紅の猛獣士 -1-
たとえ一緒にいられなくても 忘れさえしなければ
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ごめん
守れなくて――
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『猛獣の間』は、火山の噴火口を思わせる様相だった。赤からオレンジにかけてのグラデーションの空の下、ごつごつとした岩場が見渡す限りに続き、ところどころの裂け目は真っ赤に輝いている。
そして――静かだった。
物理的にではない。感覚的に、胸が痛くなるほどに静かだった。『巨人』『水槽』で感じたような主の気配がここにはない。
「これはこれで、なんか不気味だな。サトルの説を借りるなら……想念が空っぽって感じじゃないか?」
「コウは、恐怖を感じないように訓練されてるって……聞いたこと、あるけど」
「それと彼は、ひどく物忘れが激しいそうです。そのせいでしょうか」
「まあとにかく進んでみるか。見る限りは敵もいなさそうだ」
とはいえ例によって、行くあてはまったくない。しかもずっと似たような風景が続いているので、迷い込むのは簡単だろう。
セイジは『水槽』の時を思い出し、ひとまず、手近な岩にナイフで目印を刻もうとした。
――瞬間。
「うぁっ!?」
炎が高く噴き上がった。セイジはとっさに身を引いたが、袖が焦げてわずかに皮膚を焼かれる。
と同時に、背後からカッと青い光が差した。照らされた炎はすぐに勢いを弱め、巣に戻るように岩の中へと収まった。
「び、びっくりした!」
『今の青い光……水のおまじないかな?』
「セイレーンに感謝だな……!」
――カナ――
「……え?」
『! セイジ、カナちゃんが!!』
セイジははっとふり返った。
カナはぺたりと座り込み、自分の身体を抱いてがくがくと震えていた。
「カナ? ……おい!」
肩をつかんで揺すってみる。ぱっと顔を上げたカナは、焦点の定まらない目をセイジに向けた。
「い……いやだ……やっぱり恐い……!」
「お前、こんな……ここまでダメなのか……!?」
さすがに責任を感じたセイジは、両手でカナの頬をはさみ、しっかりと目を合わせた。
「悪かったよ、一度外に出よう! 立てるか?」
「う、あ……」
カナの視線が動いた。――セイジの腕の、火傷の痕に留まる。
「やっ……」
カナは、両手で頭を抱えた。瞳から光が消えた。
「いやぁ――――――――――ッ!!」
「カナ!?」
「ごめんなさい……! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「おい落ち着け! どうした!?」
「――セイジ!!」
サトルが、まだ聞いたことのないような切迫した声を上げた。セイジはこちらへゆっくりと近づいてくる影を認め、ぎりっと歯がみした。
「この忙しいときに……!」
1頭の虎が獰猛な唸り声を上げていた。金色の毛皮が異様にきらきらと輝いている。
セイジはカナの腰からクラブを1本取り上げた。
「カナ、借りるからな。……サトル! カナを頼む!」
「セイジ、あなた1人では……!」
サトルの焦り声は完全無視で、セイジは猛獣に相対した。
「なあアンティーク、あれって本物か、それとも他のとこみたいな幻か、どっちだと思う」
『……わからない』
「そっか。じゃあやっぱり、殺すわけにはいかないな。……頼むぞアンティーク」
『はい!』
じりじりと間を詰めていた虎が、咆哮と共に跳んだ。
セイジも虎に向かって飛び出した。その勢いでスライディングして虎の腹の下をくぐる。
そしてすれ違いざま、クラブで白い腹を思いきり突き上げた。
「ギャッ」と悲鳴が聞こえた。
虎は横ざまに転がって、苦しげに唸っている。
「悪いな……おとなしくしてくれ!」
アンティークの“視線”の光が虎の身体を包む。セイジは駆け寄って、虎の頭にクラブを振り下ろした。
金色の虎は、動かなくなった。
「……ふー、なんとか……」
『――あっ!!』
油断していた。
背後から飛びかかってきた銀色の影に、セイジは反応しきれなかった。
「つっ!」
かろうじて体を返したセイジは、正面から銀色の虎に押し倒された。アンティークが弾かれて地面に落ちる。真っ赤な口が大きく開いた。とっさにクラブを噛ませて牙を防ぐが、両の爪は容赦なく肩に食い込んだ。
「いっ、て……っ!」
『セイジ……セイジ!!』
「あ、アンティーク、大丈夫か!」
「セイジ! 相手は獣です――殺してください!!」
サトルが叫んだ。セイジはじりじりと近づいてくる牙を見据えながら、怒鳴り返した。
「イヤだ!!」
その時――
……ねぇ、コウ。次の公演、あなたのステージに
カナちゃんもたたせてあげて?
大丈夫、あのコも随分演戯が上手くなったのよ
それに……
面白いパフォーマンス、見せてくれるそうよ?
「な……んだ、今の」
『セイジ――――っ!!』
アンティークの悲鳴のような声が聞こえた。
突然、銀色の虎が弾かれたようにセイジから離れた。
セイジは跳ね起きた。しかし虎は、何か見えないものに襲われているように、右へ左へと飛び跳ねる。
何が起きているかは分からなかった。それでも、これ以上の好機はない。
セイジはビッグの時と同じように、力いっぱいクラブを投げた。
クラブは虎の鼻面を打った。銀色の虎は「ギャウッ」と一声上げて逃げ出した。




