紅の猛獣士 -4-
セイジは、ひとまず『猛獣の間』から出ようと言った。それに反対したのは、他でもないカナだった。
「お願い……ちゃんとするから。少しだけ、待って」
「戻るにせよ進むにせよ、セイジ、あなたにも少し休息が必要です。……その間に、決断を」
――それからカナは、1人で少し離れたところに腰を下ろし、じっとうつむいている。
セイジもアンティークも、かける言葉を見つけられずにいた。
『ねえ、サトルさん。なんでカナちゃんはあんなに炎を恐がるの? 知ってる?』
アンティークは代わりに、サトルに尋ねた。セイジもずっと気になっていたことだった。
サトルはちらりとカナを見やった。
「……『炎のステージ』ですよ」
「炎のステージ……あれってカナとどう関係あるんだ?」
「あれは……見た者は誰しも忘れられない、2年前に行われた公演です」
ゆっくりと言葉を探すように、サトルは語り始めた。
「演目としては、コウの猛獣ショーでした。そこにカナも、踊り子として、一緒にステージに立ってたんです。もともと猛獣ショーは人気の演目で、その日も観客は満員だったのですが……」
「……何があったんだ?」
「カナが……演戯中に、猛獣を次々と焼き殺していったんです」
『え!?』
高い声を上げてしまったアンティークは慌てて口をつぐんだ。
セイジは――声も出せなかった。
「ステージの上で……コウの目の前で」
「なんで……カナがそんなこと……誰も止めなかったのか?」
「その光景があまりにも異常だったので、しばらく誰も動けませんでした。……少女が泣きながら、猛獣を殺していく様子を……」
『うそでしょ……?』
「あれからカナはもうステージに立つことはなくなりました。他の団員からも避けられてますし……」
「そういうことかよ……!」
セイジもカナを盗み見た。カナの肩は、今も細かく震えている。
「皆カナが気が狂ってやったのだと思っていますが、あれは……恐らく、ユエの差し金です」
「ユエ……母親の!?」
「ユエはカナに異常な愛情を抱いているようなのです。それこそ首をほしがるような、歪んだ愛情ですが。……どうせ、コウとの関係に気付いて引き離すために、カナにあんなことをさせたのでしょう」
「歪みすぎだろ!」
『でもいくらお母さんに言われたからって、そんなことするとは思えないよ!』
2人がかりで抗議され、サトルは重く首を振る。
「カナにとってもユエはまた、特別な存在ですから。生まれた時からこのサーカス団で育ち、身体がユエに逆らえないのでしょう。だからといって、あんな惨い方法で別れさすとは思いませんでしたが……」
「……つまり、カナがあんなに炎を恐がっているのは……」
「罪の意識からでしょう」
サトルの口調に、憐れみが滲んだ。
「炎を見るとあのステージのことを思い出すんでしょうね。獣たちの断末魔、肉の焼ける臭い……私たちから見ても地獄絵図でしたから」
『そっか……そうだよね。好きな人の大切なモノを奪ってしまったら、辛くないはずないよね……』
「……!」
思わず、セイジは立ち上がった。
カナに歩み寄ると、カナは膝を抱えたまま、消えそうな声で言った。
「……聞いたんだ。炎のステージ」
セイジはカナの横に膝をついた。
「お前だけが、悪いわけじゃないだろ」
「知ってる……だけど……」
「だけど?」
「猛獣達を、殺したことも……コウを傷つけたことも! 私が自分の手で……! あの時のコウの顔、忘れられない……!」
「それでも……会いに行くんだな? どうしてだ?」
カナはようやくセイジを見た。
そして、腰につけていた鞭を手に取った。
「知りたかった、から。これがどういう意味なのか……」
「どういうものなんだ、それ?」
「……炎のステージで、コウが使ってたものだ。間違いない……」
「……」
彼の運試しらしいと、これを渡した医師は言った。
その真意は――やはり、本人にしか分からないのだろう。
セイジはサトルに顔を向けた。
「――先に、進もう。どうしてもコウには会っておかなきゃならないみたいだ」
「にゃあ!」
「しかし、どのように進むつもりですか?」
「まっすぐ行く分には迷うこともないだろ。行って、何もなければ引き返して、方向を変える。相当時間はかかるかもしれないが……」
「にゃうっ」
「……って、は?」
セイジの目が点になった。
視線を徐々に下げていく。と、セイジの足元で、まっ黒な猫が長い尻尾を揺らしていた。
「え、何お前? いつからいた?」
「うにゃっ!」
黒猫はととっと進んで、少し離れたところでまたセイジを見た。その動きは、『巨人の間』にいた黒毛の猿を彷彿とさせた。
セイジは身をかがめ、低いところから猫を見た。
「もしかして……案内してくれるのか?」
「にゃあ!」
これ以上にないいい返事だった。一拍置いて、セイジは苦笑した。
「信じてみるか」
「あんた、またそういう……」
「――いえ。私も賛成します」
サトルが来て、猫を指さした。
「よくできていますが、あれは生身ではありません。おそらく機械仕掛けです」
「マジか!? あれが!?」
「誰のどういう意図かはわかりませんが……」
「道を教えてくれるんなら、なんでもいいさ」
「……何かの罠かも」
カナがぽそりと言って、セイジはそれを笑い飛ばした。
「上等じゃないか!」
「あんたって本当、馬鹿だ……」
やっと、カナの表情に、わずかながら笑みが戻った。
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