かかった言葉を呑みこみ、ほんの一瞬、唇を噛んだ。
「……すぐ来いよ!」
「わかってる」
セイジとサトルは、コウとグレンの横をすり抜け、出口へ向かった。
それを追っていったコウの視線が、やがてカナに向けられた。
「……まだ何か?」
「私のことは……忘れてない……?」
カナの声は緊張に震えていた。コウはグレンに目を落とし、たてがみをなでた。
「さぁ? どうだろーねェ」
「私を見ても顔色ひとつ変わらなかった。これで……もし私のことを覚えてたら、最低の男だ」
「……。名前はカナ。団長の娘で踊り子。炎のステージから会っていない」
「!!」
「最低の男ですカラ」
曖昧な記憶しか持たない彼が、炎のステージを忘れずにいることが恐ろしいのか、自分を忘れずにいてくれたことが嬉しいのか――
カナにはもう、よく分からなかった。
「相変わらずだけど、何考えてるのか分からない奴だ……」
「僕は単純デスヨ。あなたが思ってるよりもずっと。……さぁ、早く戻ってクダサイ。僕の側にいないほうがいい」
「それはコウの希望……?」
「もちろん。殺されたくないですカラ」
「……わかった。じゃあ、もう1つだけ教えて」
カナはあの鞭を、前に掲げた。コウはそれを見て――
「ええと。……なんでしたっけ、それ?」
そう、言った。
カナは無言で鞭を腰帯に戻した。そしてコウと目を合わせないまま、出口の方へ歩き出す。
その途中で、一度だけ、立ち止まった。
「コウ」
「ん?」
「……忘れないで」
ふり向くことはしなかった。赤い視線を感じながら、カナは『猛獣の間』を出た。
地上への階段を上がると、先に行った3人が待っていた。サトルの出血は一応止まっているようだが、メイクの上からも分かるほど、顔色が悪い。
「ごめん……待たせて」
「サトルの部屋に戻るぞ。さすがにこの傷はヤバいだろ」
「うん」
血の臭いにざわめきだした調練場を、セイジ達は可能な限り急いで通り抜けた。
セイジはカナの様子をうかがった。カナは、じっと何かを考えているようだった。
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