記録 -4-
左脚の棟を『胴体』の方へ歩きながら、セイジは天井を見上げた。
「すげー慌ただしかったけど、収穫があったようななかったような……」
「私の部屋にもアナログのビデオ機器はありません。あるとすれば団長室か……あるいは……」
「ならいっそ、先にユエを探した方がいいかな」
『胴体』に出た。空はもうすっかり暗い。
セイジは大きく伸びをして、サトルとカナをふり返った。
「『5つの間』の方に戻ろう。次は『猛獣の間』だったよな? 俺はついさっきまで寝てたからこのままでもいけるけど、お前らはどうだ?」
「……」
「ん、カナ?どうした?」
カナが冴えない顔でうつむいている。
と、唐突に、サトルがぽんと手を打った。
「すみません、ゲンのところに忘れ物をしてしまったようです。一度取りに戻りたいのですが」
「え? ああ……」
「ついてきてもらえますか、セイジ。……カナは少しだけ、ここで待って下さい」
「は!? ちょっと待て、サトル――」
有無を言わせず、サトルはぐいぐいとセイジを引っぱっていく。カナを見やると、あからさまに不審な表情をしているのがわかった。
そして近くの壁の陰に入ったところで、セイジはサトルの手を振りはらった。
「いきなりなんだよ」
「セイジ、次の『猛獣の間』について少し相談があります」
「……カナ絡みか?」
サトルはうなずいた。
「カナは私の部屋に置いていくことをお勧めします。『猛獣の間』には3人で行きましょう」
「! そんなことできるかよ!」
「カナが炎に対して強い恐怖心を持っていることは、あなたも気付いてますね?『猛獣の間』を司るのは炎の猛獣士コウ……カナを連れて行っても足手まといになるだけです」
セイジは工房でのカナの反応を思い返した。
炉の炎を前に、真っ青になって震えて、身動きもできないような状態だった。
「……あの部屋が安全なのはわかってるが……狙われてるのは俺だけじゃない。カナもアオイに首を狙われてるんだ」
セイジは、ついさっき見た夢の残滓も思い出す。
背筋を這う冷たさがよみがえり、思わず身震いした。
「カナは連れて行く。足手まといでもいいさ、1人で置いていくよりはな」
「そうですか……分かりました」
サトルはうなずいた。無理に止めるつもりはないようだった。が――
「ただし、彼女は行きたがらないかもしれません」
『どうして? 炎が恐いから?』
「それもありますが、先ほど言った5人のうちの1人、猛獣士コウ……彼はカナにとって最も会いたくない人間だと思いますから」
「そんなに嫌いな奴なのか?」
「……その反対ですよ」
「は?」
『……好き……ってこと?』
アンティークの一言に、セイジはぽかんと口を開けた。
「はい、恐らくむこうも。今はどうだか知りませんが」
「まじか!? べ、別にいいんだけど……!」
セイジは自分の動揺ぶりに自分で驚いた。
しかし、サトルに真剣な目を向けられて、無理やりそれを押し殺す。
「あまりそのことは気にしないで下さい。コウはコウで、とても危険な相手です」
「強いのか?」
「本人の強さは分かりませんが、彼の合図1つで館のすべての獣が牙を剥きます。特に『猛獣の間』にいるのは獰猛な肉食獣……エサにならないよう気をつけて下さい」
まるで怪談でも語るような口調に、セイジは首をすくめた。
「行く前にビビらせるなよな……」
『でも、そっか、カナちゃん恋人がいたんだ~』
「意外だよな!」
「言っておきますが、あの2人はそんなロマンチックなものじゃありませんよ」
サトルはちらりとカナのいる方を見た。
「くれぐれも油断はしないでください。コウは、普段は静かな炎のように揺らめいてるだけですが、いざとなったら文字通り牙を剥く。眠れる獅子のような男です」
「……分かった」
セイジとサトルは棟の入口に戻った。
と同時に、セイジは直球でカナに訪ねた。
「カナ、次の『猛獣の間』も一緒に行ってくれるか?」
カナはぴくりと眉を上げた。
「なんでそんなこと聞くの?」
「あ、いや……」
『だって次の猛獣士さん、カナちゃんの恋人って……』
「――このピエロ!!」
それだけですべてを察したらしく、カナは力いっぱいサトルを睨みつけた。サトルがホールドアップするほどの迫力だった。
「そのことは2度と言うな!」
「わ、分かった。でも、『猛獣の間』は一緒に来てくれるよな?」
「……」
「頼むよ」
カナは自分の腰に触れた。そこには、医師から受け取ったあの鞭を帯びていた。
そして1度、目を閉じた。
「……わかった。一緒に行く」
「そっか! よかった……」
「行くなら今のうち。ここの猛獣は昼起きてるように訓練されてる。たぶんだけど……夜の方が安全だ」
カナはさっさと歩き出した。セイジは慌てて後を追った。
そして『胴体』の中央近く、頑丈そうな造りの建物の前で立ち止まる。扉の横には『獣調練場』の張り紙があった。
「この奥に入口があるはずです。静かに、中へ……」
「……うわ」
サトルが扉を開くと、屋内には所狭しと鉄格子が並んでいた。ライオン、虎、熊のほか、小動物もいるようだ。多くは眠っているが、何頭か、頭をもたげて低く唸り声を上げるものもいた。
「全部が起きては騒ぎになります、急いでください。……こちらですね」
奥の鉄格子には扉がなかった。代わりに立て看板がある。
『危険!! ここより先、猛獣の間』
「この先だな、看板どけるぞ。……ものすごい火薬のニオイだな」
「猛獣ショーに炎の演出は欠かせませんからね」
鉄格子の内側には階段があった。下ればさらに、梯子のかかった地下への入口がある。
底の様子をうかがうと、暗い穴の向こうで、赤い光が揺れていた。
「……」
カナはもう緊張気味に身体を固くしていた。
セイジはその頭にぽんと手を置いて、ポケットから青い塊を取り出した。
「カナ、これお前が持ってろ」
「これはセイレーンからもらった……」
「人魚のお守りだからな。炎には効くんじゃないか」
「こんなもの、一時しのぎだ。気休め程度にしかならない」
「いいから」
強引に手の中に押しこむと、カナはそれをきゅっと握った。
「まぁ……持っててあげないこともないけど……」
「……。大丈夫、早く終わらせてすぐに戻ってこような」
「……うん」
いつになくカナが素直なので、セイジはさらに、くしゃくしゃと頭をなでてみた。
とたんにカナの裏拳がのど元を襲い、激しく咳き込むはめになった。




