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・ PIERROT ・  作者: 高砂イサミ
第8章
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予兆 -1-



   サーカス団一の歌姫へ


    ――ありがとう、笑顔のすてきなピエロさん



         ++++++



 窟の扉を開くと、そこはただ青白い壁に囲まれた空間だった。『巨人の間』であの結晶を手に入れたときと同じだ。

 無事にそこから出たところで、セイジが盛大にくしゃみをした。

「寒っ……!」

『大丈夫? このままだと風邪ひいちゃいそうだね……』

 サトルの腕の中から、アンティークはセイジを気遣った。いまだ預けられているのはセイジがずぶ濡れのままだからだ。アンティークは気にしないと言ったのだが、セイジの返答は「濡れるとお前の肌が傷むだろ」だった。

「あー。冷蔵庫の中から出てきた気分だ……」

「まさか水槽に飛び込むとは思いませんでした。どこかで服を替えるべきでしょうが……」

「ほんと無茶苦茶するんだから」

 セイジは手に息を吐きかけながら顔をしかめた。

「しょうがないだろ。ああでもしなきゃ話も聞いてくれそうになかったし。それにしてもあいつ、よくあんな冷たい水の中に、ずっと……1人で……」

『……』

 またセイジが怒っているのがわかった。勝手気ままなところはあるが、他人のことを他人事と思えないセイジの性分を、アンティークはよく知っている。

「足のない人魚……誰も悪くないのに災難でしたね」

 ふとサトルが言いだして、セイジがぴくりと反応した。アンティークも心の中で首をかしげる。

『誰も悪くない?』

「父親に自慢に思ってもらえるようにひたすら頑張っていた娘。頑張りすぎた娘を一番心配していた父親。娘が頑張るのを応援した団長。……誰も悪くないでしょう?」

「誰も悪くないのにこんなことになるかよ。みんな悪いに決まってる。周りが見えなくなった娘も、どんな理由だろうと足斬った父親も、それを促した団長もな!」

「考え方の違いですね」

「てかさ――何か、おかしくないか?」

 セイジの声は、不機嫌に低かった。

「『5つの間』ってのは個人訓練場のはずだろ? 『巨人』といい『水槽』といい……あれじゃ、まるで牢獄だ! 団長ってのは一体何考えてんだよ……!」

 アンティークも同感だった。

 しかし、それをゆっくり議論している場合でもなかった。

『ねえ、そろそろ館が開く時間じゃない? 団員の人達が来ちゃうよ』

「! 確かにそうです」

『サトルさん、とりあえずこの近くに、服を貸してくれそうな場所ってないのかな?』

「……。すぐ近くに医務室があります。サーカス団の専属医師が常駐しているはずなので、彼に頼んでみましょうか」

 セイジがだるそうにうなずいた。カナは何も言わなければ“同意”だ。

 4人は近くの小部屋を訪ねた。セイジが控えめにドアをノックすると、「入んなさい」と返答があった。

「……朝もはよからなんじゃ小僧、何か用か?」

 医務室には灰色のひげと髪をした医師が1人、ナースが1人、すでに詰めていた。

 書類を書いていた医師は、顔を上げてセイジを見るなり眉をひそめた。

「いい年をして水遊びでもしたのか」

「すみませんドクター。いろいろと事情がありまして……着替えがあればお借りしたいのですが」

「その前に身体を暖めにゃいかんぞ。そっちがシャワー室になっとる。湯も出るからとっとと浴びてこい」

 ナースがすかさずセイジにバスタオルを渡して、ものも言わずにドアを開けた。

「あー、すんませ」

「礼はいいから早よせんかい」

 少しぼうっとした様子のセイジがシャワー室に追いやられ、ナースが迅速な動きでポットに湯を沸かし始めた。

 アンティークはカナに意識を向ける。カナは、水音の聞こえるドアをじっと見ていた。

『……カナちゃん、この後でシャワー、使わせてもらったら?』

「!」

「かまわんぞ。ちゃんと鍵しとけよ嬢ちゃん」

「……ありがと」

『サトルさんは?』

「私は大丈夫ですよ」

「サトルよ。お前さんがここへ来ることがあるとは思わんかったぞ。何せ医者いらずじゃからな」

「恐縮です」

 丁寧に頭を下げるサトルを見て、医師はふんと鼻を鳴らした。

「お前に限らず、この館の連中、特に上のほうの奴らはどうも無茶をしよる。『5つの間』の奴らに至ってはわしの手には負えんわ。あの赤い小僧は言うに及ばず、この前もどいつじゃったか……全身にえらい怪我をした奴がいたな。さすがのわしもサジを投げたが、“誰か”に身体を改造してもらって、今はブリキの身体で生きてるって話じゃ……まったく、常識では有り得んな」

 医師がぶつぶつと話している間に、セイジが出てきた。白いシャツ姿だった。

「そこにあったの、勝手に着ちまったけど」

「服が乾くまではそれ着ておとなしく座っとれ」

 すかさずナースがセイジにコーヒーカップを持たせて椅子に座らせ、中から濡れた服を持って出て、カナには新しいタオルを渡した。手際の良さと素早さにアンティークは感心してしまった。

「さて、『セイジ』じゃな。話には聞いとるよ。……疲れが出てきとるぞ」

「確かにそーかも……」

「次に何をするつもりか知らんが、その前に倒れてしまってはどうにもならん。一度ゆっくり休んでおくことじゃな。ただしここは貸してやれんぞ。昼にもなればひっきりなしに団員が出入りするからな」

「いや、充分助かったよ」

「セイジ」

 サトルがセイジに歩み寄り、アンティークはそっと机に置かれた。

「悪かったなサトル。アンティーク任せちまって」

「とんでもないです」

 セイジよりも少し大きな手が身体から離れた。

 アンティークはわずかに名残惜しさを感じ、そんな自分に、驚いた。

 セイジとセイジの祖父以外の人間に抱かれた経験自体、あまり多くない。そしてそんな時はいつも、無機的な“人形”としてしか扱ってもらえなかった。自分でもそれは仕方ないことだと思っていた。

 しかしサトルの抱き方はそれとは違って、とても優しい。

「ん? どうしたアンティーク?」

『……ううん、なんでもない』

「そうか?」

「ところでセイジ、この後はどこへ行きましょう。休める場所というと限られますが」

「そうだなあ……」

 なんとか人心地ついたらしいセイジが、いつものようにアンティークを膝に乗せてくれる。さまよった視線は、ふと医務室のパソコンに留まった。



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